今回のタイトルは、とあるサイトさんのものを使わせていただきました。
( 画像は、オペラ座の怪人 フォトギャラリーより転載 )
2005年1月に公開された映画『 オペラ座の怪人 』は夙に有名だと思います。
この映画の日本語字幕を担当された、戸田奈津子さんを揶揄したものが『 字幕座の壊人 』というわけです。
私も最近知ったのですが、戸田さんは字幕翻訳者としてはかなりの食わせ者だということです。
字幕翻訳の第一人者と評される彼女ですが、その実は、かなり自己中な翻訳をなさっているのです。
昨日、『 オペラ座の怪人 』を映画館に観に行ったのですが、字幕に気をつけて観ていると、かなりの『 誤訳 』というか『 戸田流奇訳 』とでもいうべきものに気づきました。
あまり酷いので、本来なら、涙をこぼすべきところで、「 ブホッ! 」と吹き出してしまいました。
具体的には、例えばそれは、オペラ座の屋上でクリスティーヌとラウルが甘々ムードで『 All I ask of you 』を歌った後の場面。
ファントムが「 私を裏切るのか・・・? 」と涙ながらに歌ったその後の叫び。
「 ( クリスティーヌとラウルに ) 戦争を宣言する! 」
・・・えっ?
・・・ふつう、宣戦を布告しよう!とか、意訳して、災いあれ!とかなら分かるんですが。
純粋に日本語が奇妙だと思います。
または、『 The point of no return 』でクリスティーヌが、
「もはや引き返せない~♪」と歌ったのに続けて、
「私たちの情熱のプレイ( passion-play ) 」と・・・。
プレイ? クリスティーヌとファントムが歌うこの場面で、「 プレイ 」?
・・・イヤラスィ~! ドンファンにしても無理があるかと。
直訳にも程があるかと。
passion-play が「受難劇」を意味するのぐらいは、いやしくも字幕翻訳で生計を立てているプロならば知っているべきでは。
製作に参加したウェバー卿もびっくりの翻訳かと。
私も涙が引っ込みました(笑
そしてクライマックスに続く場面での字幕、
クリス「 女の肌への欲望・・・私はその餌食なの?」
ファントム「 血の匂いが喜びとなった私の運命。それは私を肉の歓びからも遠ざけた 」
女の肌・・・? 肉の歓び・・・?
ファントムがセクハラ男に! 戸田さんに殺意を覚えました(笑
原文が、
Am I now to be prey to your lust for flesh?
That fate, which condemns me to wallow in blood has also denied me the joys of the flesh.
・・・だったので、せめて、
「 血への渇望、私は今はその餌食でしかないの?」
「 運命なのだ、血に浸れと私に強いる運命は、私を人間のぬくもりの喜びを与えてくれないのだよ 」
・・・とでも訳してほしかった・・・(涙) ちょっと字幕が多いですが。
そもそも『 flesh 』は、欲望の意味もありますが、カトリックにおいては人の間での、あるいは夫婦間の一体感、神によって祝福されたひとつになったあたたかな心、これを意味することもあると仄聞しています。
ここでは、ファントムの言うfleshは、『 人のぬくもり 』を意味していたのでは?
クリスの「 穢れた欲望( flesh )に堕ちてしまったの?」との問いかけに、
「 ちがう! ただ、私は人との、いや君とのつながりが、あたたかな心の通わせ( flesh )が欲しかったんだ・・・!! 」
とでも解釈できる、ファントムの答えに込められた狂おしいまでの人のぬくもりへの餓え。
これこそが、あの場面に込められたウェバー卿のメッセージなのでは?
その後に続く、
「 母でさえ顔を背け、私の顔に仮面を付けさせた…! 」
との歌詞を考えるとそう思わざるをえません。
それを、女の肌ですと?・・・というか、どちらにせよ、セックスがしたかった訳じゃないでしょう戸田さん!
もういっそ、歌えばいい。
フレッシュ、フレッシュ! ららららら…フレ~ッシュ!
母にも拒絶され、他の人間は言うに及ばず、そして今また君にも拒まれた。
一度は音楽を通じ、心通わせたはずの私たちなのに・・・。
すべては、この顔が、私のこの顔が、醜い、ただそれだけで・・・!!
