七草粥
(令和二年1月7日)
今朝は七草粥という方も多いでしょう。春を寿ぐ(ことほぐ)香気と鮮緑の妙には、やがて息吹く草木のすがすがしい瞳が、悪戯めいてこちらを伺うような、そんな淡いものを感じたりもします。よろこばしい新春の訪れです。
かといいましても、わたしの生まれは厳しく北よりで、正月七日あたりの冬景は、それはそれは冷たく白く、毎日吹雪と吹雪とブリザードでありましたから、七草をお粥にいれる習慣は、西に住んでいた時分に身についたものです。それでも、はじめてこれをいただきましたとき
“せり、なずな、おぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ”
と七草の名が淀みなくでてきたことは少しばかり驚きました。そもそもわたしには、いまだ草の名と実体が完全に一つになってはおりません。“せり”は分かります。“なずな”も、わたしに捕えられたバッタが鬱々と噛んでいた“ぺんぺんぐさぐさ”であることは少し分かっておりました。しかし、ほかは見当もつかず、ともかくも、春の七草なる素朴にして優雅な名にあこがれを抱き、自然に名をそらんじていたのかと思います。
もちろん、自然にそらんじていたのは、多分、数が7つを越していなかったからではないか(それ以上は、努力なしには自然消滅します)、また「すべて食べられるのですよ」と教わったからだと思われます。それが証拠に、秋の七草は、広く食に供せられる”葛”と”桔梗”しか名前がでてきません。たぶん、はじめから覚えていないのでしょう。
それにしても、春の七草の、その姿かたちがはっきりとしましたのは、毎春のこの慶びを覚えまして少し間をおいてからのことです。中でも尤も優雅な響きでありました“すずな”が蕪の葉、ついで“すずしろ”が大根葉であることが分かりましたときは、正直がっかりもいたしました。
「咲いているよ」
と“ほとけのざ”を、目の前に示されたときは、ロードスターのようだなと感じました。ロードスターは青く輝く花をいだき清らかで、こちらの花は淡紅に染まり、とても愛らしくありました。わたしはロードスターの和名である“おおいぬのふぐり”という名も知っております。「大きい犬の睾丸」という意味になります。専門家でもないわたしには”大きい”が、”犬”にかかっているのか”睾丸”にかかっているのかよく分かりません。しかし、名であるからには、ともに歩めるような気持ちを選りすぐっていきたいのです。
もうすぐ春の芽が息吹き、里の庭先にはその年に生まれた仔犬が走り回るでしょう。オスの仔犬たちの後姿には、ほれ、それは愛らしくちいさないふぐりたちが。
(生卵、生卵とずっと書いていて、少々気持ち悪くなりましたので、別なお話をしてみたくなりました)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます