東京新聞に
5日の会談の知事発言全文が紹介されています
(下記〔資料-1〕参照)。
三沢典丈、上田千秋記者の伝えるところによると、
――公開は冒頭の五分の予定だったが、翁長知事の弁舌は三十分近く止まらなかった。事務方が用意した資料にほとんど目をやらず、翁長知事が自身の言葉で紡いだ発言――
とのことです
(一々の論点についての識者らの解説は、下記〔資料-2〕参照)。
それにしても、
沖縄の現実を知る貴重な機会なのに
安倍某は、
会談を回避。
何を考えているのでしょうね。
「辺野古移設は日本の利権の話 米軍の要請ではなく国防無関係」
という週刊ポストの指摘する意義につき考えてしまいます
(下記〔資料-3〕参照)。
「沖縄独立」を
スローガンにしないと本気になりそうもない
官邸に愛想を尽かし、
今や米国に直訴する方向で調整が進んでいます
(下記〔資料-4〕参照)。
〔資料-1〕
「翁長沖縄県知事の全発言を読み解く 官房長官との初会談」
東京新聞(2015年4月11日)
<知事の全発言・書き起こし>
典拠:サイト「mixiみんなの日記」記事「全国民必読!翁長・菅会談における翁長知事発言全文(2015.4.11東京新聞「こちら特報部」より)」*http://open.mixi.jp/user/23621043/diary/1940938299
お忙しい中、時間を割いていただき、意見交換の場をつくっていただいたことに感謝を申し上げたい。
官房長官からも話があったが、沖縄は全国の面積のたった0.6%に74%の米軍専用施設が置かれている。まさしく戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた自負もあり、無念さもある。今、官房長官からそういったことに対して大変理解のある言葉をもらった。そうであるならば、去年の暮れ、あるいは今年の初め、どんなに忙しかったかは分からないが、こういった話をする中で「物事を粛々と進める」ということがあったら、県民の理解ももう少し深くなったと思う。
私は日米安保体制が重要だというのは、私の政治の経歴からいっても十二分に理解している。しかし、日本の安全保障を国民全体で負担するという気構えがなければ、今、尖閣の話もあったが、たった一県のこの沖縄県に多くの米軍施設を負担させて日本の国を守るんだと言ってもよその国から見るとその覚悟のほどはがどうだろうかと思う。 =①
日本国民全体で負担する中で、日本の安全保障や日米安保体制、日米同盟をしっかりやって欲しいというのが私の気持ちだ。
オスプレイなどが本土で訓練する話もあったが、残念ながらいわゆる期間基地を本土に持っていくという話がないから、訓練をしていずれ全て沖縄に戻ってくるのではないかという危惧は、今日までの70年間の歴史からすると、十二分に感じられることだ。不安がある。
そして、どんなに言っても米軍の運用に自分たちは口を挟めないんだという形で物事が終わってしまう。環境問題もさることながら、日米地位協定の改定も抜本的な意味合いでやってもらわないと。沖縄の危惧は、今の日米協定の中では解決しにくいと思っている。
「沖縄が基地を提供したことはない」
今日まで沖縄県が自ら基地は提供したことはないということを協調しておきたい。普天間飛行場もそれ以外の取り沙汰される飛行場も全部、戦争が終わって県民が収容所に入れられている間に、県民がいるところは銃剣とブルドーザーで、普天間飛行場も含め基地に変わった。 =②
私たちの思いとは全く別に全て強制接収された。自ら奪っておいて、県民に大変な苦しみを今日まで与えて、そして今や世界一危険になったから、普天間は危険だから大変だというような話になって、その危険性の除去のために「沖縄が負担しろ」と。「おまえたち、代替案を持ってるのか」と。「日本の安全保障はどう考えているんだ」と。「沖縄県のことも考えているのか」と。こういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないかと思う。
日本の国の品格という意味でも、世界から見ても、おかしいのではないかと思う。この70年間という期間の中で、基地の解決に向けてどれだけ頑張ってこられたかということの検証も含め、そのスピードから言うと先にはどうなるのか。これからもなかなか見えてこないと思う。
一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効の時にお祝いの式典があった。日本の独立を祝うんだという、若者に夢と希望を与えるんだという話しがあったが、沖縄にとっては、あれは日本と切り離された悲しい日だ。そういった思いがある中、あの万歳三唱を聞くと、沖縄に対する思いはないのではないかと率直に思う。 =③
