犬上 御田鍬(いぬがみ の みたすき)(生没不詳)、飛鳥時代の人物。名は「三田耜」とも書かれる。姓は君。建部倉宇志の子で、子に白麻呂がいたとする系図がある。最後の遣隋使および最初の遣唐使を務めた、大和朝廷の中級官吏・外交官の一人。冠位は大仁。
出自
犬上氏(犬上君)は日本武尊の子・稲依別王の後裔とされる。近江国犬上郡(滋賀県犬上郡=現多賀町、甲良町、豊郷町)発祥の豪族である。
ヒストリー
推古天皇22年6月13日(614年7月24日)最終となる第5次遣隋使として犬上君御田鍬(三田耜)は矢田部造(名不明)と共に隋に渡った。翌推古天皇23年(615年)9月に百済使を伴って帰国した。
因みに、第1次遣隋使として607年(推古15年)に同じ滋賀県出身の小野妹子が派遣されている。
舒明天皇2年(630年)に、犬上君三田耜は薬師恵日と共に唐に遣わされた。このとき二人は大仁の冠位であった。一行は631年(唐の貞観5年)に皇帝太宗と謁見し、『旧唐書』によると、この時、太宗はその道の遠いことを矜(あわ)れみ(同情し)、担当の役人に勅して、毎年の入貢を止めさせたと言う。
唐は高表仁に三田耜を送らせ、舒明天皇4年(632年)8月に対馬国に着いた。学問僧霊雲・僧旻、勝鳥養、新羅の送使も行をともにした。高表仁は10月4日に難波津に着き、翌年1月26日に帰国したが、この間の三田耜らの動向は明らかではない。
近江出身の通信使
【滋賀・近江の先人第38回】7世紀前半廷臣、第1回遣隋使・小野 妹子(大津市)
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【滋賀・近江の先人第39回】朝鮮通信使実務に尽くした儒学者・雨森 芳洲(長浜市)
https://blog.goo.ne.jp/ntt000012/e/d923c1ccc0f90783e275b34c3ba03328
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【滋賀・近江の先人第165回】遣唐使・吉士長丹(摂津市・近江八幡市)
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<Wikipediaより引用>