のんきに介護

母親と一緒の生活で、考えたこと書きます。

「バックの思惑」と「みんなの思い」は、峻別できるか。

2014年02月03日 20時10分10秒 | Weblog
ゾーイ☆2月9日 GO!都知事選‏@sekilalazowieさんのツイートです。

――ただ、裏でどう動いたとかバックの思惑とは別に普通に考えて「一本化」を願うのは何も悪いことじゃないし、みんなそう思った。それと、どっちだろうとそのほうがいいねと思った人と「思惑」の人との峻別はちゃんとして欲しい。それを口にすることが悪いことのような風潮が広がることを懸念する。〔19:03 - 2014年2月3日 〕――

このツイートを読んで、

バックのある人にとって、

「バックの思惑」が

「みんなの思い」でしょ?

それ以外に、

「みんなの思い」があるわけではないです。

そこを明瞭にしておかないと、

議論が混乱します。

さて、それはそれとして、

もし、負ければ、

「分裂して共食いになった」

という評価が

定着すれば出馬を辞退しなかった

比較少数者を

比較多数派が詰る構図が

出来ます。

しかし、そんな非難、

屁の河童だろうからこそ、辞退しなかった

というわけです。

ここで忘れてはならないのは、

投票権も

被選挙権も

憲法上の権利だと言うこと。

後者の

被投票権は、

選挙公示日に立候補することによって

顕現化しました。

一旦、顕在化した以上、

外観に対する信頼が生じます。

それを覆滅すれば、

その人たちの思いを台無しにします。

(こうなったいい)

と願うことが自由としても

働きかけることまでが

自由として

正当化されるわけではないです。

候補者のバックの思惑と言ったって、

それが普通の市民のそれと

区別すべきですか?

事実上、

区別できないんじゃないですか。

公示前は、

「名誉の撤退」を

提案することに

合理的な理由があります。

公示後は、

その理由が

消滅してしまいます。

公職選挙法との関連でも

責任を問われます。

候補の地位を降りると言うのは、

同法に言う

「利益供与」に

該当します

(公職選挙法 第221条参照)。

それは、

政治的な戦術として

いいとか悪いことといったこととは、

別の要請です。

選挙の公正を害するな、

ということです。

すなわち、単なる政治上の道義的判断を超えています。

春に花が咲くのは、

それ以外の季節に花が咲くことが

「悪い」

とされたためではありません。

だから温室栽培して

季節にかかわず

花が咲き、

花屋の店頭で

売られています。

春以外の季節において

花の咲くのが

「正しい」

とされたからではないでしょう。

幾ら、

人工的に

桜を夏に咲かせて見せても

人々の意識内容に

「夏に桜が咲くのが自然」

という変更が

生じるわけではないですよ。

その場合、

花屋さんの思惑云々は、

そもそも関係ないですよ。

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