自分の死を考える集い開催スケジュール掲示板

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著書である父中村仁一が皆様へ遺言としてお伝えしたかった内容を載せております

私の医療とのかかわり方について

2021-07-22 11:00:45 | 日記

以前 父の最後の2週間(遺言12以降)について書いてみようかと書きましたが

まだ下書きがかけてません。部分部分思いつく事はメモとして残してはいるのですが

自分の毎日の仕事が忙しく、父の最後の「やはり死ぬのはがんでよかった」を

まだ半分しか読めていない事が原因ではあるのですが、それより これ以上

父の領域に私が踏み込んで良いのか それこそ「死人に口無し」の状態で

勝手に 父の当時の様子について 書くことへの抵抗がございます。

なので そこの部分を楽しみに 更新されていないかを見に来ていただいている

方々へは大変申し訳ございませんが しばらく書けない気がします。

 ここから先は 私の(母や兄妹もかも?)医者とのかかわり方について

書きたいと思います。

 たまに父の息子であることがわかった場合 身内の私が癌になったらどうするの?

と聞かれることがあります。答えは・・・

 これは父が生前言っていたのですが 「俺の考えを押し付ける気はない。 お前の命なんだから

自分で考え、決めろ!」です。

 我が身内は結構ガンで亡くなってます。私が物心ついてからですと 母方の本当の祖母

が 45年ぐらい前に胃がんで手術を行い その当時抗がん剤なのか、放射線治療なのか

まだ小さかったのでわかりませんが 遠方に住んでいたので 電話口で「痛いよ、辛いよ」と

言っていたのを覚えてます。それが小さいながら癌という病気があり 恐ろしい病気があると

知った初めての事でした。

 また10年ぐらい前ですが 叔父と叔母も肺がんで亡くなってます。叔父夫婦は

アメリカでの海外赴任が長く かなりキツメの洋もく(タバコ)を一日に1箱以上吸う

ような人たちでした。私らが小さな頃から「タバコは身体にわるいし やめときやぁ!」って

言っても 「タバコで癌になっても本望だから 辞めへん」 なんてお道化ながら言っていました。

 その後 晴れて肺がんになりました。その際 父もすでにいろいろ本を出しておりましたので

父に相談があったようですが アドバイスはしたようですが 最後は自分でどうするか

決めなさいという事で 結局 抗がん剤治療をしてましたが かなり辛そうでした。

最後は 抗がん剤の影響かわかりませんが 吐血し亡くなったようです。

 そもそも私は 医者(医療)が嫌いです。その辺結局 あの父の元で育つと そうなるのかも

しれませんが 小さい頃 風邪をひくと 医者の家族だから 薬なんてすぐに手に入る

だろうと思われるかもしれませんが 風邪薬は 小さい頃飲んだ覚えは ないです。

結局 寝て熱出して 治せなんですよね。

うちの家にあった薬って 私がお腹の緩い子だったので 通称「ラックビー」と呼ぶ薬を

もらってました。でもこれは 今でいうビオフェルミンです。現代では ヨーグルトでも

採れますよね。 そんな物ぐらいです。なので そんな父の元で育つと 社会人になってからも

基本インフルエンザになっても 医者にはいきません。なぜならそんな身体が弱っている時に

医者なんか行くと 他のウィルスをもらいそうで それなら家でじっと寝て治す方がいいと

思ってしまいます。

 と では結論は?ですが そん時に考えます。が答えです。

今でも 人間ドックは 会社で 健診率を目標にされている部署があるようで 何度も催促があるので

それはその方々に迷惑をかけるためしぶしぶ受けてます。ただ ここ4年ほど 胃の検査はしてません、

なぜなら食欲はあるし胃の痛みもないし バリュウムを飲んだ方が 具合が悪くなるため 胃の検査は

辞退してます。

2年ほど前に便に血が混じっていたとかで 再検査の案内も来ましたが 放置してて 去年は

何もひっかからなかったので 大丈夫なのでしょうけど 最近 調子が悪いので 次回何か

ひっかれば 検査しようかとも思ってます。

という事で もし癌になったら。。。程度と年齢と子供や嫁の状況を見て考えようかと思ってます。

同じ肺がんで亡くなった 今回の父の死ぬまでの過程と 抗がん剤を使った叔母の過程を見ると 

Q.O.Lの違いは 全然違うので やはり考えてしまいます。