そう叫ぶファントムだからこそ、最後のクリス・ラウル、そしてファントムの三人が歌う場面が泣けるのだと思います。
ラウルの首に縄をかけ、締め上げながらファントムは言う。
「 私を選ぶか、ラウルを選ぶか決めるんだ。だが、ラウルを選べばこの男は殺してやる。
さあ、選べ。もう引き返せないのだよ 」
ラウルは言う、
「 それでは彼女は嘘をつく。僕を守るために、お前を愛していると言わせるのか?
すまないクリスティーヌ。 君を助けるためにここまで来たのに、僕は捕まってしまった」
クリスティーヌは言う、
「 あなたを音楽の天使と呼び、あなたを信じてきた私を、あなたは欺いていたのね。
暗闇に堕ちた、哀しみに満ちた人・・・。
・・・あなたはいったいどれほどの苦しみに満ちた人生を送ってきたの? 」
そして言う、
God give me courage to show you
you are not alone...
神よ、彼に伝える勇気を与えてください
あなたは、一人ではないわ・・・
こう言った彼女は、ファントムの醜いその顔に、その唇にキスをする。
やさしく、はげしくそして深く、慈しみと愛を込めて。
ファントムの世界にも、人のぬくもりはあったのだと。
ファントムにも、人の愛は注がれるのだと示した時、ファントムは哀しみとそしておそらくは少しの満足からの涙を流して二人を解放する。
Take her, forget me, forget all of this...
Leave me alone, forget all you've seen...
彼女を連れていけ。私のことは、ここでの事はすべて忘れて…
一人にしてくれ、ここで見た事はすべて忘れてくれ・・・
・・・こう解釈するのがふつうだと思うのですが、このクライマックスでも戸田さんはかましてくれました。
「 you are not alone... 」を、
「 あなたに惹かれたことを! 」
という字幕に!
惹かれた!・・・? すさまじい『 戸田流意訳de解釈 』かと。
しかも、なぜ『 ! 』とイクスクラメーションマーク付き? 盛り上げたかったのかしら?
たしかに、ファントムに対して、尊敬や敬慕、あるいは母のような慈しみの心はクリスも持っていたとは思いますが。
ラウルとの間にあったような愛情はなかったのでは、と。
クリス、ラウルの目の前で不貞を告白ですか?
監督やウェバー卿はそんなメッセージは望んでいないと思うのですが。勝手に解釈はまずいのでは。
クリスがファントムのことを好きだったのなら、なぜこの後、クリスとラウルはラヴラヴに歌を歌いながらさっさっと退場していくのか?
キスだけして、自分はラヴラヴ彼氏とグッバイ☆なら、これほどクリスティーヌがしたたかな女に。
そして、これほどファントムが惨めに観客に印象付けてしまうことはないのでは?
戸田さんの翻訳者としての語彙は確かに多く、右から左に英語を日本語へと変換していく能力を彼女はお持ちなのでしょう。
しかし、『 オペラ座の怪人 』での奇妙な訳や解釈は上記に留まらない。
( 字幕座の壊人こと突っ込み所満載の戸田流奇訳をこきおろしているのは、
http://enbi.moo.jp/phantom/phantom-movie.html
のサイトさんです。英語力アップにもなります(?)
