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不思議な国学者 ノ リ ナ ガ!

2012年07月01日 | 畳(たたみ)以外
江戸時代中期 伊勢国松坂(明治以降は松阪と表記します)に、奈良時代に書かれた歴史書 「古事記」 を独力で読み解いた国学者がいた。

本居宣長(1730~1801)である!!!

1763年 当時 無名の医者だった本居宣長(34歳)は、松坂の旅籠 「新上屋」 で賀茂真淵
(67歳 当時 国学の第一人者)と対面。

ここで真淵は宣長に 「古事記」 を研究するなら、先ず 「万葉集」 からと助言する。

また不明なことは手紙で尋ねれば、答えることを約束してくれた。(通信教育のはじまりかも)

1771年(宣長42歳)、おがげ参りが起こった。

60年周期で起こる神宮への集団参拝(この時200万人以上)に松坂も巻き込まれ大混乱。

宣長の思想にも少なからず影響したとされている。

1786年(宣長57歳)、「古事記伝」 出版準備開始。

1798年(宣長69歳)、30余年を費やして 「古事記伝」 全44巻完成。

本居宣長の名は全国に知れ渡る。 「伊勢神宮の御師は、宣長の学問の普及にも貢献した。

檀家に神宮のお札と共に、女性にはおしろいを、農家には伊勢暦 (カレンダーのはじまり) を土産とし、勉強の好きな人には、松坂にはこんな人がいると、宣長の本を見せたりしました。

さらに興味のある人には、参宮を勧め(旅行業のはじまり)、松坂で勉強してきなさいと、宣長への紹介状を書いたのである。」

弟子の数は500人余り、一時は紀州徳川藩 (1619年江戸時代初期から松坂は紀州藩) に召し抱えられた。

1801年11月5日早朝没、72歳、山室山に葬られる。

と、ここまで書いてきて宣長の生涯に不思議な所は何もない。

しかし、ちょっと考えると、とても不思議なことがあります。

何故、200年以上も前の資料が、こんなに残っているのか?
(本居宣長記念館だけでも、 16000点以上、家計簿からメモ、遺言状まで残っている)

何故、お墓が2つもあるのか?などなど、次々と現われる宣長の不思議を、是非一度、松阪で体験してみて下さい。

本居宣長記念館 http://www.norinagakinenkan.com/

参考資料 「本居宣長の不思議」   

本居宣長の心の歌といわれる「敷島の歌」(シキシマノウタ)

「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」

太平洋戦争末期、最初に編成された神風特攻隊の名が、本居宣長の歌に因んだ 「敷島隊」「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」である。                      まだまだ工事中!




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