27年間、サンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに米軍の軍政下に差し出されて。そして、その27年の間に日本は高度経済成長を謳歌した。その間、私たちは米軍との過酷な自治権獲得運動をやってきた。想像を絶するようなものだった。
官房長官と私は法政大学で一緒だが、私は22歳までパスポートを持ってドルで送金を受けて日本に通った。そういったものなどを思い浮かべると、あの27年間、沖縄が支えたものは何だったのかなと思い出される。
そして、官房長官が「粛々」という言葉を何回も使う。僕からすると、埋め立て工事に関して問答無用という姿勢が感じられる。その突き進む姿は、サンフランシスコ講和条約で米軍の軍政下に置かれた沖縄。その時の最高権力者だったキャラウェイ高等弁務官は「沖縄の自治は神話である」と。「自治は神話」だとあの時に言った。
私たちの自治権獲得運動に対し、そのような言葉で、キャラウェイ高等弁務官が言っていて、なかなか物事は進まなかった。
官房長官の「粛々」という言葉がしょっちゅう全国放送で出てくると、何となくキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出される。何か重なり合う感じがして、私たちのこの70年間、何だったのかなと率直に思っている。
そして、この27年間の苦しい中で強制接取された土地を、プライスさんという人がきて、プライス勧告というもので強制買い上げをしようとした。とても貧しい時期だったから、県民は喉から手が出るほどお金が欲しかったと思うが、みんなで力を合わせてプライス勧告を阻止した。
今、私たちは自分たちの手の中に基地(の土地)が残っている。こういった自治権獲得の歴史は、「粛々」という言葉には決して脅かされない。そう思っている。上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくのではないかと思っている。私は辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている。
こういう県民のパワーが私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子や孫に対する重いというものが全部重なっていて、私たち一人一人の生きざまになってくる。こういう形で「粛々」と進められるものがあったら、絶対に建設することはできない、不可能になるだろうなと私は思う。そうすると、建設途中で頓挫することによって、起こり得る事態は全て政府の責任だ。世界が注目しているので、日本の民主主義国家としての成熟度が多くの国に見透かされてしまうのではないかなと思っている。
菅官房長官にお聞きしたい。ラムズフェルド国防長官(2003年当時)が「普天間は世界一危険な飛行場だ」と発言し、官房長官も国民や県民を洗脳するかのように「普天間の危険性除去のために、辺野古が唯一の政策」と言っている。辺野古基地ができない場合、本当に普天間は固定化されるのかどうか、聞かせていただきたい。 =④
ラムズフェルドさんも官房長官も多くの識者も世界一危険な基地だと言っているのに、辺野古ができなかったら固定化ができるのかどうか。これをぜひお聞かせ願いたい。
普天間が返還され、辺野古に言って(面積が)4分の1になるという話がある。それから嘉手納以南の相当数が返されるというんですが、一昨年に小野寺前防衛大臣が来た時に、「それで、どれだけ基地は減るのか」と聞いたら、今の73.8%から73.1%にしか変わらない。0.7%だ。なぜかというと那覇空港もキャンプキンザーもみんな県内移設だから。県内移設なので、普天間が4分の1の所に行こうがどうしようが、73.8%が73.1%にしか変わらない。 =⑤
官房長官の話を聞いたら全国民は「相当これは進むな」「なかなかやるじゃないか」と思うかもしれないけれど、パーセンテージで言うとそういうことだ。
それから、もう一つ。那覇空港やキャンプキンザーなどは2025年まで、2028年までには返すと書いてあるが、その次に「またはその後」と書いてある。これは日本語としてどうなんだと思う。
2025年、2028年までに返すんだと書いておいて、その次に「またはその後」という言葉が付いている。「ハナシクワッチー」と言って、沖縄では話のごちそうという言葉がある。いい話をして局面を乗り越えたら、このことにはまた知らんふりというのが、戦後70年間の沖縄の基地の問題だったと思う。だから、今こうしてオスプレイをどこそこに持って行く、あるいはたくさんの基地が返るんだという話をされても、「またはその後」が付けば、「50年ぐらい軽くかかるんじゃないか」という危惧を県民はみんな持っている。こういうところをぜひ、ご理解いただきたい。
そして、安倍総理が、「日本を取り戻す」と二期目の安倍政権から言っていた。私からすると、取り戻す日本の中に沖縄が入っているのか、率直な疑問だ。「戦後レジームからの脱却」ということもよく言うが、沖縄では「戦後レジームの死守」をしている感じがする。 =⑥
一方で憲法改正という形で日本の積極的平和主義を訴えながら、沖縄ではこの「戦後レジームの死守」をすることは、本当の意味の国の在り方からいくと納得しにくい。
昨日、一昨日の官房長官の「沖縄県民の民意」というものがあった。「いろんなものがあってあの選挙を戦ったんだよ」と。「だから(民意は)色々あるでしょう」という話があったが、昨年度の名護市長選挙、特に沖縄県知事選挙、衆院選挙の争点はただ一つだった。前知事が埋め立て承認をしたことに対する審判だった。テレビ塔論や新聞討論で(議題は)教育、福祉、環境いろいろあるが、私と前知事との政策に、埋め立て承認以外では違いがなかった。
「平和の中・・・日本のフロントプランナー」
あの埋め立て承認の審判が、今度の選挙の大きな争点であり、10万票差で私が当選したということは、もろもろの政策でやったものではないということを、ぜひ理解してほしい。辺野古基地の反対について、県民の圧倒的な考えが示されたと思っている。
振興策の話もしていたが、沖縄県はいろいろ難しいところがある。例えば基地があることによって困ったことは何だったかというと、あの9・11のニューヨークのテロでビルに飛行機がぶつかったときに、大変なことが起きたなと思ったら、一週間後には、沖縄に観光客が4割来なくなった。そして4割来ないということは大変な出来事で、あのときの沖縄の苦しみというのは大変だった。
そして尖閣も日本固有の領土だし、守ることは結構だ。しかしあの尖閣で何か小競り合いが起きると、石垣島に来ている100万人の観光客がすぐ10万人くらいに減るという危険性も十二分に持っている。そういう視点からも沖縄は平和の中にあって初めて、沖縄のソフトパワー、自然、歴史、伝統、文化、万国津梁(しんりょう)の精神、世界の懸け橋になる、日本のフロントランナーとなる。 =⑦
経済的にもどんどん伸びていき、平和の緩衝地帯として他の国々と摩擦が起きないような努力の中に沖縄を置くべきだと思う。米軍基地があると、お互いの国とも近くて、最近はミサイルが発達しているので一、二発で沖縄が危なくなる。
こういったことを考え合わせると、米軍もアメリカももうちょっと遠いところに行きたがっているんじゃないか。日本の方がかえってそれを止めて「抑止力」という形でやっているのではないかという疑問がある。
アジアを見据える、あるいは中東を見据えるところまで沖縄の基地が使われるのではないかと思っているが、この辺の根本的な説明がないと、新辺野古基地というのは恐らく難しい。
県民の今日までのいろんな思いは絶対に小さくはならない。もっと大きくなって、この問題に関して、話が進んでいくと思っている。
今日は官房長官にお会いさせていただいたが、安倍総理にもこのような形でお話しする機会があれば大変ありがたい。ぜひ、その面談の手配をお願いしたい。(官房長官は)基地負担軽減担当大臣でもあるので、辺野古建設の中止をされて、しっかりと話し合いをして、基地問題を解決していただきたいと思っている。よろしくお願いします。
〔資料-2〕
「基地問題で国の品格問う ~ 沖縄では安倍政権「戦後レジーム死守」
東京新聞(2015年4月11日)特報
<書き起こし>
典拠:サイト「mixiみんなの日記」記事「全国民必読!翁長・菅会談における翁長知事発言全文(2015.4.11東京新聞「こちら特報部」より)」*http://open.mixi.jp/user/23621043/diary/1940938299
翁長知事の発言は明快だが、込めた意図などを大学教授らに読み解いてもらった。
まず最初の①。「日米安保体制が重要…」は、海兵隊が使う普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古(名護市)移設反対の主張と相容れないようでもあるが、琉球大の島袋純教授(政治学)は「県民に安保体制を壊す意思はないということを、はっきりさせておきたかったのでしょう」と話す。
重要拠点である米空軍嘉手納基地については「すぐに撤去できないという県民の共通認識がある」という。1995年の少女暴行事件以来、沖縄が求めているのは「米海兵隊の撤退や大幅縮小」だ。こうした前提の上で「翁長知事は海兵隊の抑止力に焦点を当て、すべてが沖縄にある必要性はない、と言っている。海兵隊の規模が縮小されれば、かなりの基地問題は解決する」と島袋氏は指摘した。
②の「沖縄県が自ら基地は提供したことはない…」については、「米国も加盟するハーグ陸戦条約は、敵国の領土における私有財産没収や略奪を禁じている。本来、接収した土地は返還されなければならなかった」(島袋氏)。
注目すべきは後に続く「自ら奪って」という表現で、「ここで主語が米軍から日本政府になる。沖縄復帰の直前、政府が公用地暫定使用法を成立させ、米軍の接取を合法化した。法の支配の逸脱、人権侵害でもある」と説明した。
③の「お祝いの式典…」は、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を、沖縄県民が「屈辱の日」と認識していることへの発言だ。日本は独立を果たしたが、沖縄が米軍政下に置かれた。「かつての自民党幹部は4月28日など祝わず、沖縄の痛みを共有しているという相互の信頼関係があった。自民党の性質が根本的に変わってしまったと、知事は言いたかったのではないか」
④の「普天間は固定化…」については、沖縄国際大の前泊博盛教授(基地経済論)は「協議が始まった時は普天間飛行場を撤去するという話だったのに、いつの間にか移設にすり替わってしまった」と解説する。「他国との問題は外交で解決する時代になっている。従来ほどの軍事力は必要はなくなっている」
⑤の「73.8%が73.1%…」の指摘のように、辺野古に移設をしても、沖縄の負担はほとんど変わらない。前泊氏は「嘉手納より南にある米軍基地はもともと重要性が低い。実際に、遊休化している基地は多数ある」と指摘した。
⑥の「戦後レジームの死守…」は沖縄県民にはそう映るのだろう。「対米従属ではなく、対等な関係の構築こそが脱却。そこに触れずに何を言っているのか。結局、日本の政治家は基地問題をよく知らない。長年、米軍基地と向き合ってきた沖縄の住民からみれば『何も分かっていない人間が首相や官房長官をやっているのか』となってしまう」(前泊氏)
⑦の「沖縄のソフトパワー…」は、本土に無い独自の文化が数多くあるという主張だ。
沖縄を訪れる観光客数は年々増え、昨年は過去最高の705万人。米軍基地の存在はマイナスでしかなく、ドキュメンタリー映画「圧殺の海 沖縄・辺野古」を撮影した影山あさ子監督は「9・11直後、(那覇市の繁華街の)国際通りは閑散としていたと聞く。何か事が起きれば攻撃対象になると皆が肌で感じているはず」と主張し、沖縄には別の役割を担わせるべきだと強調する。
「日本の端は、中国やアジアの国々と近いことを意味する。基地に反対する沖縄の住民の強いメッセージは各国にも伝わっている。アジア全体の平和を考えていく場所にするべきではないのか」
(デスクメモ)
最近、何度もテレビが放送したパラオの海の映像をみて思う。10年ほど前、慰霊の取材で訪れた硫黄島の海も美しかった。だが、戦前に暮らした島民は去り、自衛隊の基地しかない。沖縄は移住者も多く、戦前は58万人ほどだった人口が、いまや140万人超。しかし、米軍基地は一向に減らない。(文)
〔資料-3〕
「辺野古移設は日本の利権の話 米軍の要請ではなく国防無関係」
newsポストセブン/週刊ポスト2015年4月17日号提供(2015年04月10日 07:21 )
典拠:サイト「mixiみんなの日記」*http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3364235
普天間飛行場の辺野古移設に関する政府と沖縄県のバトルが過熱している。菅義偉・官房長官は翁長雄志知事に対し、「住宅密集地にある普天間飛行場の危険性除去」のために辺野古移設の同意を迫っている。だが、それでは「なぜ移設先が辺野古なのか」の説明がつかない。県外や国外への移転も検討できるからだ。
政府が最近、ゴリ押しする理屈は、「日米間の信頼関係が悪化して、外交・防衛上の損害が生じる」というものだ。要は、基地移設が遅れてアメリカが怒ると日本の国防が危うくなるという主張である。自衛隊幹部OBがいう。
「辺野古基地に駐留するのは海兵隊。海兵隊は敵地の海岸へ強行上陸するための部隊で、国土を防衛する目的もなければ、能力もない。国防の喫緊の課題である尖閣諸島など島嶼部防衛にも役に立たない」
そもそも小泉政権時代に決められた在日米軍の再編合意書には、島嶼部への侵略に対処するのは日本、つまり自衛隊の責任であることが明記されている。尖閣有事に際し、辺野古に米海兵隊がいても出動することはないのだ。“日本の安全を守るため”というお題目は崩れている。
「米軍は海兵隊をグアムに移転させるロードマップを描いていたが、小泉政権時に“沖縄にいてほしい”と辺野古移設を提案した経緯がある。小泉首相は政権幹部が辺野古は環境へのダメージが大きいので止めるべきだと進言すると、“二度とその話をするな”と一喝した。そもそも、辺野古移設は日本側の利権の話であって、米軍側の要請でもなければ、国防とも関係がない」(当時の官邸スタッフ)