こと情緒というものに関して、また勝手に解釈を付与するという点において、戸田さんには能力あるいは分別に大きな欠如があるのではないかと。
( 戸田さんは『 指輪物語 』こと映画『 ロード・オヴ・ザ・リング 第一部 旅の仲間 』でも奇訳を連発してましたね・・・あの時は、あまり気にしなかったんですが・・・ )
「 過つは人の常、許すは神の御業 」とは言いますが、この場合、程度にもよると思います。
戸田さんを、『 字幕座の壊人 』だと、そう揶揄してしまう人の気持ちは分からなくもないですね。
人のふり見て我がふり直せ。
戸田さんのようには、ならないゾ!と。
では、『 オペラ座の怪人 』のテーマは『 愛 』。
最後に、愛にちなんで、私がかつて仄聞した名言をひとつ。( 典拠は忘れましたが・・・ )
「愛は時として、屍肉よりもなお醜いものだ」
(2005-03-18 14:48:22に投稿したものを再録)
( 画像は、オペラ座の怪人 フォトギャラリーより転載 )
2005年1月に公開された映画『 オペラ座の怪人 』は夙に有名だと思います。
この映画の日本語字幕を担当された、戸田奈津子さんを揶揄したものが『 字幕座の壊人 』というわけです。
私も最近知ったのですが、戸田さんは字幕翻訳者としてはかなりの食わせ者だということです。
字幕翻訳の第一人者と評される彼女ですが、その実は、かなり自己中な翻訳をなさっているのです。
昨日、『 オペラ座の怪人 』を映画館に観に行ったのですが、字幕に気をつけて観ていると、かなりの『 誤訳 』というか『 戸田流奇訳 』とでもいうべきものに気づきました。
あまり酷いので、本来なら、涙をこぼすべきところで、「 ブホッ! 」と吹き出してしまいました。
具体的には、例えばそれは、オペラ座の屋上でクリスティーヌとラウルが甘々ムードで『 All I ask of you 』を歌った後の場面。
ファントムが「 私を裏切るのか・・・? 」と涙ながらに歌ったその後の叫び。
「 ( クリスティーヌとラウルに ) 戦争を宣言する! 」
・・・えっ?
・・・ふつう、宣戦を布告しよう!とか、意訳して、災いあれ!とかなら分かるんですが。
純粋に日本語が奇妙だと思います。
または、『 The point of no return 』でクリスティーヌが、
「もはや引き返せない~♪」と歌ったのに続けて、
「私たちの情熱のプレイ( passion-play ) 」と・・・。
プレイ? クリスティーヌとファントムが歌うこの場面で、「 プレイ 」?
・・・イヤラスィ~! ドンファンにしても無理があるかと。
直訳にも程があるかと。
passion-play が「受難劇」を意味するのぐらいは、いやしくも字幕翻訳で生計を立てているプロならば知っているべきでは。
製作に参加したウェバー卿もびっくりの翻訳かと。
私も涙が引っ込みました(笑
そしてクライマックスに続く場面での字幕、
クリス「 女の肌への欲望・・・私はその餌食なの?」
ファントム「 血の匂いが喜びとなった私の運命。それは私を肉の歓びからも遠ざけた 」
女の肌・・・? 肉の歓び・・・?
ファントムがセクハラ男に! 戸田さんに殺意を覚えました(笑
原文が、
Am I now to be prey to your lust for flesh?
That fate, which condemns me to wallow in blood has also denied me the joys of the flesh.
・・・だったので、せめて、
「 血への渇望、私は今はその餌食でしかないの?」
「 運命なのだ、血に浸れと私に強いる運命は、私を人間のぬくもりの喜びを与えてくれないのだよ 」
・・・とでも訳してほしかった・・・(涙) ちょっと字幕が多いですが。
そもそも『 flesh 』は、欲望の意味もありますが、カトリックにおいては人の間での、あるいは夫婦間の一体感、神によって祝福されたひとつになったあたたかな心、これを意味することもあると仄聞しています。
ここでは、ファントムの言うfleshは、『 人のぬくもり 』を意味していたのでは?
クリスの「 穢れた欲望( flesh )に堕ちてしまったの?」との問いかけに、
「 ちがう! ただ、私は人との、いや君とのつながりが、あたたかな心の通わせ( flesh )が欲しかったんだ・・・!! 」
とでも解釈できる、ファントムの答えに込められた狂おしいまでの人のぬくもりへの餓え。
これこそが、あの場面に込められたウェバー卿のメッセージなのでは?
その後に続く、
「 母でさえ顔を背け、私の顔に仮面を付けさせた…! 」
との歌詞を考えるとそう思わざるをえません。
それを、女の肌ですと?・・・というか、どちらにせよ、セックスがしたかった訳じゃないでしょう戸田さん!
もういっそ、歌えばいい。
フレッシュ、フレッシュ! ららららら…フレ~ッシュ!
母にも拒絶され、他の人間は言うに及ばず、そして今また君にも拒まれた。
一度は音楽を通じ、心通わせたはずの私たちなのに・・・。
すべては、この顔が、私のこの顔が、醜い、ただそれだけで・・・!!
