【女川町の離島、出島地区を歩く家内(右)と、諸葛亮孔明様】
かみさんのホームページ『阿部りつ子の女川町(おながわちょう)便り』
諸葛亮孔明様(誰が何と言おうと、私の人生の師である)
九州の方では、記録的な豪雨で大変な被害が出ていて、他人事でない思いを強く抱くと同時に、今日この頃の地球の尋常でない動きに恐怖心を抱いております。
昨年の3.11が強烈に心に残っているのは当然ですが、律子たち議会・震災対策特別委員会が北海道奥尻島を訪問して、19年前の北海道南西沖地震の調査に入ったのを機に、入院前に私めも改めて当時の記録を読んだ事も影響しています。
しかし、凡そ恐怖心などというものは無知によるものが多く、その原因を知ってみれば、「あぁ、なんだぁ」となる訳なのですが、この頃はそうも言っていられない例が目につくようで、背筋が寒くなりませんか?そう夏向きに・・・・・!
【奥尻町の津波館に展示されている、青苗地区の被災の様子】
例えば、福島第一原発に係る国会の事故調報告書提出。
かねてから私たちは、事故を「人災」と位置付けてきましたが、それが国会の事故調査委員会報告という、より権威のある形で証明されたのは、喜んでいいのやら嘆くべきことなのやら・・・・・ともあれ~~~権威あるものと思われてきた張子の虎がガラガラと音を立てて瓦解する有様をつぶさに見て来た身としては、国会事故調の報告書が日本再生の一里塚になると思いきや、国会事故調の報告書を恐れた野田政権は、事故の混迷を深めた枝野・経産大臣(事故当時、官房長官)が入った関係4閣僚会議で、大飯原発3・4号機の再稼働を、報告書を待てという声を圧殺して、そそくさと決めたのでありますね。
関係4閣僚会議とは、野田・総理大臣、藤村・官房長官、枝野・経産大臣、細野・原発事故担当大臣(環境大臣)で開くものですが、驚く事に、その会議に仙谷・党政調会長代理(事故後当時、内閣官房副長官)が、常に同席しているのです。
党の政調会長代理だから権利があると主張するのかも知れんけれど、彼の毛沢東礼賛が耳に残る身としては、彼の政治手法の中には、彼が弁護士として語る言葉の裏に、ある種の恫喝的手法を散りばめている危険性を危惧するのです。
つまり、反対意見はどんな手段を使っても潰すのであり、権力を握っているのであるから、それは容易いこと・・・おぉ怖っ!
【所詮は同床異夢だった民主党政権の立役者たちと同時に破壊者者たち】
そして、彼も重要なキャストの一人である民主党跡目の正当性争い。
かねてから狙っていた小澤某とその一派の追い出しには成功したものの、綱領のない彼らは羅針盤のない泥船。
何が恐怖かと言えば、彼らが何をやらかすか解らない怖さであり、憲法改悪など朝飯前かも知れません。
そのあまりの危険性から、圧倒的国民と沖縄県民が反対しているオスプレイ配備計画など、私たちの意表をついた思いもかけない動機づけで、改憲を狙って来るかも知れませんね。
それらを実現させる手法はかなり乱暴で、今国会で消費税増税法案をごり押ししようとしているのと同様、戦前の大政翼賛会的な議会無視の法案押し付けであり、押し並べて強きを援け弱きをくじき、己が生き残る行動様式が恐怖なのです。
さて話しはころりと変わりますが、天下の鳩山由紀夫・元総理のこと。
その辺のやくざ屋さんなど足元にも及ばない凄まじい権力闘争をなさっていて、遂に創業者?を自認するも追い出される寸前に追い込まれ、党内に残って本来の民主党に戻す努力をする、とか・・・・・訳の解らん事を言いおって・・・・・・そもそも、総理大臣経験者は、国会議員を辞すべき、と高らかにのたまわった(宣う、の誤用)のは誰?