高村正彦・副総裁は、3月27日に訪米するとカーター米国防長官に「国会を延長させ安保法制関連法案を今国会中に成立させる」と大見得を切った。米大使館関係者は唖然とする。
「安倍政権は我が国が喜ぶと思って辺野古も安保法制もTPPも進めているが、そんなことは望んでもいない。よほど4月末の訪米と首脳会談を実現したかったのだろうが、一方的でピント外れのラブコールにオバマ大統領は困惑している」
〔資料-4〕
「翁長知事、辺野古反対をアメリカに直訴へ」
沖縄タイムス(2015年(平成27年) 4月13日)
☆ 記事URL:http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=111295
翁長雄志知事が、5月17日に沖縄セルラースタジアム那覇で開かれる県民大会に出席し、直後に訪米して普天間飛行場の辺野古移設に反対する考えを直訴する方向で調整していることが11日、分かった。県は米政府機関と会談日程の調整を進めており、米側の対応次第では大会翌日の18日にも訪米する可能性がある。複数の関係者が明らかにした。(吉田央)
5・17県民大会は、新基地建設に反対する県選出の野党国会議員や県議会与党会派らでつくる「止めよう辺野古新基地建設実行委員会」と、有識者や議員、市民団体メンバーなどでつくる「沖縄建白書を実現し未来を拓(ひら)く島ぐるみ会議」が共催する方向で、翁長県政発足後、最大動員となる数万人規模の開催を目指している。
翁長知事は5・17大会が大規模であることなどを重視して出席する意欲を示しており、与党県議らにも意向を伝えている。会場で示された民意や大会で承認される決議文なども、訪米で米政府に訴える要素の一つとなる。
県は訪米に向け、平安山英雄ワシントン駐在員を中心に米国務省、国防総省、ホワイトハウスなどと日程調整を続けている。
知事の具体的な訪米日時は、米側との会談日程や会談相手の調整が済み次第、確定する。
5日の会談の知事発言全文が紹介されています
(下記〔資料-1〕参照)。
三沢典丈、上田千秋記者の伝えるところによると、
――公開は冒頭の五分の予定だったが、翁長知事の弁舌は三十分近く止まらなかった。事務方が用意した資料にほとんど目をやらず、翁長知事が自身の言葉で紡いだ発言――
とのことです
(一々の論点についての識者らの解説は、下記〔資料-2〕参照)。
それにしても、
沖縄の現実を知る貴重な機会なのに
安倍某は、
会談を回避。
何を考えているのでしょうね。
「辺野古移設は日本の利権の話 米軍の要請ではなく国防無関係」
という週刊ポストの指摘する意義につき考えてしまいます
(下記〔資料-3〕参照)。
「沖縄独立」を
スローガンにしないと本気になりそうもない
官邸に愛想を尽かし、
今や米国に直訴する方向で調整が進んでいます
(下記〔資料-4〕参照)。
〔資料-1〕
「翁長沖縄県知事の全発言を読み解く 官房長官との初会談」
東京新聞(2015年4月11日)
<知事の全発言・書き起こし>
典拠:サイト「mixiみんなの日記」記事「全国民必読!翁長・菅会談における翁長知事発言全文(2015.4.11東京新聞「こちら特報部」より)」*http://open.mixi.jp/user/23621043/diary/1940938299
お忙しい中、時間を割いていただき、意見交換の場をつくっていただいたことに感謝を申し上げたい。
官房長官からも話があったが、沖縄は全国の面積のたった0.6%に74%の米軍専用施設が置かれている。まさしく戦後70年間、日本の安全保障を支えてきた自負もあり、無念さもある。今、官房長官からそういったことに対して大変理解のある言葉をもらった。そうであるならば、去年の暮れ、あるいは今年の初め、どんなに忙しかったかは分からないが、こういった話をする中で「物事を粛々と進める」ということがあったら、県民の理解ももう少し深くなったと思う。
私は日米安保体制が重要だというのは、私の政治の経歴からいっても十二分に理解している。しかし、日本の安全保障を国民全体で負担するという気構えがなければ、今、尖閣の話もあったが、たった一県のこの沖縄県に多くの米軍施設を負担させて日本の国を守るんだと言ってもよその国から見るとその覚悟のほどはがどうだろうかと思う。 =①
日本国民全体で負担する中で、日本の安全保障や日米安保体制、日米同盟をしっかりやって欲しいというのが私の気持ちだ。
オスプレイなどが本土で訓練する話もあったが、残念ながらいわゆる期間基地を本土に持っていくという話がないから、訓練をしていずれ全て沖縄に戻ってくるのではないかという危惧は、今日までの70年間の歴史からすると、十二分に感じられることだ。不安がある。
