ヌチドゥタカラ「命こそ宝」

ヌチドゥタカラとは、沖縄の言葉で「命こそ宝」の意味。脱原発と反戦。命こそ守らなければならないもの。一番大切なもの。

國分富夫さんの3.11集会メッセージ

2015-03-12 10:57:51 | 日記
3.11から4年の昨日、各地で様々な催しと取り組みが行われました。

つくばでは「3.11さよなら原発!守ろう憲法!」昼休み集会&パレードが行なわれ、約120名が参加してそれぞれの思いをアピールしました。
 今回は南相馬から会津に避難しておられて、相双の会の代表をされている國分富夫さんに「福島の今」についてお話ししていただく予定でしたが、爆弾低気圧による大雪で動けず、来ていただけませんでした。
 つくばは心配された強風も吹かず、暖かな晴天に恵まれ、おかげで多くの方に参加していただきました。けれども、片や雪吹雪で閉じ込められており、場合によって命さえ奪われかねない状況なのに、こちらはそんな事は想像もできないくらいの良い天気。今の福島と茨城の状況を象徴しているように思われて、複雑な気持ちでした。
 以下は國分さんが送ってくださった集会へのメッセージです。
 この他に、ご自身がお話しされる内容をテキストで送ってくださってあったので、以下にアップさせて頂きます。
 写真は毎日新聞が本日茨城版に掲載してくださった記事です。
 國分さんの代わりに急遽駆けつけてくださった、富岡町から水戸市に避難しておられる木田節子さんが、熱のこもったスピーチをしてくださいました。

 1日も早く、福島の方たちの暮らしに明るい光が差すことを心から願ってやみません。私たちにできることはまだまだあるはず。
福島の声をもっとたくさん届け、共に手を携えて、原発のない社会を作っていきたいと、思いを新たにした集会でした。


國分富夫さんのメッセージ

さよなら原発にご参集のみなさま大変ご苦労様です。
本日は集会に参加する予定でしたが、悪天候となり、残念ですが参加出来ません。昨日から雪が降り止まず、今朝6時現在で約60㌢ほどになっております。各道路は通行止めとなり、電車は昨夜から地吹雪のため止まっています。
何時か機会がありましたら原発事故の現状報告をさせて頂きたいと思います。
本日はメッセージにてお許し下さい。

日頃より私たちの反原発運動に御協力頂き厚く御礼申し上げます。
3月11日がやってきました。毎年この時期になりますと恐怖を感じます。地震、津波、追い打ちをかけるように原発事故、何がなんだか分からないまま逃げました。ほとんどの人は原発の安全神話に洗脳されていましたから、逃げるそのものにも不審をもっていた人もいました。
避難しても、二三日で帰れるだろうと、思っていたのがほとんどでありました。原発周辺住民であっても、如何に認識不足であった事に反省をしています。それだけ、原発は、「安全」という宣伝に惑わされていたのです。
事故から4年過ぎても、事故の収拾がつかないでいます。それどころではない100年過ぎても放射能公害に悩まされ続くだろう。
日本列島は脆弱な国土であり、世界の地震の2割は日本周辺で発生しています。さらに、世界でも有数の火山活動多発帯とも言われています。その他、台風、豪雪と一年中災害が起きています。
この狭い日本に54基もの原発が稼働してしまった。何時また福島のような事故が起きるかわかりません。このままだと日本はどこへ行っても安全な所などありません。早急に事故が起きる前に、全原発を廃炉にして、後世に責任を持たなければなりません。
原発事故により、地球そのものを汚してしまった事に、日本人として謝罪と責任を持たなければならない。世界中にある原発も同じ運命をたどる可能生があります。
福島第一原発事故は恥じるべきです。国民を嘘で丸め込み、金力と権力で強引に建設、稼働させてしまった責任、原発は地域を豊かにし、企業も進出し、雇用が生まれ、出稼ぎもなくなり、安定した生活が出来るということであった。
しかし、二度と故郷に戻れない「死の町」となってしまった。先祖伝来続いてきた山、川、農地の自然の恵みを奪われ、親類、知人友人、親子までも引き裂かれ、先行きの見えない生活を余儀なくされています。全てを奪われて何が安定した生活ですか、何が豊ですか、4年過ぎても何が復興ですか、先行きが見えないために、自殺者が増え、うつ病者も多く、避難者は半病人となっています。通院、入退院の連続、この実態を見ても政府自民党と政権を共にしている公明党は原発再稼働に躍起となっている。
「事故が起きたら国が責任を持つ」と言う。その場しのぎの無責任な言葉、福島第一原発事故の責任など4年過ぎても取れていない。それどころか被災者に対する謝罪もないのです。原発事故に対する責任を負える者などいません。  
また、全て元に戻すことなど出来ないのです。福島県ばかりでなく日本中を放射能で汚し、世界中に迷惑をかけてしまった責任など負えないのです。残念だが日本という国は、国民の命と健康、財産を守る事など一切なく、一部の者の利益のために国民の血のにじむような税金を使う国だったのです。
私たちは、第一に事故が起きれば制御も出来なく、この世で一番恐ろしい放射能をまき散らし、私たちの子孫に重大な悪影響を及ぼし、何十年と不安が続く事が余儀なくする原発をなくすことです。
第二に、税金の無駄使いをする原発、発電コストが最も高い原発を無くし、二度と福島のような思いをさせないことであります。
そのために全国の仲間と共に平和な社会と後世を守る闘いを強化する事であります。

