河口の水 ほの暗さ(留萌支庁北部:天塩町)(2007年8月16日)
子どもに「幽霊とお化けの違いってなーに?」と聞かれたなら「やりたい事が違うんだよ」と答えよう。前者は属人的で、後者は属地的、つまりストーカーと通り魔の違いだな。たとえ、どんなに“わけわかんねー奴”でも、その意図を正しく推し量り、恐れるものは正しく恐れるべきなのだ。ところで自分はこの幽霊やら化け物の類にははっきり言っていい感情をもっていない。
甲「自身が幽霊ないし化け物なら話は別だが、彼らに良い感情を持つ者とはいるのかね?」
乙「いや、違うんです、そういった一般論じゃないんです」
甲「なら、ストーカーか通り魔なのかね?」
乙「だから、違うんです」
甲「だから、なんだね?」
乙「いままで2回ほど憑り殺されかけことがあるからです、積極的に憎らしいんです!」
甲「それはきみお得意の幻聴じゃないのか?聴いたことあるそうじゃないか」
乙「遭難しかけて3日目からがんがん聴こえました。でも、あれは声よりも声ですね。
死にかけている自分のもう一つの声を、耳元より深いところで認識するんです」
「ふーん」
甲「だから、ああいう幻覚系と化け物系の区別はつくんです」
「どこで遭遇したのだね?」
乙「夕張の某峠と谷川岳の某沢です。聞きます?」
甲「止めときなさい。そんなにありがたい目にあったならペラペラやらんことだな。ヘラヘラやってるとまたでくわすぞ。」
ということで、その2回。昔は詳しく書いたが今は書かない。が、心霊現象とか言われる代物には、はっきりとした怒り、そして猛烈な敵意を覚える自分である。それゆえか、夜中に一人でどこを歩こうが、どこに寝ようが、怖いという事はついぞなくなってしまった。なーどと書いているが、今回の天塩町では、十数年ぶりにぎゃーと叫んでしまったと思う。イヤハヤ。
*
天塩川は道内で2番目、全国でも4番目に長い大河であり、上流から河口まで大都市を経ず、大部分を奥深い森にくゆらす原始の川だ。50〜60年前までは、キャビアの親御さんであるチョウザメまで上っていたそうだ。また、河口から150km以上、ダムや堰が一つもないことからカヌーイストの間では垂涎の川でも知られている。今回のチャリ旅の目的の一つには、この知られざる川の神秘を実感したいというのがあったのだ。
河口の町、天塩町についたのは夕暮れ前。天塩川温泉に浸かって一息。二階にある大浴場は展望が良くおおらかな気持ちになれる。温泉で着ていたTシャツと短パンを洗い、“着干し”してしまえとおおらかに濡れたままの服を着て出た。時間はすでに夕暮れ中。天塩川の河口を見ようと、町の中心を走っている。と、交差点の信号機のところでバッタリとエゾ鹿に出会う。う、なんじゃこいつ!はったと見つめ合う鹿と自分。ん〜、こいつ人慣れしているのかと思い近づいてみるが、そんなことは全然ない。ひたすら逃げ回るだけ。しかも町の中をパカらん、パカらん走り回る。だが、観察していると、町の人たちは、鹿のことなど見向きもしない。完全に野良犬、野良猫なみの扱い。ありゃ多分、畑の野菜なんかムシャ、ムシャやってるね。ずいぶんと北海道の風景だな〜。去り際に振り向くと、野良鹿は倉庫の横でキョトンとしていた。
天塩川の河口は不思議な形であった。川と海が狭い砂州によって、しばらく並行するような形で続く。そして、灰色の虚空へ吸い込まれるかのような細長い河口、ほの暗い水面。河口沿いは一応、公園として整備されているが、夕凪の時間でも散歩者が2〜3人。これは夜には間違いなく誰一人も来ないのである。安心して眠れそうなので、ここで野宿することに決めた。丁度よい具合に公園の一番はずれにあずま屋が建っていてそこにもぐり込んだ。
日が暮れ、その日は一挙に気温が下がった。今まで、寝苦しいくらい暑かった北海道のお天気様はここに来て一挙に正体を明らかにした。おお、寒いぞ、おもしろいほど気温が下がる。しかも、自分の衣服は濡れたまま。早くお着替えしなきゃね、でも駄目なのよ。今回の自分のチャリ旅は荷物重量軽減のため、衣服はTシャツ2枚短パン2枚に絞った。どうせ、毎日、温泉に入るのだから、そこで一組ごと洗って夜の間に乾かせばいいやと、一見合理的に、有り体に言えば安易に考えていたからだ。しかも、自分は後やら先やら考えたりするのが苦手なので、先ほどの天塩川温泉で全衣服を洗濯してしまいまひた。お着替えは今、自転車に張った紐の上で濡れて重そうにしている。あっ、まずいぞ。寒いぞ。一息ごと一度下がるこの体感、記憶は山岳遭難(懐かしくも情けない)。雨具を着て、シュラフカバーに入ってもガタガタと震えが止まない(とーぜん、シュラフカバーだけでシュラフなんか持ってきてません)。丁度、そのとき東京からメール。なに本日の東京の最高気温30何度なり。ここは何度だ?ゲッ16度。こりゃ、東京の10月下旬の気温だよ。やむなく、輪行用に自転車を包むサイクリングカバーを取り出し、シュラフカバーごともぐり込んだ。ううバッチイなんて言ってられネェ。以前、奥能登で全装備失い、そのときもこんなだったなー、情けない状況を招いてしまうなー、せめてシャツとパンツは予備を持とうなど思いつつ、それでもうつら、うつら。