そして、どんなに言っても米軍の運用に自分たちは口を挟めないんだという形で物事が終わってしまう。環境問題もさることながら、日米地位協定の改定も抜本的な意味合いでやってもらわないと。沖縄の危惧は、今の日米協定の中では解決しにくいと思っている。
「沖縄が基地を提供したことはない」
今日まで沖縄県が自ら基地は提供したことはないということを協調しておきたい。普天間飛行場もそれ以外の取り沙汰される飛行場も全部、戦争が終わって県民が収容所に入れられている間に、県民がいるところは銃剣とブルドーザーで、普天間飛行場も含め基地に変わった。 =②
私たちの思いとは全く別に全て強制接収された。自ら奪っておいて、県民に大変な苦しみを今日まで与えて、そして今や世界一危険になったから、普天間は危険だから大変だというような話になって、その危険性の除去のために「沖縄が負担しろ」と。「おまえたち、代替案を持ってるのか」と。「日本の安全保障はどう考えているんだ」と。「沖縄県のことも考えているのか」と。こういった話がされること自体が日本の国の政治の堕落ではないかと思う。
日本の国の品格という意味でも、世界から見ても、おかしいのではないかと思う。この70年間という期間の中で、基地の解決に向けてどれだけ頑張ってこられたかということの検証も含め、そのスピードから言うと先にはどうなるのか。これからもなかなか見えてこないと思う。
一昨年、サンフランシスコ講和条約の発効の時にお祝いの式典があった。日本の独立を祝うんだという、若者に夢と希望を与えるんだという話しがあったが、沖縄にとっては、あれは日本と切り離された悲しい日だ。そういった思いがある中、あの万歳三唱を聞くと、沖縄に対する思いはないのではないかと率直に思う。 =③
27年間、サンフランシスコ講和条約で日本の独立と引き換えに米軍の軍政下に差し出されて。そして、その27年の間に日本は高度経済成長を謳歌した。その間、私たちは米軍との過酷な自治権獲得運動をやってきた。想像を絶するようなものだった。
官房長官と私は法政大学で一緒だが、私は22歳までパスポートを持ってドルで送金を受けて日本に通った。そういったものなどを思い浮かべると、あの27年間、沖縄が支えたものは何だったのかなと思い出される。
そして、官房長官が「粛々」という言葉を何回も使う。僕からすると、埋め立て工事に関して問答無用という姿勢が感じられる。その突き進む姿は、サンフランシスコ講和条約で米軍の軍政下に置かれた沖縄。その時の最高権力者だったキャラウェイ高等弁務官は「沖縄の自治は神話である」と。「自治は神話」だとあの時に言った。
私たちの自治権獲得運動に対し、そのような言葉で、キャラウェイ高等弁務官が言っていて、なかなか物事は進まなかった。
官房長官の「粛々」という言葉がしょっちゅう全国放送で出てくると、何となくキャラウェイ高等弁務官の姿が思い出される。何か重なり合う感じがして、私たちのこの70年間、何だったのかなと率直に思っている。
そして、この27年間の苦しい中で強制接取された土地を、プライスさんという人がきて、プライス勧告というもので強制買い上げをしようとした。とても貧しい時期だったから、県民は喉から手が出るほどお金が欲しかったと思うが、みんなで力を合わせてプライス勧告を阻止した。
今、私たちは自分たちの手の中に基地(の土地)が残っている。こういった自治権獲得の歴史は、「粛々」という言葉には決して脅かされない。そう思っている。上から目線の「粛々」という言葉を使えば使うほど、県民の心は離れて、怒りは増幅していくのではないかと思っている。私は辺野古の新基地は絶対に建設することができないという確信を持っている。
こういう県民のパワーが私たちの誇りと自信、祖先に対する思い、将来の子や孫に対する重いというものが全部重なっていて、私たち一人一人の生きざまになってくる。こういう形で「粛々」と進められるものがあったら、絶対に建設することはできない、不可能になるだろうなと私は思う。そうすると、建設途中で頓挫することによって、起こり得る事態は全て政府の責任だ。世界が注目しているので、日本の民主主義国家としての成熟度が多くの国に見透かされてしまうのではないかなと思っている。
菅官房長官にお聞きしたい。ラムズフェルド国防長官(2003年当時)が「普天間は世界一危険な飛行場だ」と発言し、官房長官も国民や県民を洗脳するかのように「普天間の危険性除去のために、辺野古が唯一の政策」と言っている。辺野古基地ができない場合、本当に普天間は固定化されるのかどうか、聞かせていただきたい。 =④
ラムズフェルドさんも官房長官も多くの識者も世界一危険な基地だと言っているのに、辺野古ができなかったら固定化ができるのかどうか。これをぜひお聞かせ願いたい。
