「オジーの休憩室」

岡山県や群馬県等地方の農産物の栽培の紹介や出掛け先の風景写真,生活の中の写真等を載せました。特に農家や生活の様子を。

宮城県南三陸町に行って 5月末の様子(その3) 仮設にて 、オジーの休憩室  

2012年06月11日 | 被災地のその後

ある団体の南三陸町を中心とした被災地へのボランティア募集に応募し、5/28~30迄宮城県南三陸町を中心に見学と仮設の方々の傾聴等でボランティアメンバーの一員として行ってきました。

テレビでは何度も見た風景、テレビでは映らない風景など2012年5月末の状況を自分の目で見る事が出来ました。その様子の一部を写真等で3回に分けて投稿します。出来ましたら参考にして下さい。

今回の第3回は、南三陸町の仮設住宅にて(人々の声を聞きながら)です。

尚、第1回は概要と南三陸町の様子

  第2回は概要と南三陸町の様子(その2)

  第4回 被害を受けた宮城県石巻市、女川町の5月末の風景  の予定です。

(1)仮設のある風景

 1)南三陸町の仮設箇所

  南三陸町には仮設が50数箇所有り、規模的には10戸程度の小さい物から102戸の

  大きい仮設までいろいろの様です。私達は10地域を訪問しました。

  仮設位置図

 

 2)小森地区

 

 3)山の神仮設

    

外には手作りのテーブルがありました。そしてテーブルには  「HANG IN THERE」 (諦めないで)と書かれています。このテーブルはある方から各仮設寄贈されたとの事です。

そして、机の下には励ましや慰め等 愛のこもった言葉の板が貼ってあります。

 4)志津川中学校 (102戸の最大の仮設)

   

 5)仮設のある風景

   中央部の建物群が仮設です。

6)沼田地区仮設

 

仮設に咲いた花1

仮設に咲いた花2

(2)仮設住宅の方々の声・様子

・以前は田舎の60~80坪と広い家に住んでいる方が多く、1DK,2K等広さの仮設住宅での生活は

 しんどいと感じている人が多い。

・ 元漁業に携わっていた方は、現在は高齢等で仕事がない、又は大変少なく仮設にいるのはしんどい。

  海から離れた生活は大変なストレス。これから船を購入も難しいとの事。

・狭いけど元気にやっている。(詳細は不明)

・全体的に年配者の方々を見ると運動不足である、する事が無くて(又はわからなくて)困っている様に

 感じた。一方、波伝谷地区ではアメリカ人の団体が最近荒れ地を開拓して、仮設の方々の為の畑を

 作って下さったとの事で、年配の女性達がその畑で作業をしていました。

尚、個々の声は深刻なものも有りましたが、プライバシーを守る為に省略します。 

 

ご覧頂きありがとうございました。

次回は第4回、 被害を受けた宮城県石巻市、女川町の5月末の風景 です。

 

 

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