むむっ (-_-;) ?
もっとも民主党とは、元・極左から自民より右の連中まで何でもありの構成員だから、事情通の師には驚くに値しないのでしょうね。
ところで大手マスゴミ(テレビ・新聞)は、毎週金曜日に首相官邸前行われている大飯原発再稼働反対や原発ゼロのデモを無視していたが、わずか300人の参加から始まった”紫陽花革命”が毎週参加者の大幅な増加を記録して、7月16日の10万人原発反対集会を報じざるを得なくなったようですね。
歴代自民党政権や野田民主党政権がアメリカのポチならば、マスゴミは政権の御用聞きに堕落してしまい、政府の嫌がる市井の人間のデモは、よほど大きくならない限り報道しないのは、マスゴミの自殺行為でしかないですよね。
まっ、国民の声を無視している今現在のマスゴミは、ますます若者から敬遠され、やがてマスコミとしての使命が終わる日が来るのかも知れませんね。
さてさて、入院中の暇人の私めには、まだ種がありまする。
連日マスコミが大々的に報じている、滋賀県大津市の市立中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した問題です。
この問題は報道を信じる限り、両親が市や同級生らを相手取って起こした民事訴訟を契機に、いじめの実態や学校側や市教委や市のずさんな対応が、ぞろぞろ明るみに出たきた構図ですね。
市教委はいじめの存在を認めながらも、全国どこでも同じの金太郎アメ的対応に終始して追い詰められ、自殺といじめの因果関係は不明としましたが、裁判を通じ「いじめ」の実態に関する全校生徒へのアンケート結果の全容など、詳細な証拠が次々と明らかになってきていますね。
学校の対応に批判が集中すると、女性市長は涙を見せて態度を軟化、女性はいいなぁ、涙という武器があって。
私めだったらそうはいかん・・・・・、ともあれ非を認めて和解の意向を示し、市議会では一般傍聴人に異例のアンケート公表も行われたようです。
もっともインターネットの世界では話題沸騰中だそうで、加害少年の顔写真はおろか実名や父親のプライバシーもすっかり暴かれているそうであるが、そこまで事態が進むと、これは別の事件の顔を見せてくるのは当たり前だから、第三者が調子に乗って犯人バッシングに狂奔するのは、感心できませんなぁ。
政治屋や教育者や司法関係者等々、権威の象徴たる地位にある立場の人たちの、余りにみっともない堕落に、さしもの私めも、彼らに比べればこれ以上ないという善意の塊の人間と自賛できるから、世も末であるまする故、怖い夏です。
ところで私めの手術でありますが、表題の通りでありまして、昨夜まで再手術も視野に入れた微妙な心境でありました。
再手術となると、今度は今回のような訳にはいかず、脊髄に割り箸程度の電極を2本、ノー麻酔下で埋め込む手術が先にあり、その後、全身麻酔下のパルス発生器腹腔内埋め込み手術となります。
脊髄に電極を埋め込むには、患者に効果を確認しながら手術を進めるために、ノー麻酔下で行うのですが、これがまた、夏の夜の出来事に相応しく、筑波山麓四六の蝦蟇もかくありなん、という程の悪行苦行で、脂汗がタラ~リ・タラリ、という残酷な手術であり、歴戦の強者である坂病院の看護師たちも驚く忍耐力が求められます。
さすがの私めも、これらに思いを致したら気分が滅入ってしまいました。
しかし左右の電極の動きにバラつきがあり、どんな体位をとりましても、左臀部の強烈な苦痛から逃れられないでおりました。
Drに言っても、これと言った解決策もなく、一昨日なんかはメーカーが来たのを良い事に、メーカーに丸投げの有様でした。
しかし、それでも症状が好転せず、私めの悩みは深くなる一方でありました。
そこで、長い病歴を誇る私めの、徒手空拳的な経験則に基ずく根拠の希薄な泥縄式パルス発生器操縦法を敢行したのです。
