コツコツ歩き隊!

水戸の偉人銅像めぐり(1):会沢正志斎

水戸出身の偉人

水戸市内(茨城県)を歩き回りますと、時々、水戸出身の偉人の銅像を見かけます。
これがまぁ、チョクチョク見かけるものですから、気になり始めまして、
シリーズものとして1本立ちあげてみることにしました。

水戸に住むのであるなら、水戸の歴史にぜひ、触れておきたいと思うのですが、
いつまた引越しとなるか分からない状態ゆえ、偉人銅像めぐりなどを通して勉強したいと思います。

第1回目は「会沢正志斎」です。

会沢正志斎について

江戸時代後期から末期(幕末)の水戸藩士、水戸学藤田派の学者・思想家。
会沢正志斎は藤田幽谷の弟子として学問を深め、史館に入って修史に携わり、
後に彰考館総裁となった。
また、第9代藩主徳川斉昭やその子、15代将軍徳川慶喜の師でもあった。
幽谷から正志斎へと発展した水戸学の思想は、藩政治改革の指導理念となった。
特に文政8年(1825)に著した「新論」は、わが国体に基づいた大改革の構想を示したもので、
幕末志士達の尊王攘夷論の教科書として熟読され、
長州の吉田松陰、久留米の真木和泉守などに強い影響を与えた。
(ウィキペディア、銅像の台座の説明文より)

※史館・・・彰考館
※彰考館・・・水戸藩が『大日本史』を編纂するために置いた修史局(史局)である。

水戸学について

水戸藩の「大日本史」編纂事業を中心に興った学風。
前期は徳川光圀のもとに朱子学の大義名分論に基づき尊王論を展開。
後期は徳川斉昭を中心に天皇を尊び、覇者を排斥する尊王斥覇の理論から攘夷論を展開した。
(山川出版「日本史B用語集」より)

水戸の歴史を調べることは日本の歴史を勉強することにもなるのですねぇ。
幕末を水戸視点から見ることができる良い機会かもしれません。
(なんかすごい勉強になりそうです。)


どなたが投票して下さっているのか分かりませんが、本当にありがとうございます。これからも頑張ります!

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