普天間が返還され、辺野古に言って(面積が)4分の1になるという話がある。それから嘉手納以南の相当数が返されるというんですが、一昨年に小野寺前防衛大臣が来た時に、「それで、どれだけ基地は減るのか」と聞いたら、今の73.8%から73.1%にしか変わらない。0.7%だ。なぜかというと那覇空港もキャンプキンザーもみんな県内移設だから。県内移設なので、普天間が4分の1の所に行こうがどうしようが、73.8%が73.1%にしか変わらない。 =⑤
官房長官の話を聞いたら全国民は「相当これは進むな」「なかなかやるじゃないか」と思うかもしれないけれど、パーセンテージで言うとそういうことだ。
それから、もう一つ。那覇空港やキャンプキンザーなどは2025年まで、2028年までには返すと書いてあるが、その次に「またはその後」と書いてある。これは日本語としてどうなんだと思う。
2025年、2028年までに返すんだと書いておいて、その次に「またはその後」という言葉が付いている。「ハナシクワッチー」と言って、沖縄では話のごちそうという言葉がある。いい話をして局面を乗り越えたら、このことにはまた知らんふりというのが、戦後70年間の沖縄の基地の問題だったと思う。だから、今こうしてオスプレイをどこそこに持って行く、あるいはたくさんの基地が返るんだという話をされても、「またはその後」が付けば、「50年ぐらい軽くかかるんじゃないか」という危惧を県民はみんな持っている。こういうところをぜひ、ご理解いただきたい。
そして、安倍総理が、「日本を取り戻す」と二期目の安倍政権から言っていた。私からすると、取り戻す日本の中に沖縄が入っているのか、率直な疑問だ。「戦後レジームからの脱却」ということもよく言うが、沖縄では「戦後レジームの死守」をしている感じがする。 =⑥
一方で憲法改正という形で日本の積極的平和主義を訴えながら、沖縄ではこの「戦後レジームの死守」をすることは、本当の意味の国の在り方からいくと納得しにくい。
昨日、一昨日の官房長官の「沖縄県民の民意」というものがあった。「いろんなものがあってあの選挙を戦ったんだよ」と。「だから(民意は)色々あるでしょう」という話があったが、昨年度の名護市長選挙、特に沖縄県知事選挙、衆院選挙の争点はただ一つだった。前知事が埋め立て承認をしたことに対する審判だった。テレビ塔論や新聞討論で(議題は)教育、福祉、環境いろいろあるが、私と前知事との政策に、埋め立て承認以外では違いがなかった。
「平和の中・・・日本のフロントプランナー」
あの埋め立て承認の審判が、今度の選挙の大きな争点であり、10万票差で私が当選したということは、もろもろの政策でやったものではないということを、ぜひ理解してほしい。辺野古基地の反対について、県民の圧倒的な考えが示されたと思っている。
振興策の話もしていたが、沖縄県はいろいろ難しいところがある。例えば基地があることによって困ったことは何だったかというと、あの9・11のニューヨークのテロでビルに飛行機がぶつかったときに、大変なことが起きたなと思ったら、一週間後には、沖縄に観光客が4割来なくなった。そして4割来ないということは大変な出来事で、あのときの沖縄の苦しみというのは大変だった。
そして尖閣も日本固有の領土だし、守ることは結構だ。しかしあの尖閣で何か小競り合いが起きると、石垣島に来ている100万人の観光客がすぐ10万人くらいに減るという危険性も十二分に持っている。そういう視点からも沖縄は平和の中にあって初めて、沖縄のソフトパワー、自然、歴史、伝統、文化、万国津梁(しんりょう)の精神、世界の懸け橋になる、日本のフロントランナーとなる。 =⑦
経済的にもどんどん伸びていき、平和の緩衝地帯として他の国々と摩擦が起きないような努力の中に沖縄を置くべきだと思う。米軍基地があると、お互いの国とも近くて、最近はミサイルが発達しているので一、二発で沖縄が危なくなる。
こういったことを考え合わせると、米軍もアメリカももうちょっと遠いところに行きたがっているんじゃないか。日本の方がかえってそれを止めて「抑止力」という形でやっているのではないかという疑問がある。
アジアを見据える、あるいは中東を見据えるところまで沖縄の基地が使われるのではないかと思っているが、この辺の根本的な説明がないと、新辺野古基地というのは恐らく難しい。
県民の今日までのいろんな思いは絶対に小さくはならない。もっと大きくなって、この問題に関して、話が進んでいくと思っている。
今日は官房長官にお会いさせていただいたが、安倍総理にもこのような形でお話しする機会があれば大変ありがたい。ぜひ、その面談の手配をお願いしたい。(官房長官は)基地負担軽減担当大臣でもあるので、辺野古建設の中止をされて、しっかりと話し合いをして、基地問題を解決していただきたいと思っている。よろしくお願いします。
〔資料-2〕
「基地問題で国の品格問う ~ 沖縄では安倍政権「戦後レジーム死守」
