宮城県の小さく綺麗で穏やかな海辺に住む、はげたま(禿頭)おっさんの~ごまめの歯軋り~

子供や高齢者は国の宝、且つ障害者等社会的弱者の人権を尊重し守ってこその先進国。年々逆行する現実に抗し当り前の国にしよう!

★「ムジカ音楽・教育・文化研究所」という、素晴らしい人間集団

2011年06月17日 03時15分36秒 | 日記

【「ムジカ」の人たちの、励ましの寄せ書き(大切なお名前をよごして申し訳ありません)」

かみさんのホームページ『阿部りつ子の女川町(おながわちょう)便り』

『音楽』で、今回の大震災(巨大津波)後、幾度励まされ涙したことだろう

▼「ムジカ=musica」という言葉は、「音楽」という意味だそうです。

そして表題に書いた団体『ムジカ音楽・教育・文化研究所』リンク)が、東京都渋谷区千駄ヶ谷を拠点にして、多彩な活動をしているのです。

▼通称は『ムジカ』です。

 そのホームページによれば、
《”すべての人々に音楽の喜びを”、という願いのもとに1976年創立。

”ともに学び、ともに創る”をモットーに音楽だけでなく、教育、文化に関する独自の企画を展開してきました。
 ”どんな時代にも、
人と人をつなぎ、夢をひろげ、生きる喜びにつながる企画を目指していきます。”》

と、あります。

そして、私たち被災地に寄り添ったメッセージがありました。

▼その「ムジカ」の皆さんから、この度大量の夏物支援物資が贈られてきました。

添えられていた「ムジカ」の広報紙には、大震災後にいち早く”復興の支援のため”に立ち上がり行動した事が書いてありました。

こちらがまだ混乱の中にある4月3日には、遠い東京の地で、そのような活動をしてくれていた事に、頭が下がると同時に、嬉し涙を禁じ得ませんでした。

▼特筆すべきは、家内宛てのK・Kさんのお手紙に「救援物資が本当に困っている人、個人宅へ届かない。横のつながりを持って被災者全体に品物がまわるようにして欲しい。」とあった事です。

本当に被災地の現状を理解していただいている事が、嬉しい事でした。

当地では、せっかく仮設住宅に当選しても「自立するお金に不安」を抱えて当選を辞退して、避難所に戻る人もいるのです。

▼「ムジカ」におられる、先に書いたK・Kさんは女川町の出身で、その方からは以前にも、支援物資をいただきました。

今回は「ムジカ」の皆さんが、色紙に『女川が、元気になりますように』、『必要な品物を、どうぞお知らせ下さい』、『みんな応援しています。これからも、みなさんと共に歩んでいきたいと思います』、そして『生き抜きましょうね』と書いてあり、皆さんのお名前が書いてありました。

私は、お会いした事のない、お一人おひとりのお名前を声を出して読み上げました。

すると、ご当人さん達が目の前にいて、微笑んでいるような気がしたのです。

そして私は、男のくせに不甲斐ないのでしょうか、歳のせいなのでしょうか、涙腺がすっかり緩んでしまいました。

本当に、女川を心配していただいて感謝しています。

そして何より、物資を届けられた人々の、喜ぶ顔が今から見えるようです。


 ▼さて、K・Kさんと私たちの縁ですが、その昔、今から30数年前に私たちは「女川合唱団」を創り、素人ながら町内での発表会を目標に、活動をしていました。

合唱団の団長が I さんという人で、その人がK・Kさんと同級生だったのです。

プロのK・Kさんは、それを知ってから下手な私たちの合唱を、暖かな眼差しで指導して下さいました。

▼私たちの発表会は、2回で終わりましたが(団員の結婚等で維持できなくなった)、それなりに成功裏に終わったのも、K・Kさんの存在が大きかったのです。

そして、それは今でも私たちそれぞれの元団員の心の中に、合唱団を解散せざるを得なかった若き日の、ほろ苦くてそして甘い想い出として、懐かしく宿っています。

今でも、その当時のK・Kさんの優しい笑顔が脳裏に浮かんで来ます。

▼その恩人が、今回の大震災に伴う巨大津波に飲み込まれた女川町民のために、必死に支援して下さっている事は、私たちの心の支えです。

K・Kさん、「ムジカ」の皆さん、本当にありがとうございました。

▼この拙いコラムをお読みの首都圏や全国の皆さん、「ムジカ」という素晴らしい人間集団が企画する、さまざまなコンサートや対談などの催しを、是非ご覧いただきたいと願います。

それが、私たち被災地を勇気づける事につながると信じています。

何故なら、「ムジカ」の良心が皆さんの心に伝播して、大きな輪になると想うからです。


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