高く飛躍する前にはやらなくてはいけないことがあります

2015-11-28 08:16:02 | 日記
仕事の前にはラジオを聞いて話のネタを探しています。


今朝はラジオに格闘家の魔裟斗さんがインタビューをうけていました。


その中での一言が印象に残りました。


「苦しい時、挫けそうな時にこんなアドバイスをもらいました。高く飛躍する前には一度しゃがまなくてはならない。君は今しゃがんで力を溜めている時なんだ」


スポーツを頑張る子どもたちが今はまだ勝てないのも、私が仕事や家庭について考えるほど結果が出ていない時にも


まだしゃがんで力を養わなくてはならないのだと考えると、納得出来るように思えます。


しゃがむと言うのは「学び」や「経験」と言う修行の段階かなと今は理解しています。


この積み重ねをどれだけするかで今後の飛躍する展開が変わってくるのではないでしょうか。


今日はこれからレスリングの練習です。


大きな飛躍をする為に溜めを作ります。


未来の輝かしい飛躍を夢見ています。


溜めすぎると逆に飛びにくいので、タイミングも大切です(笑)

幸せを招く言葉

2015-11-27 06:31:22 | 日記
怒りの感情は6秒で消える。


何故だか人は


悪口、愚痴、妬み、悲しみ


を言いたい人が多いようです。


ですがよく考えると、これらは言ってもほとんどの場合解決しません。


解決がするとしてもとても時間がかかるような気がします。


人を傷つけてしまいやすい言葉にはマイナスのエネルギーが多く存在しているのだとも考えています。


でもこれらは笑顔では言いにくい言葉です。


笑顔は「ありがとう」と言う言葉が言いやすかったり、笑いやすかったりするのです。


人が発する言葉や、話し方でも健康状態(言葉の場合心理面が多いかも知れません)を知る目安にもなるのです。


愚痴ばかり話すおばあちゃんがいました。


その方は介護をしてくれている夫に不満があったようなのです。


「○○さん、愚痴ばかり言うとバチが当たるよ。」


そう話しても聞く耳はなく、その不満があまりに大きくなってきたので心配していました。



そしたら、そのおばあちゃん体調を崩し始めたのです。



体調が戻り、施設利用開始になった時私に話してくれたのです。


「あの時私変だった。あなたに言われてから考えてありがとうをたくさん言うことにしたの。そしたら体がね回復してきたの!教えてくれてありがとう♪」


嬉しかったです。普通の生活の中ですが、こんなことが分かるだけでも体調を崩さない予防に繋がるのです。


言い方を更に変えれば、笑顔でありがとうをたくさん使い、愚痴や悪口を出さないでいれば幸せや健康は自然とやって来るということではないでしょうか。



今回も読んでいただきありがとうございました!

今日は素敵な言葉に出会えた日

2015-11-17 22:56:20 | 日記
夢なんて叶えなくても、この世に生まれて、生きて、死んでいくだけで、人生は大成功だ。

どんなに高いワインよりも、喉が渇いた時の一杯の冷たい水の方が旨い。

お袋が握ってくれたおにぎりより旨いものはない。

贅沢と幸福は別物だ。

慎ましく生きても、人生の大切な喜びは全て味わえる。

人生はそういう風に出来ている。


北野武「夢を叶える事」より抜粋

別れは突然来るかも知れません

2015-11-17 13:11:22 | 日記
介護でも似た経験があります。
会えなくなってから後悔したくないので私は仕事に手が抜けません。

それではお読みください。
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ありがとうの反対語など
今まで考えたこともなかった。

教えてもらった答えは・・・

「あたりまえ」

「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」
「有難(ありがた)し」という意味だ。

あることがむずかしい、まれである。
めったにない事にめぐりあう。

すなわち、奇跡ということだ。

奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」

我々は、毎日起こる出来事を、
当たり前だと思って過ごしている。

歩けるのが、あたりまえ。

目が見え、耳が聞こえるのが、あたりまえ。

手足が動くのが、あたりまえ。

毎朝目覚めるのが、あたりまえ。

食事ができるのが、あたりまえ。

息ができるのが、あたりまえ。

友達といつも会えるのが、あたりまえ。

太陽が毎朝昇るのが、あたりまえ。

うまれてきたのが、あたりまえ。

夫(妻)が毎日帰ってくるのが、
あたりまえ。

そして…

生きているのが、あたりまえ。

また、ある夫婦の話もしてくれた。

晩酌の時、いつも無口の夫が、
「ちょっと、お酌してくれないか?」
と珍しく妻に言った。

台所の片付けをしていた妻は、
「今、忙しいから自分でやって」と答えた。
夫は少し寂しそうだったが、
手酌で酒をついだ。

その、2~3時間後、夫は急に倒れ、
救急車で病院に運ばれ、
帰らぬ人となってしまった。

それから、妻は、
何故あの時、
夫にお酌をしてあげなかったのかと、
ずっと悔やんだという。

あの時何故、もっと、
優しい言葉で、
こぼれるような笑顔で、
感謝の言葉で、
接することができなかったのか…

誰しも、
今日と同じ日が明日も繰り返されると思う。

今日、
誰かと出逢い、話し、笑い、
食事をして、仕事ができる。

こんな当たり前だと思うことが、
本当は奇跡の連続なのだ。

「有ること難し」

生きて、出逢う、という奇跡の連続に、
「ありがとう」を言わずにいられない。

引用元:愛 感動そして涙のストーリー
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毎日、生きていることが
もしかしたら奇跡なのかもしれません。


いいえ奇跡です。

大事な人と明日も逢えると思っていたのに、
明日を待たずに永遠の別れになることも
あるかもしれません。

だから…
今日を、いえ、今を
感謝して生きていきたいと思います。


きっかけは自分にあった

2015-11-17 12:49:45 | 日記
 
何か考えさせられる話に出会いましたのでご紹介いたします。


表現の仕方が少ない子どもたちがとった行動のきっかけになったものが実は...どうぞお読みください。


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私には二人の息子がいます。

長男(太郎)は3歳半
次男(次郎)は1歳です。
 
最近長男が

『ごはん食べたくない!!

