野村監督はあの楽天を4年目で早くもCSのステージに乗せ、ヤクルトでは92年から97年の6年間で4度のリーグ優勝、内3回日本一にするなど監督としての手腕も勿論秀逸ですが、何といっても現役時代の捕手でありながら残した圧倒的な打撃成績は目を見張るものがあります。当時のパリーグは中西・豊田・山内・田宮・張本・大杉・スペンサーなどの強打者がごろごろいましたが、ホームラン王を8年連続を含む9回、打点王は6年連続を含み7回、史上初の2.500安打達成、キャリア2.901安打・657ホームラン、ベストナインに19回、オールスター出場はなんと22回、MVP獲得も5回で65年には戦後初の三冠王に輝いています。月見草どころか見事に咲き誇った大輪の花、セのONと並ぶスパースターでした。
監督として多くの選手を育てたことは胴上げの時に稲葉など相手チームの選手まで参加していたことでも分かります。他にもランナーを置いたときのクィック投法の発案や江夏をリリーフに起用してその後の継投体制を確立しました、当時は先発完投が勝ち試合のパターンでした。
現役時代は打者に「ささやき」で幻惑、監督になってからは「ぼやき」で選手を鼓舞、ID野球の導入などユニークな言動・発想の人でした。
野球界に多くの足跡を残し、常に話題を提供していたムースがユニーフォームを脱ぐのはちょっと寂しい気持ちがします。
監督として多くの選手を育てたことは胴上げの時に稲葉など相手チームの選手まで参加していたことでも分かります。他にもランナーを置いたときのクィック投法の発案や江夏をリリーフに起用してその後の継投体制を確立しました、当時は先発完投が勝ち試合のパターンでした。
現役時代は打者に「ささやき」で幻惑、監督になってからは「ぼやき」で選手を鼓舞、ID野球の導入などユニークな言動・発想の人でした。
野球界に多くの足跡を残し、常に話題を提供していたムースがユニーフォームを脱ぐのはちょっと寂しい気持ちがします。
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