心学「正しい」
何事も正しいことは天地自然の万法である。正しい言動をする為には、心の動きを観る必要がある。では、正しいとは何を意味しているの。正は「一」と「止」の字で組み合わされている。
元々は城を攻める意味から作られた漢字ですが、今ではその意味を成すことはない。征服の征と云う漢字の原点でもある。その支配が政となる。ここでは漢字哲学を伝えることにする。
心で思ったことはすぐ言動に移さず、一旦止めて、もう一度確かめ、それから言動に移す。これを間と云う。人間関係で大事な潤滑油である「間」。間が抜けると、人間関係に支障を来す。
正しきことは道理そのものであるが、道理と云う自然界にも間があり、間を取り合いながら活かし合っている。
自分の意見が正しいと思っても一旦「間」を置いて、その意見を確認してから言動に移す。時間の差があっても、それから動いても遅くはない。逆に「急いては事を仕損じる」と云う。
この時に自分が正しいと思っても、相手の心を考えて、言い方や諭し方を考える「仁」が必要。何事も急がずに周囲を観ながら、事を移す修養を心掛けよう。
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円 純庵オフィシャルブログ「心を円やかに
何事も正しいことは天地自然の万法である。正しい言動をする為には、心の動きを観る必要がある。では、正しいとは何を意味しているの。正は「一」と「止」の字で組み合わされている。
元々は城を攻める意味から作られた漢字ですが、今ではその意味を成すことはない。征服の征と云う漢字の原点でもある。その支配が政となる。ここでは漢字哲学を伝えることにする。
心で思ったことはすぐ言動に移さず、一旦止めて、もう一度確かめ、それから言動に移す。これを間と云う。人間関係で大事な潤滑油である「間」。間が抜けると、人間関係に支障を来す。
正しきことは道理そのものであるが、道理と云う自然界にも間があり、間を取り合いながら活かし合っている。
自分の意見が正しいと思っても一旦「間」を置いて、その意見を確認してから言動に移す。時間の差があっても、それから動いても遅くはない。逆に「急いては事を仕損じる」と云う。
この時に自分が正しいと思っても、相手の心を考えて、言い方や諭し方を考える「仁」が必要。何事も急がずに周囲を観ながら、事を移す修養を心掛けよう。
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