当局は1966年1月に「JA3○○○」のコールで開局したがそれ以前はSWL(Short Wave Listener)として3-4年、短波の受信活動をしていた。
初めは短波ラジオでBCL(Broadcast Listener)として海外の放送局を探して聴いていた。遠くバチカン市国やエクアドールなどの珍しい放送局を受信し、レポートを送り放送局のベリカードを集めていた。
その連続の中で同じ短波のハムの通信模様も聴き始め、BCLからアマチュア無線のSWLになったのである。
始めはSWL-JA3でスタートし、間もなくJARL(日本アマチュア無線連盟)のSWL会員となった。JARLは「JA3-○○○○」SWLナンバーを付与してくれた。SWLには免許は必要ない。数年SWLをやり多くのハムに受信レポートを送り続けた。このSWL期間にハムのことについて習得した。
このSWL時代、ハムに受信レポートを送り、親交が出来たのが新潟のJA0RF山崎OMだった。その山崎氏が私がハム局を開局した時、お祝いとして私のコールサインQSLカードをプレゼントして頂いた。毎年5月には新潟の笹団子なども送って頂いた。また、JRで北海道へ行った時、新潟駅でアイボールQSO(直接会う)こともあった。
既に他界されているが親子ほどの年齢差の滋賀の田舎者の若造に同好者としてお付き合いして下さった恩人である。このことは今も忘れることはない。