*
就寝してしばらくし、闇の中に音がする。ごそごそする音。目をそちらに向ける。柱の影に何かいる。柱の影に小さなそれがうずくまり、輪郭だけがゆらゆらしている。さっきのバカ鹿かと思ったが、気配が尋常でない。気のせいかささやきのような音がする。大体、この真夜中、こんなあずま屋に何が来る?正常な事態な分けがない。あれ、手のようなものが突き出され揺れ始めた。そしてささやきが微かに聞き取れた。
“よしちゃん、ごめんなさい、まあちゃん、ごめんさい、ごめんさい”
“ごめんさ〜い、ごめんさ〜い、ごめ〜んさ〜い〜〜“
「おーや、おいでなすったのかい」そして、サイクリングカバーに入ったままそっと上体を起こした。すると、それの上部が柱の影からすーっと動き、ぽっかりと白いものが闇に浮んだ。老婆の顔? とたん、顔の真ん中で、目と口の部分がぐぁっと開いた。ギロンとした白目が闇に浮ぶ。
その禍々しい白を見たとたん、なぜだか呼吸の方法を忘れた。自分はまともにその目と見つめあった。次の瞬間、それは両手をちぐはぐな角度にふり回し、ひょ〜ぐぉ〜に近い音を立てて柱からよろよろと這い出してきた。
壊れるような音が頭を突き上げた。
熱湯のように冷たいものが全身を走り、永遠のような瞬間が過ぎる。
がっ!(ぷつんと外れたように体が動く)カバーに入ったまま飛び跳ねた。
ぎっ!(ベンチの下に転落。手足がカバーにからみつく)カバーから抜けたとたん、
ぐっ!(目の前にひかり、前頭部がベンチに激突)起きあがろうとして
げっ!(目の奥にひかり、後頭部がテーブルに激突)グラッと起きあがる、何もない。
ごっ〜(風の音)「な、なんだ、あれ?」しばし放心。
そのうち、なぜか、吐き気のような変な気分がしてきた。だが、外に出る気はしない。体は熱いのか冷たいのか分からない、ガンガン耳鳴りがしている。自分は、そのままそこにへなへな座り込んでしまった。
*
結局、目が覚めたのは朝もだいぶ遅くなってからだ。濡れた服のままで座り込んで寝ていたが、体中の関節がバリバリするが何ともなかった。服も乾いている。それより、周囲が騒がしい。歩いている人、自転車を押してくる人、さっきから数人があずま屋の前後ろを行ったり来たりしている。そのうち、体格のいいおっさんがこちらにやって来た。
「おはようございます。すいませんが、おばあさん見ませんでした?」
「おばあさん?」
「少しおかしいというか、挙動がおかしいおばあさんです。」
(−−−あれだ−−−)
「何かあったのですか?」
「いや、私、役場の者なんですが、朝、散歩している人から、河口におかしなおばあさんがいるとの連絡がありまして」
「ええ!」
「喪服で数珠をもって、川沿いを行ったり来たりし、ずっと川をのぞき込んだりと」
(おい、おい冗談じゃねぇぜ、自殺企図者だったのかよ!!)「あの、実は--」
自分は集まった人たちに昨日の夜の話をした。そして、おばあさんはこの辺の人間ではないこと。川に入ってしまえばこの寒さだからもう助からないこと、林の方へ入ってくれればまだ生きている可能性があることを聞いた。自分もあわてて、おばあさんの捜索に加わり、林の方を探した。だが結局、手がかりもなく一同は戻った。取りあえずバス会社に連絡し、喪服のおばあさんが乗らなかった聞き、それでも所在がはっきりしなければ警察捜査に切り替えようということになった。もし、警察捜査となった場合、自分にも連絡がいくので携帯を教えてくれとのこと。それで、役場の人と携帯番号を交換した。その後、電話はない。おばあさんはどこかへ行ってしまったようだ。良かった、良かった。それにしても、生きている者が一番怖いというがそのとおり。あの白目のひかりは今でも忘れられない。怖い、怖い。
天塩を出るとき、捜索の人たちと別れ、ヘルメットをかぶった。頭には大きなこぶと裂傷ができており、痛い、痛い。こぶはしばらく痛いだろうが、もちろん生きているからだ。
*
町のはずれで天塩川を振り向いた。確かに、天塩川の神秘は実感した。というより、少しばかり体感しすぎてしまった。
それにしても自分もそうだが、おばあさんの方もまた随分と濃い体感をしたのではないだろうか。何せ、死のうとして(?)独りで人生の祈りをしている真っ最中、いきなり後ろのゴミ袋のようなところから人が這い出してきたのだから。これはこわいぞ~、見も蓋もないぞー、というか無さすぎだ。互いに人生の闖入者だが、闖入度合いは自分の方がひでぇな~。せめてこの闖入があなたの人生に何かあらんことを。願わくは人生を止めてしまうことが馬鹿らしくなるように。そしてもっと願わくはわれわれ全てが、互いに苦しみにさいなまれているとき、苦しみ自体に冷や水をぶっかけるような、のんきでささいな事件が世にみちますように。
さて、 川は、相変わらずほの暗い水をゆっくりと運び続ける。その水の先は虚ろや永遠だ。その前では幽霊だの化け物だのストーカー何てのはみな因果のなかをプカプカと浮かんでいるにすぎない気がする。きっとこの世の因果律は偶然律のほんのささいな部分なのだ。それならそれでいいじゃないか。なぜだって?
あの世というのは実はこの世だということだからさ。