最後に集会が全国に発信される事をご期待申し上げメッセージとさせていただきます。

2015年3月11日
                   福島原発事故被害者相双の会
                          会長 國分 富夫

許されない原発事故  
地震・津波、原発事故から4回目の3.11を迎えた、先行きの不透明な現状におかれて避難生活を送っておりますが、多少ではあるが復興住宅ができ仮設住宅でのお別れ会がはじまっています。
4年前、原発事故が起きたとき私には理解できないことがたくさんありました。そのひとつは、原発周辺での放射能汚染についての情報がほとんど発表されなかったことでした。       
3月11日の地震のあと津波によって非常電源が水没して全部の電源が使えなくなり、結局福島原発の1号機から3号機まで3つの原子炉が炉心溶融を起こしました。1号機が水素爆発を起こした3月12日の夕方には周辺20kmの人々に避難指示が出され約7万人の人々が緊急避難するという未曾有の事態に至りました。原発周辺で大変な放射能汚染が起きていることは確かなのに、不思議なことに放射能汚染の情報が全くといっていいほど出てきませんでした。
『原発事故が起きると、突然に周辺の人々が家を追われ、地域が丸ごと消滅してしまう』
ということが福島第一原発事故が証明しました。チェルノブイリ原発の周りは事故から30年になろうとする現在も30~60kmにわたって立入禁止区域となっています。その面積は3700平方kmと東京都約1.8倍です。事故から3年経って明らかになった高汚染地域から移住した人を含めると、自分の家に住めなくなった人は40万人を越えていると言われます。
福島の原発事故が起きて“スピーディ”のデータが全く発表されないのも不可解でした。スピーディは20年以上前から莫大な資金100億円以上かけて開発され、事故後5,000枚以上の試算結果があったとされるが、「国民の無用な混乱を招くだけ」と判断されたために国民に公開されず、自治体が住民避難を計画する参考にも供されなかった。放射性物質の飛散方向と同じ方向に避難した住民を多く発生させてしまい被ばくしなくいてすむものを被ばくしてしまった住民が多くいると思われる。

原発被害賠償訴訟─黙っていては何も解決しない

 原発事故により全国へバラバラに避難を余儀なくされた被災者の思いを原発事故損害完全賠償訴訟について報告したい。
1 私たちの思い
平和を願わない者は誰もいない。1945年8月15日(終戦日)以前に生まれた方でもっとも若い方で70歳だ。戦争の記憶が残っているのは78歳以上の方々だろう。
 戦後復興のために国民が立ち上がり死にものぐるいで働き続けた。私は戦中生まれですから戦争はまったく記憶にない。でも、衣類、食べ物がなく大変な時代だったと記憶にある。もっとも大変だったのは原爆を投下された広島、長崎の方々だったと思う。
 今の時代とは違い情報もなければ放射能に対する知識もない、手探りの状態だったと思う。戦争を起こした日本帝国主義国家の指導者は家族と共にぬくぬくと生活し、国民の若者は強制的に兵隊へ。300万人の戦死、一般人100万人の犠牲者と言われてる。
 いつの時代も庶民が犠牲になり、戦後、死に物狂いで復興に取り組んだのも庶民でした。福島原発事故を引き起こした東電と国は加害者であるにもかかわらず、被害者を左右し何でも上から決めつけてくる。原発に働く労働者は放射能まみれになり、賃金はピンハネされ命おしまず、収束まで何十年かかるのか分からない廃炉作業も庶民なのです。

