「ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日」
というサイトにあった
「ふたつの太平洋戦争」
という記事、
とても優れた
日米の戦争観を記したエッセイと思いました。
☆ 記事URL:http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89/
坂東ぎょにく
ネオ茉莉花茶@gyonikunetさんが
〔22:07 - 2014年6月5日 〕で触れていた
YAZAKI Yusuke @yskyuさんのツイートにある
―― 再び、ケダモノ扱いされることは、本当に危険で、白人系世界との認識の差異への対処には、細心の注意がいる。もっとも、これを読む必要のある人に、届くことはほぼないのだが。 http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89/ …〔20:41 - 2014年6月5日 〕――
という感想の真実性は、
読んでみれば
分かります。
僕は、
体が震えるような感動を得ました。
しかし、
本当に読む必要のある人は、
途中で
投げ出すでしょうね。
そこで
僭越ながら、
記事は、
そういう人たちに
考えるきっかけを与える意味で
極力、短くまとめて
紹介します。
さて、
元記事のタイトルは、
上に書いたように「ふたつの太平洋戦争」です。
「日本国憲法に込められた『自分が自分でいられる自由』の意味 」
に変更しました。
この変更の意味につき、
説明します。
こういう自由権が
憲法上、規定されているわけではありません。
しかし、一言で整理するなら、
「自分が自分でいられる自由」を
憲法が闡明してくれた
思えます。
あえて条文で言うなら
第13条の「個人の尊重」原則が
それです。
2度と
「特攻隊」のような
愚かな作戦をとらないよう
憲法に、
多分に啓蒙的な意味を込めて
規定されたのではないでしょうか。
実際、この条文が
日本人の精神的支柱として
戦後文化を
領導してくれたように感じます。
前置きはこれくらいにして、
ではそろそろ、
元記事の
まとめ直しを始めますかね。
書き出しは、
「the Japanese」という
言葉の解説から
始まります。
「日本人」というのは、
ニューアンスを抜きにした
単語帳的意味です。
実は、
この語句、
「文明人ではない」という意味合いが
込めて使われるらしいです。
たとえば、
次のような用法です。
The Japanese didn’t know how to lose.
直訳すれば、
「日本人は負け方を知らない」です。
しかし、
「うんざりだ」と意訳した方がいい場合が
間々あるようです。
こういう日本人に対する受け止め方は、
神風特攻隊に由来するのでしょう。
米国人たちは、
この自殺戦法を見て、
「こいつらは人間ではない」
と思ったと言います。
その挙句、
(日本本土で戦えば、一体どれだけの人間が死ぬだろう)
と不気味に思う気持ちに支配され、
結局は、
それが原爆投下の肯定に
繋がったようです。
そして今、
米国人たちが
感じた
――西洋世界は、戦争が終わったあと、石器時代にもどってしまった都市の廃墟に立って日本人が求めたもの、その手ににぎりしめたいと思ったものは「自分が自分でいられる自由」だと思っていた。――
という想いが
幻想ではなかったかと、
思うようになっているということです。
上記ブログの
管理人さんがそのことにつき、
脅威を感じ、
記事を書く気になったと
心情を
吐露されています。
(あと10年、
ほんとうに日本は平和でいてくれるだろうか、とおもう機会が増えてきた)
という実感、僕にもあります。
75年前の
太平洋戦争開戦によって、
日本人は、
「民族の力を傾けて華々しく、アジア人同胞のために、少なくとも初期には互角以上に『白人』と戦ってみせたつもり」
なのです。
しかし、米国から見れば、
「アジア人同胞のために」というのは
真っ赤な嘘、
都合のいいプロパガンダであり、
植民地として
朝鮮を、中国を支配したかっただけ。
それが本音だったろう、
すなわち、
実態は、
ただの帝国主義だったろう、
というわけです。
しかも
計算高く欧州の真似をしたに過ぎない
というのが
彼らの理解なようです。
米国人にすれば、
正面の敵は、
ドイツ兵でした。
日本人との戦闘は、
「アメリカ人やイギリス人にとっては、ナチと四つに組んで戦っているのをいいことに、後ろから襲いかかってきた卑怯者との戦争にしかすぎない」わけなのです。
その正面の敵、ドイツが5月8日に降伏して以降、
米国人にとって
戦争はもう終結しており、
太平洋上で戦死することあれば、
事故死か
さもなければ、犬死以外の
何者でもなかったということです。
だからもし、
米国の原爆投下が
止むを得なかったと日本政府が
認めるのならば、
「神風特攻隊」を美化しては
いけないのです。
米国の
“靖国参拝”に対する
反発も
「神風特攻隊」に対する
生理的な嫌悪感が
心の底にあるんじゃないでしょうか。
神風特攻隊として海に散った者を
思いやる優しさがなく
隣国を
排撃してばかりの了見の狭い者は、
その剣ゆえ、
自分と輩(ともがら)を切り刻むことになると思います。
というサイトにあった
「ふたつの太平洋戦争」
という記事、
とても優れた
