のんきに介護

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さぁ、どうする、麻生さん。望月衣塑子記者のね、「改竄が明らかになった時の責任は」という質問、もう仮定の話じゃなくなったよ

2018年03月18日 11時22分14秒 | マスコミ論
〔資料〕

「森友文書改ざん問題 麻生氏の謝罪会見「のようなもの」」

   毎日新聞/コラム「松尾貴史のちょっと違和感 」(2018年3月18日 04時02分)

☆ 記事URL:https://mainichi.jp/articles/20180318/ddv/010/070/020000c



学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる財務省の決裁文書改ざん問題で、近畿財務局の職員の自殺、佐川宣寿国税庁長官の辞任、文書14件の改ざんの事実認定と原本の公開……。これだけ連日のように、次から次へと隠蔽(いんぺい)や改ざん、その他の新情報があふれてくると、本欄を執筆している14日の時点で何かを書くことが、後から思えばすこぶる間抜けに思えることもあるのだろうなあと思いつつも、憤まんやるかたなく。

 12日の午後、文書改ざんについて、麻生太郎財務大臣が謝罪会見のようなものを開いた。「のようなもの」というのは、全て人ごとの様子であり、「理財局の一部の職員」がやったことと印象づけるような発言を繰り返し、謝罪とは到底言えない尊大で横柄な態度で、記者に「名乗ってから聞け」「一人で何度も聞くな」と作法まで居丈高に要求するありさまだったからだ。私の知っている謝罪会見というものとは明らかに違うが、「おわびします」というセリフが入っているので、「のようなもの」なのである。しかし、私の見た映像やニュース、写真のなかで、彼はまったく頭を下げていない。「のようなもの」以外の何物でもないのだ。

 この人の、身に着けている物や口に入れる物がいかに高級であろうとも、この公人の言動はいかにも品がない。今に始まったことではないので驚きはしないが、それに慣れてまひしてしまってはいけない。陳腐な言い草だが、これが日本の代表者の一人であるということを子供たちに知られたくない。安倍晋三総理に対して「俺は謝罪はしたぜ。辞めるつもりはない。切るかどうかは君が決めろよ」とたかをくくっているようにも見える。

 この会見は、先に行われたものと合わせて、国民へのアピールやガス抜きとしては、逆効果なのではないだろうか。不遜な態度を何度も見た国民の中には、腹立たしくいまいましい思いでいる人も多い。私には「火に油を注いでしまった」ようにしか見えない。

 聞く方も鋭さに欠ける質問が多いなあと思っていたら、あの場は経済部の記者が多く、鋭く切り込みを入れる習慣がない人たちだという見方をする人もいた。突っ込まれないように、あえてそういう設定をしたのかもしれない。

 佐川氏の答弁と食い違えば「誤解」を招くから改ざんした、とあくまでも財務省理財局の中の不祥事として終わらせたい気持ちが満々の「印象操作」に見えたが、そもそも佐川氏が「なぜ決裁文書と矛盾する答弁をせざるを得なかったのか」ということについて、まったく興味がわかない財務大臣に強い違和感を覚える。

 佐川氏の答弁とのそごを生まないため、という理由付けはあまりにも不自然だ。そんな彼を論功行賞としか思えないタイミングで国税庁長官に任命したのは麻生氏だが、それについては何も触れずに「追加の処分もありうる」とうそぶいている。

 これまで名指しでそしられた新聞社や記者は、正式に謝罪を要求してもいいのではないか。公人が民間の名誉を毀損(きそん)したことは、大きな問題だと思う。以前の会見で「改ざんが明らかになった時の責任は」と質問した東京新聞の望月衣塑子記者に対して、麻生氏はせせら笑い、「仮定の質問には答えられないと何度も言っている」「それは上司の命令?」「趣味?」「ひゃひゃひゃ」と逃げていたが、もう仮定ではなくなったのだから、ごまかした分の説明をしてほしいものだ。そもそも「仮定の質問に答えられない」ような想像力の無い人間が重責にあることの不真面目な状態にあきれるばかりだ。

 安倍氏は、「二度とこうしたことが起きることのないように」うんぬんと言っていたが、その「こうしたこと」というのは文書の改ざんのつもりで言ったのだろうけれども、私には「二度と表ざたになることのないように」という意味で耳に入って来た。

 掲載までの内閣総辞職……。ないだろうなあ。(放送タレント、イラストも)


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