何と、素人の直観にて、げに驚くべき成果を上げるまで粘って、夜を徹してその解決に取り組んだのであります。
理論とか公式とかを捻り出したり、考え出したりしたのではなく、ただひたすらに愚直に、左右のコントローラー制御数を組み合わせたものであり、それは数百度に及びました。
深夜の薄暗い病室で、微かに響くコントローラーを操る音に加えて、右手の人差し指で制御するピッピッピッという電子音。
う~む、十分に夏の夜の怪談の趣きが出てまいりました。
チッ、チッ、チッ、チッ、と時計の針が進み・・・・・・・・・・遂に、朝方、5時半。
朝も明けて来た頃、待望の数値を割り出す事に成功したのです。
想いついてから10時間もの時が流れていました。
いやぁ、自画自賛しますが、知恵と忍耐の代物以外の何物でもありません。
そりゃそうです、不自然な体勢と苦痛に耐えたのですから。
「自分で自分を褒めたい・・・ボク・・・!」
唐突ですが、1992年バルセロナ五輪女子マラソン本番での有森裕子は、29Km付近で3位集団から抜け出してスパートしましたが、ご記憶ですか。
レース終盤の35Km過ぎ、先頭を走っていたワレンティナ・エゴロワに追いつき、その後エゴロワと二人で急な登り坂が続くモンジュイクの丘にて、約6キロに及ぶ激しい死闘を繰り広げたものの、奮闘及ばず結局、銀メダルに終わったのでした。
続く1996年アトランタ五輪女子マラソン本番での有森裕子は、30Km地点で2位集団を抜け出してスパート、トップを走っていたファツマ・ロバを追いかけ始めました。
その後33Km過ぎでは、前回のバルセロナ五輪に続いて、ワレンティナ・エゴロワとの激闘を繰り広げたものの、35Km手前でエゴロワには徐々に引き離され、苦しい表情を浮かべながらも3番手の位置を死守し、銅メダルに輝いたのです。
二大会連続の五輪メダル獲得は、日本女子陸上選手では有森裕子が初めての快挙でしたね。
ゴール後のインタビューで「メダルの色は、銅かもしれませんけれども……、終わってから、なんでもっと頑張れなかったのかと思うレースはしたくなかったし、今回はそう思っていないし……、初めて自分で自分をほめたいと思います」と涙ながらに語った彼女の姿は、師の心をも揺さぶった事と思っています。
左右のコントローラーの基礎的最大パルス発生回数は、共に106です。
これを組み合わせていくのですが、操作は左右とも一度やったら初めに戻して再挑戦、という気の長い取り組みでした。
長い苦闘の末得られた左右のコントローラーパルス発生数は、以下の通りになりました。
体感最低限界値=left―56、right―4、体感最高限界値=left―100、right―36、体感通常限界値=left-76、right-14、体感推奨値=left―60、right―10、となったのです。
そう、私めは、不遜にもこの時、有森裕子になっていたのです。
「自分で自分をほめたい」と。
そう、私めは究極の、「他人に厳しく自分に甘い」人生を送っているのですが、思わぬ所で露呈しました、残念。
今、この長いメールを、ベッドの背凭れを上げた状態にして全体重をもたせかけ、足元は奇跡に近い姿勢ですが、何と枕で高くした所に胡坐で座り、書いているのです。
もちろん、コントローラーの数値は、体感推奨値=left-60、right-10、です。
私にとっては、10年以上も夢に見た、生きている内は諦めた胡坐状態(完全ではありませんが)です。
マンセイ、マンセイ、マンマンセイ(万歳、万歳、万々歳)であります。
師よ、喜んで下され。
この喜びが、退院してからも続いている事を願って下さい・・・・・ん?
私は横浜に住んでおります。
がれき問題では悩んでいます。
女川町の被害の状況・・死者・行方不明者の数などは何日のブログに記載されていますか?