日米の戦争観を記したエッセイと思いました。
☆ 記事URL:http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89/
坂東ぎょにく
ネオ茉莉花茶@gyonikunetさんが
〔22:07 - 2014年6月5日 〕で触れていた
YAZAKI Yusuke @yskyuさんのツイートにある
―― 再び、ケダモノ扱いされることは、本当に危険で、白人系世界との認識の差異への対処には、細心の注意がいる。もっとも、これを読む必要のある人に、届くことはほぼないのだが。 http://gamayauber1001.wordpress.com/2014/06/05/%E3%81%B5%E3%81%9F%E3%81%A4%E3%81%AE%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E6%88%A6%E4%BA%89/ …〔20:41 - 2014年6月5日 〕――
という感想の真実性は、
読んでみれば
分かります。
僕は、
体が震えるような感動を得ました。
しかし、
本当に読む必要のある人は、
途中で
投げ出すでしょうね。
そこで
僭越ながら、
記事は、
そういう人たちに
考えるきっかけを与える意味で
極力、短くまとめて
紹介します。
さて、
元記事のタイトルは、
上に書いたように「ふたつの太平洋戦争」です。
「日本国憲法に込められた『自分が自分でいられる自由』の意味 」
に変更しました。
この変更の意味につき、
説明します。
こういう自由権が
憲法上、規定されているわけではありません。
しかし、一言で整理するなら、
「自分が自分でいられる自由」を
憲法が闡明してくれた
思えます。
あえて条文で言うなら
第13条の「個人の尊重」原則が
それです。
2度と
「特攻隊」のような
愚かな作戦をとらないよう
憲法に、
多分に啓蒙的な意味を込めて
規定されたのではないでしょうか。
実際、この条文が
日本人の精神的支柱として
戦後文化を
領導してくれたように感じます。
前置きはこれくらいにして、
ではそろそろ、
元記事の
まとめ直しを始めますかね。
書き出しは、
「the Japanese」という
言葉の解説から
始まります。
「日本人」というのは、
ニューアンスを抜きにした
単語帳的意味です。
実は、
この語句、
「文明人ではない」という意味合いが
込めて使われるらしいです。
たとえば、
次のような用法です。
The Japanese didn’t know how to lose.
直訳すれば、
「日本人は負け方を知らない」です。
しかし、
「うんざりだ」と意訳した方がいい場合が
間々あるようです。
こういう日本人に対する受け止め方は、
神風特攻隊に由来するのでしょう。
米国人たちは、
この自殺戦法を見て、
「こいつらは人間ではない」
と思ったと言います。
その挙句、
(日本本土で戦えば、一体どれだけの人間が死ぬだろう)
と不気味に思う気持ちに支配され、
結局は、
それが原爆投下の肯定に
繋がったようです。
そして今、
米国人たちが
感じた
――西洋世界は、戦争が終わったあと、石器時代にもどってしまった都市の廃墟に立って日本人が求めたもの、その手ににぎりしめたいと思ったものは「自分が自分でいられる自由」だと思っていた。――
という想いが
幻想ではなかったかと、
思うようになっているということです。
上記ブログの
管理人さんがそのことにつき、
脅威を感じ、
記事を書く気になったと
心情を
吐露されています。
(あと10年、
ほんとうに日本は平和でいてくれるだろうか、とおもう機会が増えてきた)
という実感、僕にもあります。
75年前の
太平洋戦争開戦によって、
日本人は、
「民族の力を傾けて華々しく、アジア人同胞のために、少なくとも初期には互角以上に『白人』と戦ってみせたつもり」
なのです。
しかし、米国から見れば、
「アジア人同胞のために」というのは
真っ赤な嘘、
都合のいいプロパガンダであり、
植民地として
朝鮮を、中国を支配したかっただけ。
それが本音だったろう、
すなわち、
実態は、
ただの帝国主義だったろう、
というわけです。
しかも
計算高く欧州の真似をしたに過ぎない
というのが
彼らの理解なようです。
米国人にすれば、
正面の敵は、
ドイツ兵でした。
日本人との戦闘は、
「アメリカ人やイギリス人にとっては、ナチと四つに組んで戦っているのをいいことに、後ろから襲いかかってきた卑怯者との戦争にしかすぎない」わけなのです。
その正面の敵、ドイツが5月8日に降伏して以降、
米国人にとって
戦争はもう終結しており、
太平洋上で戦死することあれば、
事故死か
さもなければ、犬死以外の
何者でもなかったということです。
だからもし、
米国の原爆投下が
止むを得なかったと日本政府が
認めるのならば、
「神風特攻隊」を美化しては
いけないのです。
米国の
“靖国参拝”に対する
反発も
「神風特攻隊」に対する
生理的な嫌悪感が
心の底にあるんじゃないでしょうか。
神風特攻隊として海に散った者を
思いやる優しさがなく
隣国を
排撃してばかりの了見の狭い者は、
その剣ゆえ、
自分と輩(ともがら)を切り刻むことになると思います。
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