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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

情報の取捨選択、そして、判断を。 parte-02

2011-04-16 16:11:31 | Essay
 
前回のものをお読みになり、不愉快になられた方が多かろうと思います。

…それでも、まだ、お読みになる?

 ***

JAや自治体も、非常の時なのだから、言うべき処は言うにしても、協力すべき処は協力しなければ。
福島県知事は、東電社長のお詫び会見申し入れを断るし、とある自治体は―― 浪江町とのことですが―― 見舞い金2千万円の受け取りを拒否したとの事。
―― これはまずい対応です。 巧くない。

 “浪江町の根岸弘正総務課長は「住民一人一人への賠償金額が確定していない段階で受け取ることはできない。
  避難生活が長期化している住民への補償が先だ」と怒りをあらわにする。
  町の人口は約2万600人。1人当たり1000円も行き渡らないと指摘した上で、
  「事故の原因は東電。東電が直接住民に配って歩くのが筋ではないか」(スポニチ)


金額の多寡や、自己責任などについて、いま感情のままに罵る事によって、言った自治体自体が得る利は、一利も無い。
私なら、面従腹背でもよいから、素直にお金を受け取った上で、

 「大変な状況も分かるが、住民も早く自宅に帰りたがっている。
  東電の全力を以って、なんとか事態を解決して頂きたい。
  我々も、不便をこらえて、東電さんからの朗報を、お待ちしている!」


…とかなんとか、恩着せコメントをぶつけますね。カメラの前で、泣きながら訴えてもよい。
現金がもらえるなら、今はそれで急場の栄養サプリメントや、入用のものを購入するなどして、すぐに活用すればよいだけです。 避難住民のストレス解消のために、なにか タレントの慰問を交渉してもいい。 今の時期なら、「放射線が怖いから、行きたくないです。」 と拒否するような肝の据わったタレントはいないでしょう。 ―― 自滅するだけですので。

その点、小林幸子女史は、自身、被災地に乗りこんだ。 卓越した見識だと 云はめ。 さすがです。
つまらない癇癪を起こして、いらぬ角を立てて、何とするのやら。
お金にキレイも汚いも無いし、トップオーダーを履き違えてはいまいか。
ましてや、補償の「額」 ですって? 見識がないにも程がある。
この規模の事故は 前例が無いので、いったい「幾ら」 になるのか、いつ頃 確定するのか―― 予想も出来ない。 まして、それまで、東電が、現体制で存続しているのか。
まぁ、解体されているだろうとは、容易に予想できますが…。 「お金が欲しい時には、相手はいない」―― などと云うことになっているのではないでしょうか。

 ***

とかく、ヒトの気持ちは移ろいやすい。 いまでこそ 諸外国は、日本に援助を申し入れてくれては いる。
しかし、あまりに、国内での無意味な内ゲバ、政府行動の拙さや 経済悪化に拍車が掛かり過ぎれば―― どうなるかは、さて。

いつまでも、「善意」が続くなど考えてはいけないし、国と国の付き合いは、究極的には「国益のため」。
重すぎるお荷物とは、距離を置きたがるのが、国家の常であり、また そうあるべき。 諸共に自滅するなど、どんなロマンティストでしょうか。

政治は、冷徹でなければ行なえませんし、集団を よい意味で 操るためには、時として非情と思える判断も必要でしょう。

被災地の企業群が倒れたことで、連鎖的に、他の企業群にも、取引中止やそれによる給料減少などの影響も出てくるとは思います。 出ないことを願いますが―― 出るでしょうねぇ。 すでに、愛媛宇和島でも東北からのペレット原料調達ルートが崩れ、漁業関係でコスト増加が始まりつつあります。
お金で こじれれば、ヒトの心もすぐにこじれます。 東北が原因で、西日本がこじれる―― などということが起きぬよう、賢明な判断を願うばかりです。

―― ブクマ先のサイトで、気になる記事を読みました。
福島からの 避難住民の子どもが、転入先の学校で、「放射能がうつる」と言われ、情けなくも すごすごと福島に逃げ帰った事例があった由。

「余所者が、上がり込んできた」 という、地元民の感情もあったでしょう。
まして、子どもなんて、悪意のあるなしに関わらずいじめるものです―― 子どもですから。
当事者の親同士で、話しあいはしなかったのでしょうか。 いじめた方にも非はあるでしょうけれど、それで おめおめ福島に逃げ帰る親も親。
「放射線が怖いから」、「避難せよと指示があった」 から、よく検討もせず、避難先に移った。 困難があることは、承知だったはず―― 予想していなかったのか。
「暖かく迎えてくれる」? ―― そんな甘い感情があったのでしょうか。
知的障害者にすら、時として冷淡に接するのが当たり前の人間というものに、余所者が―― いかにこんな状況だとはいえ―― スムーズに受け入れてもらえるなどと、もし考えていたとするなら、それはあまりに能天気というもの。

あくまでも、「お邪魔している身なのだから」
例えば、早朝は 避難場所付近の掃き掃除をする。 あいさつを、元気にする。 外に出れば、道路交通マナーをしっかり守るなど、

 「さすが福島県民。こんな時でも、礼節を忘れない。見習わなければ。応援しなければ。」

―― そう、イメージ・コントロールを行なっていないのでしょうか。
「原発事故で避難しているのに。被害者なのに。 ―― いじめられた。 嫌な思いをしてまで居たくない。」

もし、そう考えて、福島に帰ったのなら、それは あまりに短慮すぎる。
もし、今後、原発状況が悪化して、また 県外へ行かねばならなくなったなら どうするのか?
もし、福島に戻っていることで、結果的に、子どもが深刻な被曝量になってしまったら、どうするのか?
「いじめられたから」 と、逃げ出したことを―― 悔やんでも悔やみきれないのでは ないでしょうか。
辛い時こそ、耐えて、こらえなくて どうするというのか。 子どものことを思うなら、逃げるべきではなかった。 毅然としていなければならなかったのではないでしょうか。

 ***

天皇陛下の、

 「これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。」

というメッセージは、戦後の、お世辞にも 洗練されていたとはいえない辛苦の時期を経験していればこそ、発せられたメッセージだと―― そう考えて、どうかいま少し、よく考えて、双方 行動すべきでは。
一時の感情の昂ぶりや、無責任な報道、ツイートや 人間関係のこじれに、選択肢を誤らぬように――。

なにか大きなことをするときは、「ゆっくり 大きく深呼吸をしてから」 と―― そう、教わったことがあります。
どうか、いま一度、深呼吸をされますよう、衷心から願います。
いちど決定すれば、なかなかに 覆せないがゆえに、ほんとうに、そう願います。
 

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