■ 3・11大震災と原発事故
 東日本大震災は正に自然災害で、形跡としては千年前にあったとか言うが、地震・津波としてこれまで経験のない大きなものだった。
 原発事故は、人災であり、起きるべくして起きた。私たちの生活の中に家電製品は沢山ある。建設会社に行けばいろいろな重機があるように、何処に行っても人間の造った物ばかりで、その何一つだって壊れない物はない。それも、30年、40年と長持ちするのは、ごく少数だ。たまたま地震が起きたから原発事故と結びついただけではないのか、原発は事故が起きれば制御(コントロール)出来なくなり甚大な被害をもたらすと指摘されていた事が証明されました。
 思い出せば3・11以降、原発事故の内容も知らせず、ただ「避難しろ」と。何処に避難すれば良いのか指示もない。近隣市町村の住民はうろうろするばかりで、避難所に行けば「ここは危険だ。もっと遠くへ移動しろ」と、やっとたどり着いた避難所でも数日過ぎてから、「ここは放射能線量が高い早く逃げろ」「逃げろ」と言われても道路は大混雑、ガソリンは無い。まだまだ寒い時季なのに衣類は無い。そのうち、家族が何処へ行ってしまったのか分からなくなるなどの事態が多くあった。もちろん携帯電話はつながらない状態が何日も続き、手の打ちようがなかった。
 原発はつぎつぎと水素爆発を起こし放射性物質が放出された。それでも当時の枝野官房長官は「人体に直ちに影響はありません」と何回も繰り返すだけで、避難者への対策指示はなく、原発擁護対策だけだったことが、今になって甦る。その当時、線量計など誰一人持っている者はいないからさっぱり分からない。
 逃げる時は二、三日で帰れると思っていた者が殆どで、着の身着のまま、赤ちゃんから90歳の年寄りもいますから大変だった。避難所の体育館のトイレはいつも大混雑、年寄りはトイレがちかいため泣き泣きの毎日だ。日数重ねるごとに、体調を崩す人、認知症になる人、当時入院していた人は病院から病院へと転院となるため途中で亡くなってしまう方も多くおりました。
 一次避難(体育館等)、二次避難(旅館、ホテル等)、三次避難(仮設住宅、借上げ住宅等)と転々とし、避難生活二年も過ぎると会話も少なくなり、先行きがまったく見えない。一時帰宅した中には、この先を考えたとき絶望し、自死する人も出てきた。
 この非常事態にも関わらず、日本の政治はどうなってるんだ。何のための国会議員なんだ。特に原発を国策として進めてきた自民党は、復興への足引っ張りだけであった。
 一時20万人を超す県内外への避難者、路頭に迷う日々が続いたにも関わらず、派閥争いと政権争いだった。これが日本の国会議員であることに情けなく恥ずかしい。
 自民党は政権奪還と私利私欲だけではないか。原発を国策として多額の税金を使い各電力が利益が上がる仕組みにして献金を受ける。これが私利私欲でなくて何と言いますか?
 世界に例のない原発事故を起こし、未曾有の犠牲者を出したにも関わらず、いまだに謝罪もない。それどころか原発再稼働、新規増設までもくろんでいる。海・山・川・田畑全てが汚染され奪われてしまい、現在も放射能から16万人以上が全国へ避難が続いている。
 二度と元に戻らない故郷、そこには何代も続いた家があり家族団らんの場であった。それを東電と国(自民党と言っても良い)は奪ってしまった。

■ 安倍政権、そして、居直る東電
 二年前の総選挙で財界、自民党・維新の会は原発事故の争点隠しをやり、景気回復、デフレ脱却、「これが国民の生活向上に繋がる」などと言い、長期にわたる不景気を武器に国民をまやかして選挙に勝った。
 自民党・安倍晋三や維新の会代表・石原(当時)は、アメリカから押しつけられた憲法、「占領軍がつくった憲法」と大変間違った事を当然のように発して自衛隊を国防軍、憲法改悪(九六条九条)をごく当たり前のように言っている。
 戦後福島県小高町(現南相馬市)に生まれの憲法学者鈴木安蔵の憲法研究会は、1945年暮れに「憲法草案要綱」を発表。これは国民主権、人権、言論・思想の自由など民主的な「新しい憲法案」として後に連合最高司令官GHQ案に大幅にとりいれられた。憲法第九条の戦争放棄条項はGHQ案にはないもので、新国家が平和国家たらんとした当時の人々の情熱のたまものです。。
 1946年11月3日に日本国の平和憲法が制定された歴史を誇りに思い守っていくのが日本人としての責務だと思う。
 安倍政権にとって、原発再稼働、原発新設増設は当たり前のようである。自民党が政権を奪還して一番喜んでいるのは各電力(九電力)と財界である。国民が危険にさらされようが命を奪われようが儲けのためには何ともないのであろう。
 血のにじむような税金(血税)を投入し、高い電気料金を吸い上げ、見返りに各電力会社は自民党への献金だ。事故が起きれば安全な所へ逃げ、ぬくぬくと生活しているのだろう。現に福島第一原発が世界に例のないとんでもない事故を起こしても、経済発展のためにはやむを得ないという考えだろうが、結局、数十年分もマイナスになってしまったではないか。
 福島第一、第二原発周辺は比較的東京に近く、雪も降らず夏は涼しく住みやすい地方である。原発が誘致されなければ今の数十倍も企業が誘致され経済社会発展に寄与したであろうと推測される。
 それが二度と足の踏み入れられない「死の町」になってしまった。地域住民16万人以上が避難生活を強いられ、生活再建の道筋すら責任を取ろうとしない自民党と東電である。
 それどころか、「除染、除染」と言うが、やり切れないことを分かっていながら途轍もない税金を使いゼネコン、大企業の儲けに荷担しているのでないのか?
 被災者の生活再建の方は一向に進めようとしない。それどころか自民党が大勝してから、東電は被災者に対して横柄になってきたように思われる。
 新聞等でも明らかなように手抜き除染が横行していることだ。元請けゼネコンは下請けに丸投げ、現場監督もデタラメ、除染廃棄物の放棄、除染水の垂れ流しが当たり前のようにやっている。何のための除染なのか分からない。落ち葉を川に流す、長靴を川で洗い流す。このような状態ですから放射能線量が逆に上昇してしまう所が出てくる。手抜き除染による環境への影響ははかりしれないものがあるだろう。
 除染の効果や範囲の妥当性について疑問の声が多くあった。年寄りをはじめ「一日も早く戻りたい」という声があるから大規模な除染に踏み切ったと言うが、現に、広野町、川内村は避難解除されて三年が過ぎても一割~二割程度しか戻っていない、その多くは高齢者だ。
 