 たろう、おかし食べる!』

と、ろくに食事をしないで
間食ばかりしてしまうのです。
 
その日もいつものように
私と長男、次男の3人で
夕食をとっていました。

手がかかる次男の近くに
私が座って困惑しながらも
手づかみ食べを見守っています。

すると、玄関のドアが開き
パパ(主人)が帰ってきました。

平日の子供たちの食事の時間に
帰れることはとても珍しいので
子供たちは大はしゃぎでした。
 
しばらくしてごはんをまだ
全体の2割も食べていないうちに
いつものように長男が

『もうおなかいっぱーい!

 アイスにしよ!』

と言いました。
 
私は、こう言われることに
慣れてしまっていたのと
次男がまき散らかす
お米や汁物の処理に気を取られていて
この発言をあまり深く受け止めて
あげられませんでした。
 
そこで主人がゆっくりと立ち上がり
ソファへ移動してから長男を呼びました。
 
『太郎、パパの膝に座って。少し話そう。』
 
アイスを食べたくて仕方のない長男は
アイスを取って行こうとしたのですが
主人はそれをさせませんでした。
 
長男はいまアイスを
食べさせてもらえないことに
怒ったり泣いたりして
主人の膝に乗るまで時間がかかりましたが
やがて長男と主人は
向かい合って目を見て話し始めました。

私は、ごはんを食べないことを
怒ってくれるのかなぁと内心ニヤニヤ。
 
パパ
『太郎、よくママに
 プレゼント作ってあげるよね?』
 
太郎
『うん、今日もね、お花とって
 かみでつつんで、あげたの』
 
パパ
『ママ、なんて言った?』
 
太郎
『ママ、うれしいっていった。

 そこにかざってあるよ!』

と一輪ざしを指さして。
 
パパ
『じゃあね、ママが
 太郎のプレゼントなんかいらない

 こんなお花じゃなくて他のが
 いいって言ったらどんな気持ち?』
 
太郎
『・・・(ショックを受けて)いやだあ』
 
口がへの字に曲がって
まぶたから顔全体が
真っ赤になって涙が溢れてきました。

もともとご機嫌ナナメなことも要因ですが
この会話だけで本気で傷つき
ショックを受ける子供の想像力はすごい。
 
パパ
『ママが毎日作ってくれるご飯はね
 お前へのプレゼントなんだよ。

 太郎が喜んでくれると思って
 嬉しい気持ちで作ってるんだ。

 それは、お前がママのために
 お花をつんでいるときの気持ちと
 同じだね。』
 
太郎
『うん。。(泣いている)』
 
パパ
『ママはね、お前のために
 一生懸命作ったプレゼントを
 いらないって言われて
 毎日自分で捨ててるんだよ。

 どんな気持ちかな。』
  
太郎は大きな声で泣きました。

ごめんなさいママ~
と言いながら、泣きました。
  
主人の言葉。
向かい合う姿勢。
プレゼントという言葉。

全てが、長男に染み込んでいくのが
わかりました。
 
しかし長男は泣きながらこうも言いました。
 
『ママといっしょに
 たべたかったんだもんー
 あちゅまれしてほしいんだもんー』
 
今度はこれが私に刺さりました。
 
正直、毎日の食事では
次男にばかり気を取られていました。

ごはんをこぼすしまき散らすからといって
自分はほとんど座らず片付けてばかり
ゆっくり食べることもなかった。

『お兄ちゃんは
 自分で食べられるから偉いね』

という本意は

『1人でしっかり食べてね』

だったのかもしれない。
 
次男も一緒に食事をするようになってから
そういえば長男は『あちゅまれして』
と言わなくなった。

『あつまれ』とは
お皿に散在しているご飯を
スプーンでかき集めること。

昔はよく言ってたけど
成長したんだなぁ
なんて勝手に思っていました。
 
でも違った。

ママこそ本当にごめんなさい。

ごはんを食べなくなってしまったのには
とても大きな理由があったんだね。

どんなに凝ったご飯より
ママがきみを想って
ちゃんと一緒に食べることが
一番のプレゼントになるんだね。

長男は『あつまれ』をしてほしかったんだ。

3人でいるのに
ひとりぼっちを感じていたんだ。
と気付けたのです。
 
それから私は長男とのご飯が
楽しみになりました。

『ママのぷれじぇんとぜーんぶピカリン
(残さずキレイに食べること)
 しちゃうもんね~』

とはりきってくれています。
 
普段はほとんど家にいない主人ですが
彼もこうして大きなプレゼントをくれます。

家族のことをよく見てくれている
それが本当にありがたいし
一番効果的な育児をしてくれていると思います。

おむつを替えるよりミルクをつくるより、ずっとね。
 
 
参照元:感動したらシェア~世界の良い話~
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