▼『がれき問題』に関するブログは、カテゴリー「社会」の本年3月13日の『★女川町の瓦礫処理に、広域(全国)のお力をお貸し下さい・・・!』があります。黒岩神奈川県知事に感謝している事も書いています。「瓦礫の広域処理」に理解を示して、少なくない自治体に影響を与えているからです。
▼女川町の『東日本大震災』(巨大津波)による被害の状況は、カテゴリー「日記」の、昨年6月17日の『★地獄をみた女川町民・・・・』に書いています。昨年3月11日当時の人口は約1万人でしたが、およそ一割の住民が犠牲になり、七割の家屋が全壊しました。
当然、私の親類や友人・知人にも多くの犠牲者が出ました。現在の人口は、わずか一年四か月あまりで、当時より二割も減少して八千人ほどになっています。復興を急がないと、町そのものが存亡の危機に陥る可能性があります。
▼私の住む宮城五区選出の代議士は、民主党の安住淳氏です。彼は財務大臣を務めていますが、原発事故を除いた大震災の津波被害が一番酷い地域なのに、彼は消費税増税には財務省言いなりで熱心ですが、地元復興の足を引っ張る事に思いが至らないようです。増税のタイミングが、家の再建と同時期になると、家の再建を考えている多くの知人は心配しています。復興のつち音も中々聞こえて来ない中、民意は彼から離れています。野田民主党政権は、鳩山・菅政権と続いた駄目な系譜を見事に引き継いでいて、まるで自公のしもべのようですね。
▼今(7月29日午後5時50分)、テレビのニュースでは、「さようなら原発~国会包囲デモ」を報じています。毎週金曜日の官邸前デモ情報が、TwitterやFacebookなどでどんどん拡散され、毎週参加する普通の市民が倍々ゲームのように増えています。昨年一月、チュニジアで始まったアラブのネットを通じて拡大した『ジャスミン革命』になぞらえて、『あじさい(紫陽花)革命』と呼ぶ人たちも出ています。当初は全ての大メディアが無視していましたが、その報道姿勢の情けなさを海外メディアが批判すると、さすがにこの頃は、どこのメディアも無視できなくなり報道しています。7月16日(月)の『さようなら原発10万人集会』には、17万人もの人々が集まりました。私の家内も、はるばる上京して参加し、物凄い数の普通の市民の熱気に圧倒された、と言っています。
▼女川にも原発があり、『女川原発再稼働反対署名』には多くの県民が署名をし、東北電力や国も慌てはじめています。『将来のエネルギーに関する公聴会』でも、”やらせ”が発覚して、『原子力ムラ』の懲りない体質は変わっていないようです。福島第一原発事故原因に関しては、『民間事故調』『国会事故調』『政府事故調』と、現状で知りうる報告が出そろい、『人災』を覆い隠しようがなくなりました。原子炉や格納容器の破壊程度を調べようがない現況では、全容解明まではいきません。しかし、今後、調査が進展すればするほど、『人災』や『地震による破壊』がより明白になり、『想定外の津波』との言い訳は通らなくなくなるでしょう。科学的な調査を詭弁を弄して否定し、原発稼働に固執する『原子力ムラ』の人々は、もう国民の敵と言わざるを言えないと思います。
女川といえば「さんま」ですが今年は余りとれないと報じられていますがこれも大変ですね。女川原発も不安です。
神奈川には原発はありませんが原子力潜水艦が横須賀におり大変です。国会前デモやらに行っています。東北の皆さんの粘りから学んでいきます。お大事に!!
お母さんを亡くしたが健気にも野球を生きがいに頑張っている姿を見ました。支援金の使い方で放映された??
私達は東北の事は忘れません。
お身体お大事にしてください。
議員さんにも宜しく!
原発も見てきました。山道を原発で働く労働者を乗せたバスに何台もすれ違いました。朝石巻駅で高校生があふれており救われました。