 
放射能障害
福島第1原発事故
2011年3月12日 15時36分1号基  水素爆発
      14日 11時1 分 3号基   〃
      15日      2号基  格納容器破損

放射性ヨウ素131 セシュ-ム134,1371㎡ 55万ベクレル 国が示した5倍の放射能
3月29日の調査で飯舘村永泥30μシ-ベルト/h
その時飯舘村の人々は普通に生活していた。
地面からの放射線だった。何故か村の上空に放射性物質の時雪が降った。
3月14、15日は推定で150~200μシ-ベルトと思われる。
ヨウ素の半減期は8日、セシュ-ム134は2年、137は30年。半年後の調査で半分一年後3分の1二年後4分の1だった。
ですから50年後100年後を考えていかなければならない。
現代に生きる私たち、どれだけ生きているでしょうか?殆どいないでしょう。

急性障害
一度に大量の被曝を受けると、多くの細胞がダメ-ジを受け臓器が機能しなくなる。
4シ-ベルトに相当する被曝を一度に受けると半分の人が亡くなると言われる。

晩発的障害
被曝量が少ないと急性障害は起きませんが、被曝を受けた細胞が傷つき、その傷が後々になってガンや白血病の発生率増加として表れる。
被曝して細胞に傷ついた場合修復されにくい
母親の胎内で精子と卵子が結合して」1つの細胞から始まるここからスタ-トして60兆もの細胞に分裂し人間細胞の完成となる
細胞は5000億死滅して5000億の細胞が作り上げられる。つまり新陳代謝です。

毎日の生活環境や食べ物など、
何らかの原因で細胞に傷が付き 変質を起こす事があります。
そして、この間違った変質細胞の情報がコピーし続けられる事により
「健康」が失われ「老化」や「病気」が起こるのです。


甲状腺ガン  
セシウム134(半減期2年)、135(半減期230万年),136(半減期13日)137(半減期30.1年),ヨウ素131(半減期8日)は気圧性が高い

チェルノブイリの事故からすると4年後がピ-クと聞く
甲状線がん2014年8月24日に公表された最新の報告書によると、福島県の小児甲状腺がん及び疑いの子供達は、3か月前…前回の89人から14人増えて合計103人となった。

甲状腺ガン57人ガンの疑い54人
2014年8月28日現在
甲状腺ガンの発生頻度は100万人に1~3人程度とみられていた。
今回、それより高い頻度で見つかった。「今回のような精度の高い超音波検査で大勢の子どもを対象にした調査は前例がなく、比較はできない」と説明した。

細胞の新陳代謝に関与するホルモンを分泌する。ここに発生する甲状腺がんは5種類の組織型別に、頻度、悪性度、転移の起こり ... 甲状腺がん。緊急手術は成功したが、今も常備薬が手放せない。

がん死
1シ-ベルト10,4~17件のがん死
X線1回50μ、ヨ-ロッパ50~100μ
100ベクレル-2μ被曝と考える


被害の実相と完全損害賠償を求め裁判闘争
もう限界だ。早く元の生活を取り戻さないと精神的苦痛から病気になり、死者までがどんどん出てきてしまう。黙っていては何も解決しない。
 この思いから私たちは、2012年6月21日、会津若松市で「原発事故被災者相双の会」の結成総会をもち、県内各地はもとより、米沢、新潟、水戸、福岡などから避難者約150人が参加した(「相双の会」とは、福島県の相馬市・南相馬市・相馬郡・双葉郡など太平洋側の地域のこと)。
 そして2012年末、いわき地裁に損害賠償の訴訟を起こした。
 

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