如意吉祥

祀り継いで千年余にもなるという”わしらが郷の大日如来”地縁が、或いは地縁を育んだ象徴・・・に思いを馳せて

今昔

2019-11-27 11:41:37 | 日記

 

 思い出話

    

 これらの写真は島田市六合(道悦)に在る八幡神社と境内に建てられた忠魂碑です。境内の東隣りには、私も通った中学校が在りましたが、昭和61年JR六合駅が新設される際、その用地に供され現在では、駅南の広場となってしまいました。

 先の大東亜戦争では、我が六合地区でも、少なからぬ人が兵士或いは軍属として戦地へ赴き、150余名が還らぬ人となられました。この英霊たちを顕彰しようと昭和53年3月六合地区遺族会で建立したのが、鎮魂の碑であります。

 鎮魂之碑建立の趣旨書きは懐かしい。と云うのはこの時、私の父親が建設委員の一人であって、この碑文の下書きを見せられ、読んだ感想を求められたのを覚えている。昭和52年頃高校3年の時だったと思う。(繁栄を願いと書くべきだったろうし、気持ちは分かるのだが一片の令状と云う表現は適切か、夢見るという語彙の遣い方が適切か)少し添削すると以下のようになる。

 

 この碑は明治維新以来先の大戦まで数々の戦役に於てひたすら祖国の安泰と民族の恒久的繁栄を願い 一片の令状で死線を超えた戦場に赴き 青春時代の情熱を注ぎ灼熱の太陽が照りつける南海の果てに 或いは又 厳寒の北野に 飢と病魔の苦しみの中で敵軍と戦い続け 懐しい故郷の山々や 愛おしい肉親との再会を夢見つつも遂に護国の華と散られた六合地区出身戦没者の尊い御霊を御祀した鎮魂の碑であります

 私共六合遺族会でこの度この御霊を安らかに合祀奉り御遺業を御顕彰申し上げて 歳月の流れと共に薄れ行くあの悲惨な戦争の教訓を末永く後世に伝えて 二度とあの悲劇を繰り返さないため 尊い平和の象徴としてこの碑を建立することを願い広く六合地区全域に呼びかけた処 全住民の皆様より深いご理解と温い御厚志を賜り 茲に立派な鎮魂之碑が建立された次第であります

 昭和53年3月 

 記事を追加しようと設楽、消えてしまった! 大丈夫か?


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