ヌチドゥタカラ「命こそ宝」

ヌチドゥタカラとは、沖縄の言葉で「命こそ宝」の意味。脱原発と反戦。命こそ守らなければならないもの。一番大切なもの。

戦時ポスター展開催

2015-07-15 09:25:34 | 日記
昨日7月14日よりつくば市民ギャラリーにおいて戦時ポスター展を開催いたします。



今日15日の朝刊茨城版に大きく取り上げていただきました。かなり詳しく書いて頂いたので感謝感激です。
急遽決まった催事でしたが、多くの方に見て頂けると嬉しいです。


以下は記事の書き起こしです。

安保法案の国会審議に合わせ意思表示
戦争に利用された芸術
つくばで戦時ポスター展

 安全保障関連法案の国会審議に合わせ、つくば市周辺の住民らによる戦時ポスター展「画家たちの戦争」が十四日、つくば市民ギヤラリー(吾妻二)で始まった。兵士募集、戦意高揚、戦費を調達する国債購入の呼び掛けなどを目的に描かれた数々の絵や文字は、芸
術が戦争に利用される危険性を端的に表している。入場無料で、十九日まで。
 貴重な戦時ポスターは、戦後に政府の命令で多くが焼却された。北海道北見市で画家を志した故・香川軍男氏が「名だたる画家の作品を捨てるのはもったいない」と保存した。現在は北見市教育委員会が所蔵しており、美術的価値も高いという。
 今回は十四人の画家による作品に、作者不詳のものも合わせ、二十四点を展示。昭和初期の帝国政府のポスターは、日本画家の横山大観が描いた宮城(皇居)の絵に、書道家による 「国民精神総動員」の題字が添えられている。
 つくば市の五十代の夫婦は「素晴らしい絵が、国民をだまして戦争へ巻き込む
ことに利用されたんだ」と、足を止めた。
 洋画家の宮本三郎による一九四三年の陸軍記念日のポスターは、英米の国旗を踏み付け、銃を構えた陸軍兵士を克明に描写。敵を討ち取るまで攻撃をやめないという意味の「撃ちてし止まむ」の文字が躍る。 期間中、十八日午後二時から、水戸市の茂木貞夫さんが被爆体験を語り、茨城大生が戦争をテーマにした紙芝居を披露する。十九日午後一時からは、戦争童話の朗読会がある。
 展示会実行委員の長田満江さん(七九)は、「戦争になればどんな人も巻き込まれる。若い人に見に来てほしい」と、安保法案が審議されている時期に開催した意味を話した。問い合わせは、長田さん=電090(7845)6599=へ。 (増井のぞみ)

第43回MITO彫刻展

2015-07-03 08:26:34 | 日記
グループ展第43回MITO彫刻展は、本日7月3日から始まり、8日まで開催いたします。会場は水戸市泉町のアートセンター タキタ。


風に向かって今地面を飛びたとうとするゴールデンイーグルを表現した作品の題名は「風に」。この写真は搬入前に自宅で撮影したもの。



会場に並んだ作品の写真は改めて掲載させていただきます。
小張は今日のお昼過ぎまでと、月曜日に会場におります。

もし会場に来られる時は、ご連絡をいただければと存じます。
090-9130-4262

戦争について考える

2015-07-02 08:32:42 | 日記
かつて、水野広徳氏は「日本には戦争する資格がない」と述べたそうです。

海軍軍人で軍国主義者であった水野広徳氏(1875 -1945年)が、軍備撤廃平和主義者へと転向したのは、軍事研究のために渡った第一次世界大戦後のヨーロッパで、多くの一般人が巻き込まれ、戦勝国ですら荒廃した姿を目の当たりにしたことによる。

国民を守るために戦争をしているはずの国家に対して、疑問を感じたのだ。戦争への道を避けることを訴え続けた水野氏は次のようなメッセージを残している。

日本はそもそも戦争ができない国である。日本は国家の重要物資の八割を外国に依存している国なのだから、国家としての生命は通商関係の維持にある。通商の維持などは、日本が国際的非理不法を行わなければ守られるものである。現代の戦争は必ず持久戦、経済戦となるが、物資の貧弱、技術の低劣、主要輸出品目が生活 必需品でない生糸である点で、日本は致命的な弱点を負っている。よって日本は武力戦には勝てても、持久戦、経済戦には絶対に勝てない。ということは、日本は戦争する資格がない。「無産階級と国防問題」(1929年)の要旨

加藤陽子氏の話題となった著書『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社 2009年7月)において、水野氏の事跡が簡潔に紹介され、高く評価されていた。

食料の自給すらできない上に、原油・天然ガス等のエネルギー源も海外に依存する日本が、戦争するという事は、現代においても、実はできないこと、無謀なことではないか。

しかも日本が追従しようとしているアメリカの、今行っている戦争はテロとの戦いなのだ。

テロとの戦いに終わりは無い。国同士の戦争ならいつか終わりが来るかもしれないが、テロは政府でも組織でもなく、戦術だから、どうやって終わらせるか分からない。

ダグラス・ラミス氏の『戦争するってどんなこと?』の第4章に書かれている「テロに対する戦争は終わらせる方法がない」を読んで、

今まで以上に恐ろしさが身にしみてきた。しかも最強の軍事力を誇るアメリカは、戦争に負け続けているのだ。

「近代国民国家は合法的に暴力を使う権利を独占しようとしている組織である」という考え方が、国家の大きな定義の1つ。人を殺し財産を破壊する権利を持つ国家と言うものを、私たちはこれから、どう考えていったらよいのだろうか?

軍事力で本当に国を守ることができるのか?しかも軍隊が何のためにあるかといえば、国内に使うためという国がたくさんあることに愕然。

国内を弾圧する目的を持って戦争状態を作ることさえあるのだ。

ラミス氏は「日本も中国も、国内の問題から国民の目をそらして国内を作り直したい、という動きがある」と断じている。

以下もラミス氏の受け売りですが・・・。

日本国憲法は、国家権力を制限し減らすことを多く定めているので、何とかして憲法を変えたい―それが今の政府の目的なのだろう。

そして領土の拡張や資源の支配などの戦争目的は戦争に負ければ達成できないが、勝っても負けても軍需産業だけは得をする。

戦争は消費率が高く、とても良いビジネスで、軍需産業は決して損のない商売なのだ。

アメリカは戦争によって経済が回っている戦争中毒の国だから、平和国家になるという事は大変な決意が必要であり、極めて難しい。

日本が戦争中毒のアメリカと運命を共にするとすれば、一握りの特権階級以外の、国民のすべてが、塗炭の苦しみを舐める事は火を見るより明らかだ。

資本主義経済の特徴は不平等によって成り立ち、資本主義に覆われた世界経済のシステムの中で国内外の低賃金労働者が使われ、その不平等な経済制度は維持するために暴力が必要とされる。

低賃金で使われる労働者の不満や怒りは「自国が危ない!戦争になるかもしれない」という危機感を押し付けられ、その結果、国外に向けさせられることによって、国内を収めようとするトリックが使われる。

そして、何よりも戦争を許す社会の状態、人々の気持ちがこの世界から戦争がなくならない理由の1つなのだとラミス氏は言う。

まったくその通りだと思う。

小張佐恵子