ファーマー・スタジオのブログを長く放置して申し訳ありませんでした。
今年からコロナが蔓延していますが、それとは関係なくファーマー・スタジオの在り方について
ずいぶん長く考えてきました。
革カバンを作ること、職人という存在、そしてコロナ後の社会の変化。
コロナが革業界にマイナスに働くとは考えてはいません。
むしろ時間はかかるけれども「職人」という存在の大切さは再確認され始めるのではないかと考えています。
今回のファーマー・スタジオのあり方に対する考えは自分自身、つまり私の生き方に起因しています。
私は以前から書いているようにデザイナーに長く就いていました。
デザイナーから革職人への転職は「うつ病」の発症や業界のモラルの悪化などいくつかの要因の結果でした。
教室が拡大し生徒数が50名を超える頃から、自分の立ち位置を疑問に思うことが多くなりました。
生徒からの要望が増えるたびに教室の中でがんじがらめになり思っている方向とは
違う方向に進まなくてはならなくなっている自分に気づいていました。
生徒の人数には関係なく、彼らの未来や方向性に対する責任は重く、
プロを輩出出来る教室のあり方を続ける限りそこからは逃れられないことを自覚していました。
私は自分のことを良く「種を蒔く人」と呼んで位置付けてきました。
それは今でも変わっていません。
現実に私のような未熟な講師であっても、私の教室からは数名のプロを輩出しています。
それは「プロ」と「アマチュア」の差は技術などではなく、
ものづくりに対する意識の違いだという信念に共感できた生徒たちが存在したからだと思っています。
技術はその意識の下で本人が育て上げるものだと思っています。
最近よくデザインのことを考えます。
それは望郷のように懐かしい感覚ではなく、もっと奥底から湧きあがる情熱に近いものです。
この15年の間に歳を取り、命に関わるような病気も経験しましたが、まだ生かされている自分自身と
この新しい情熱に対して、諦めず、前を向き、立ち向かうことが自分の使命のように感じ始めています。
「革」とか「鞄」という枠に囚われず、
もっと大きなフィールドで「種を撒き」育てなくてはならない。
そんな気がしています。
これまでの経験が役に立ち、また役に立たないかもしれない、という覚悟をして
踏み出すべきだと心の中で叫んでいます。
「革や鞄」を捨てるのではなく、それらを全て包括して、目の前の荒野に種を蒔く。
花が咲くのか実がなるのか分からないけれど、自分自身がそうだったように
小さな種から小さな芽が出るのを見てみたいと感じています。
活力に溢れ体力もあった30代の頃と同じように踏み出す自分にワクワクしています。
燃え尽きる直前のロウソクは明るく輝くと言いますが、
私のロウソクはこの三年間で知恵と経験を蓄えてゆっくりと消えることなくまだ燃えています。
いろんなことにチャレンジし、経験をさせていただき、様々な人に迷惑をかけ、
それでも我がままを押し通させていただいてきたことに感謝します。
恩を返すことができるかなんてわかりませんが、
もう一度我がままをさせていただきたいと思います。
大地に水をまき、光を注ぎ、種を落とすことをお許し下さい。
これが私の我がままです。
運があればまたお目にかかれるかも知れません。
まずは、最初の花を咲かせようとしています。
この花があなたの目に届きますように。
今年からコロナが蔓延していますが、それとは関係なくファーマー・スタジオの在り方について
ずいぶん長く考えてきました。
革カバンを作ること、職人という存在、そしてコロナ後の社会の変化。
コロナが革業界にマイナスに働くとは考えてはいません。
むしろ時間はかかるけれども「職人」という存在の大切さは再確認され始めるのではないかと考えています。
今回のファーマー・スタジオのあり方に対する考えは自分自身、つまり私の生き方に起因しています。
私は以前から書いているようにデザイナーに長く就いていました。
デザイナーから革職人への転職は「うつ病」の発症や業界のモラルの悪化などいくつかの要因の結果でした。
教室が拡大し生徒数が50名を超える頃から、自分の立ち位置を疑問に思うことが多くなりました。
生徒からの要望が増えるたびに教室の中でがんじがらめになり思っている方向とは
違う方向に進まなくてはならなくなっている自分に気づいていました。
生徒の人数には関係なく、彼らの未来や方向性に対する責任は重く、
プロを輩出出来る教室のあり方を続ける限りそこからは逃れられないことを自覚していました。
私は自分のことを良く「種を蒔く人」と呼んで位置付けてきました。
それは今でも変わっていません。
現実に私のような未熟な講師であっても、私の教室からは数名のプロを輩出しています。
それは「プロ」と「アマチュア」の差は技術などではなく、
ものづくりに対する意識の違いだという信念に共感できた生徒たちが存在したからだと思っています。
技術はその意識の下で本人が育て上げるものだと思っています。
最近よくデザインのことを考えます。
それは望郷のように懐かしい感覚ではなく、もっと奥底から湧きあがる情熱に近いものです。
この15年の間に歳を取り、命に関わるような病気も経験しましたが、まだ生かされている自分自身と
この新しい情熱に対して、諦めず、前を向き、立ち向かうことが自分の使命のように感じ始めています。
「革」とか「鞄」という枠に囚われず、
もっと大きなフィールドで「種を撒き」育てなくてはならない。
そんな気がしています。
これまでの経験が役に立ち、また役に立たないかもしれない、という覚悟をして
踏み出すべきだと心の中で叫んでいます。
「革や鞄」を捨てるのではなく、それらを全て包括して、目の前の荒野に種を蒔く。
花が咲くのか実がなるのか分からないけれど、自分自身がそうだったように
小さな種から小さな芽が出るのを見てみたいと感じています。
活力に溢れ体力もあった30代の頃と同じように踏み出す自分にワクワクしています。
燃え尽きる直前のロウソクは明るく輝くと言いますが、
私のロウソクはこの三年間で知恵と経験を蓄えてゆっくりと消えることなくまだ燃えています。
いろんなことにチャレンジし、経験をさせていただき、様々な人に迷惑をかけ、
それでも我がままを押し通させていただいてきたことに感謝します。
恩を返すことができるかなんてわかりませんが、
もう一度我がままをさせていただきたいと思います。
大地に水をまき、光を注ぎ、種を落とすことをお許し下さい。
これが私の我がままです。
運があればまたお目にかかれるかも知れません。
まずは、最初の花を咲かせようとしています。
この花があなたの目に届きますように。