ヌチドゥタカラ「命こそ宝」

ヌチドゥタカラとは、沖縄の言葉で「命こそ宝」の意味。脱原発と反戦。命こそ守らなければならないもの。一番大切なもの。

実り多かった沖縄の旅

2012-11-08 17:58:28 | 日記
4月にjetstar就航記念SALEのチケットを買ってツアーを企画した時は、昨年3・11以降休む間も無く動き続けてきたので、少しは休みたいという気分が無くも無かったのですが、勿論、火事場泥棒さながらの政府に攪乱されている基地問題で大変な沖縄を見てこなければという想いが一杯だった。

しかし、オスプレイの問題や、暴行事件で、益々揺れる沖縄。

予想もしなかった、数多の出会いもあり、濃厚な旅だった。

10月31日、まず旧知の玉城さんの暖かい出迎えを受けて、車で佐喜眞美術館に到着。
館長夫妻が熱く現在の戦いの様子や想いを語って下さる。
契約地主であったのを、これからは反戦地主としてしっかり戦ってゆくとのこと。丸木さんの沖縄戦の図は、いつもながら迫力を持って迫ってくる。今回は水墨画などの今まで見たことのない瀟洒な作品も並んでいた。
晩ご飯は玉城さんの奥様のテーブルに載せきれないほどの心尽くしの沖縄料理を頂いて「沖縄に帰ってきたねー」という気分を味わせて頂く。

1日には高速艇で渡嘉敷島に渡って、生存者吉川先生に集団自決の鬼気迫る地まで降りていきながら、証言を聞かせていただく。
その後、かつて江口昌子さんが仲間とともに建設に精魂を傾けて、完成させたアリランのモニュメントを見に行った。
考えていたよりも広い敷地に大きな碑とともに広がって設置されている。
案内を兼ねてバンの観光タクシーを運転してくださった米浜さんは、三線の体験まで手ほどきをしてくれる大サービスの肝っ玉母さんという暖かいお人柄。

翌2日は、本島に戻ってレンタカーを調達。一路「辺野古」を目指す。

美しい海辺の前の座り込みテントには、3120日目のたて看板が立ち、出入りはありましたが、7名の方たちが居られました。1時間ほど激励をし、カンパを集めてお渡して、記念撮影。

米軍の基地のフェンスには様々な抗議文を書き込んだカラフルな布看板が結わえ付けられている。
基地のフェンスにこんなものがつけられているのは、日本でここだけ。外されても外されても結わえ続けて呆れられたとのこと。
私たちも今度作って送ろうと語り合う。
粘り強さはピカイチの辺野古ヘリ基地反対同盟。

夕方には読谷村に到着。翌日は「やちむんの里」へ行き、途中、保育園の駐車場で9条99条を大書した大看板を発見して記念撮影。
それから阿波根昌鴻・金城 実 写真と彫塑「ふたり展」会場へ。

久しぶりの謝花悦子さんとの再会を喜び合う。6時半からは沖縄「復帰」40年・全国創立90年を迎えての=反差別・反抑圧、人権・平和のたたかいを進めるために=シンポジウムに参加。コーディネーターは丹羽雅雄(弁護士)氏で司会は知花昌一氏。
パネラーが金城実氏、山本義彦氏(解放同盟大阪府連浅香支部)、比嘉啓治氏、在沖縄コリアンやアイヌ民族の方など・・・。
それぞれが熱く語られるので、時間はあっという間に過ぎた。

交流会には参加せず今帰仁の宿舎に向かい、着いたときは10時を廻っていた。
翌朝は9時のフェリーで伊江島に渡り、ヌチドゥタカラの家に直行。

謝花さんとたっぷり話をして、昼食を食べに出かけた後、前回行けなかった基地や団結小屋を見て廻る。
小張の晴れマジックで、予報に反した晴天、曇りが続きまくっていたのを、耐え切れなくなったお天道様がとうとう雨を降らせてきたので、これは休もうと、安らぎの里に入ってしばし休憩。夜は謝花さん手づくりの夕食を美味しく頂く。
4年前と同じメンバーで訪れた私たちを「5名が心を揃えて、活動できるのは尋常ではありません。素晴らしいことです。まさしく阿波根がいつも言っていた、5本指の教えそのものです」と言われる。

6日目の5日は朝食後もう一度展示を見ようとしているところへ共産党の書記局長や参議院議員団長を勤める市田さん一行が予定を早めて里に見える。
「オスプレイ問題の実情を見、現場の声を聞かなければということを考えて来た」と言っていたけれど、阿波根昌鴻氏が一生をかけて作った「ヌチドゥタカラの家」の所蔵品をじっくり見ている時間は取れなかったようだ。

午後は、もう一度島を一周して米軍予備滑走路の写真を撮ったりして沖縄最後の宿に到着。阿波根さんのDVD3本を大きな画面のTVに映して皆で観る。見応えがあり、内容が濃いので、初めて知ったことも多々あって、是非茨城で上映会をしたいものだと話し合う。

最後の日11月6日は市場や対馬丸記念館を駆け足で訪れた後、夕刻沖縄の地を離れ、21時、時間通り成田についた。
片道3,000円で落ちやしないかと心配されたが、案外サービスも良く快適な飛行だった。

原発も沖縄の問題も、根は同じということを、肌で感じさせられた旅であったが、ひとつ残念だったのは、嘉手納近くの
高速道路走行中、オスプレイが荷物をぶら下げてごく近くに見えたのに、カメラがバックの奥で見つからないで撮影できなかったこと。

定価でも往復17000円ほどでいけることが分かったので、なんとかして福島の子ども達を連れて行きたいとも思わされた、実り多い旅だった。

 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