そう叫ぶファントムだからこそ、最後のクリス・ラウル、そしてファントムの三人が歌う場面が泣けるのだと思います。
ラウルの首に縄をかけ、締め上げながらファントムは言う。
「 私を選ぶか、ラウルを選ぶか決めるんだ。だが、ラウルを選べばこの男は殺してやる。
さあ、選べ。もう引き返せないのだよ 」
ラウルは言う、
「 それでは彼女は嘘をつく。僕を守るために、お前を愛していると言わせるのか?
すまないクリスティーヌ。 君を助けるためにここまで来たのに、僕は捕まってしまった」
クリスティーヌは言う、
「 あなたを音楽の天使と呼び、あなたを信じてきた私を、あなたは欺いていたのね。
暗闇に堕ちた、哀しみに満ちた人・・・。
・・・あなたはいったいどれほどの苦しみに満ちた人生を送ってきたの? 」
そして言う、
God give me courage to show you
you are not alone...
神よ、彼に伝える勇気を与えてください
あなたは、一人ではないわ・・・
こう言った彼女は、ファントムの醜いその顔に、その唇にキスをする。
やさしく、はげしくそして深く、慈しみと愛を込めて。
ファントムの世界にも、人のぬくもりはあったのだと。
ファントムにも、人の愛は注がれるのだと示した時、ファントムは哀しみとそしておそらくは少しの満足からの涙を流して二人を解放する。
Take her, forget me, forget all of this...
Leave me alone, forget all you've seen...
彼女を連れていけ。私のことは、ここでの事はすべて忘れて…
一人にしてくれ、ここで見た事はすべて忘れてくれ・・・
・・・こう解釈するのがふつうだと思うのですが、このクライマックスでも戸田さんはかましてくれました。
「 you are not alone... 」を、
「 あなたに惹かれたことを! 」
という字幕に!
惹かれた!・・・? すさまじい『 戸田流意訳de解釈 』かと。
しかも、なぜ『 ! 』とイクスクラメーションマーク付き? 盛り上げたかったのかしら?
たしかに、ファントムに対して、尊敬や敬慕、あるいは母のような慈しみの心はクリスも持っていたとは思いますが。
ラウルとの間にあったような愛情はなかったのでは、と。
クリス、ラウルの目の前で不貞を告白ですか?
監督やウェバー卿はそんなメッセージは望んでいないと思うのですが。勝手に解釈はまずいのでは。
クリスがファントムのことを好きだったのなら、なぜこの後、クリスとラウルはラヴラヴに歌を歌いながらさっさっと退場していくのか?
キスだけして、自分はラヴラヴ彼氏とグッバイ☆なら、これほどクリスティーヌがしたたかな女に。
そして、これほどファントムが惨めに観客に印象付けてしまうことはないのでは?
戸田さんの翻訳者としての語彙は確かに多く、右から左に英語を日本語へと変換していく能力を彼女はお持ちなのでしょう。
しかし、『 オペラ座の怪人 』での奇妙な訳や解釈は上記に留まらない。
( 字幕座の壊人こと突っ込み所満載の戸田流奇訳をこきおろしているのは、
http://enbi.moo.jp/phantom/phantom-movie.html
のサイトさんです。英語力アップにもなります(?)
こと情緒というものに関して、また勝手に解釈を付与するという点において、戸田さんには能力あるいは分別に大きな欠如があるのではないかと。
( 戸田さんは『 指輪物語 』こと映画『 ロード・オヴ・ザ・リング 第一部 旅の仲間 』でも奇訳を連発してましたね・・・あの時は、あまり気にしなかったんですが・・・ )
「 過つは人の常、許すは神の御業 」とは言いますが、この場合、程度にもよると思います。
戸田さんを、『 字幕座の壊人 』だと、そう揶揄してしまう人の気持ちは分からなくもないですね。
人のふり見て我がふり直せ。
戸田さんのようには、ならないゾ!と。
では、『 オペラ座の怪人 』のテーマは『 愛 』。
最後に、愛にちなんで、私がかつて仄聞した名言をひとつ。( 典拠は忘れましたが・・・ )
「愛は時として、屍肉よりもなお醜いものだ」
(2005-03-18 14:48:22に投稿したものを再録)