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【滋賀・近江の先人第94回】明治時代全国の長者に名を連ねた近江商人・外村宇兵衛(東近江市)

初代外村宇兵衛嘉久、1777年(安永6年)-1820年(文政3年)は、本家6代「外村与左衛門」浄秋の末子として誕生。近江国神崎郡金堂村(現東近江市)出身の近江商人(五個荘商人)。


外村宇兵衛家は、
1801年(享和元年)、「外村宇兵衛嘉久」として分家して興したもので、近江の豪商としての地位を築いた。
江戸時代後期の1813年(文化10年)に父与左衛門との共同事業から独立して商いを始め、努力の末に「呉服木綿類」の販売を中心としながら東京・横浜・京都・福井などに支店を有し、明治時代には全国の長者番付にも名を連ねた

3代目外村宇兵衛元明(天保14年-明治39年)(1843-1906年)、神崎郡金堂村(東近江市)出身の呉服太物商。元明は、同族の外村宗兵衛の4男として生まれ、宗兵衛家の養子となった。明治7年(1874年)、31歳で二代目から経営を引継ぎ、先代からの東京、横浜、京都の支店を発展させた。

外村家は、1889年(明治22年)に、本家外村与左衛門家において、資産減少や家業に危機を迎えたため、「各分家一同并出勤ノ者集議シ、従前家法制則ス」(外村家乗資料 別記第2)として、1856年(安政3年)に制定した「心得書」「作法記」の主旨を新たに見直しをした。
外村宇兵衛家など分家を中心となり、まず「行定之事」を取りまとめた。

また、外村宇兵衛家は初代から郷里の救済のため多額の寄付し、郷里だけでなく、義援金、橋や道路改修、学校、役場、警察暑などの建設費籐、多種多様、広範囲に多くの救済に寄与している。

先祖のお陰で今の自分があり、今の自分の行為によって、将来の子孫へ影響するという思想が代々に受け継がれている。可能な限り社会からの要請に適切に応じる。今得た信用は将来ののれんへの信頼となると考えた。社会の一員として懸命に生きた等身大の宇兵衛家の商人像が見えてくる。


4代目外村宇兵衛元亨は、これからは洋服の時代と考え、1918年(大正7年)に、「御幸毛織」を株式会社化し、高級紳士服メーカーの礎を作った。

 

外村宇兵衛家
・外村宇兵衛 (初代)嘉久:(安永6年(1777年)生 - 文政3年(1820年)没))6代目与左衛門末子(7代目弟)
・外村宇兵衛 (2代)元成:(文化5年(1808年)生 - 明治23年(1890年)没))宇野五郎左衛門次男、嘉久娘「みほ」婿
・外村宇兵衛 (3代)元明:(天保14年(1843年)生 - 明治39年(1906年)没))外村宗兵衛義信4男与一郎
・外村宇兵衛 (4代)元亨:(明治8年(1875年)生 - 昭和3年(1928年)没))

近江商人屋敷(旧外村宇兵衛邸)
屋敷は家業の隆盛と共に新増築が重ねられ、主屋・書院・大蔵・米蔵など十数棟に及ぶ建物が林立。特に蔵内部の柱や梁の堅固さに近江商人の質実剛健な生活ぶりを伺うことができる。当時「神崎郡内一」と評された庭も見ごたえがある。

五個荘近江商人屋敷 外村宇兵衛邸

https://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000000104.html

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