東京新聞(2015年4月11日)特報
<書き起こし>
典拠:サイト「mixiみんなの日記」記事「全国民必読!翁長・菅会談における翁長知事発言全文(2015.4.11東京新聞「こちら特報部」より)」*http://open.mixi.jp/user/23621043/diary/1940938299
翁長知事の発言は明快だが、込めた意図などを大学教授らに読み解いてもらった。
まず最初の①。「日米安保体制が重要…」は、海兵隊が使う普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古(名護市)移設反対の主張と相容れないようでもあるが、琉球大の島袋純教授(政治学)は「県民に安保体制を壊す意思はないということを、はっきりさせておきたかったのでしょう」と話す。
重要拠点である米空軍嘉手納基地については「すぐに撤去できないという県民の共通認識がある」という。1995年の少女暴行事件以来、沖縄が求めているのは「米海兵隊の撤退や大幅縮小」だ。こうした前提の上で「翁長知事は海兵隊の抑止力に焦点を当て、すべてが沖縄にある必要性はない、と言っている。海兵隊の規模が縮小されれば、かなりの基地問題は解決する」と島袋氏は指摘した。
②の「沖縄県が自ら基地は提供したことはない…」については、「米国も加盟するハーグ陸戦条約は、敵国の領土における私有財産没収や略奪を禁じている。本来、接収した土地は返還されなければならなかった」(島袋氏)。
注目すべきは後に続く「自ら奪って」という表現で、「ここで主語が米軍から日本政府になる。沖縄復帰の直前、政府が公用地暫定使用法を成立させ、米軍の接取を合法化した。法の支配の逸脱、人権侵害でもある」と説明した。
③の「お祝いの式典…」は、サンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を、沖縄県民が「屈辱の日」と認識していることへの発言だ。日本は独立を果たしたが、沖縄が米軍政下に置かれた。「かつての自民党幹部は4月28日など祝わず、沖縄の痛みを共有しているという相互の信頼関係があった。自民党の性質が根本的に変わってしまったと、知事は言いたかったのではないか」
④の「普天間は固定化…」については、沖縄国際大の前泊博盛教授(基地経済論)は「協議が始まった時は普天間飛行場を撤去するという話だったのに、いつの間にか移設にすり替わってしまった」と解説する。「他国との問題は外交で解決する時代になっている。従来ほどの軍事力は必要はなくなっている」
⑤の「73.8%が73.1%…」の指摘のように、辺野古に移設をしても、沖縄の負担はほとんど変わらない。前泊氏は「嘉手納より南にある米軍基地はもともと重要性が低い。実際に、遊休化している基地は多数ある」と指摘した。
⑥の「戦後レジームの死守…」は沖縄県民にはそう映るのだろう。「対米従属ではなく、対等な関係の構築こそが脱却。そこに触れずに何を言っているのか。結局、日本の政治家は基地問題をよく知らない。長年、米軍基地と向き合ってきた沖縄の住民からみれば『何も分かっていない人間が首相や官房長官をやっているのか』となってしまう」(前泊氏)
⑦の「沖縄のソフトパワー…」は、本土に無い独自の文化が数多くあるという主張だ。
沖縄を訪れる観光客数は年々増え、昨年は過去最高の705万人。米軍基地の存在はマイナスでしかなく、ドキュメンタリー映画「圧殺の海 沖縄・辺野古」を撮影した影山あさ子監督は「9・11直後、(那覇市の繁華街の)国際通りは閑散としていたと聞く。何か事が起きれば攻撃対象になると皆が肌で感じているはず」と主張し、沖縄には別の役割を担わせるべきだと強調する。
「日本の端は、中国やアジアの国々と近いことを意味する。基地に反対する沖縄の住民の強いメッセージは各国にも伝わっている。アジア全体の平和を考えていく場所にするべきではないのか」
(デスクメモ)
最近、何度もテレビが放送したパラオの海の映像をみて思う。10年ほど前、慰霊の取材で訪れた硫黄島の海も美しかった。だが、戦前に暮らした島民は去り、自衛隊の基地しかない。沖縄は移住者も多く、戦前は58万人ほどだった人口が、いまや140万人超。しかし、米軍基地は一向に減らない。(文)
〔資料-3〕
「辺野古移設は日本の利権の話 米軍の要請ではなく国防無関係」
newsポストセブン/週刊ポスト2015年4月17日号提供(2015年04月10日 07:21 )
典拠:サイト「mixiみんなの日記」*http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=3364235
普天間飛行場の辺野古移設に関する政府と沖縄県のバトルが過熱している。菅義偉・官房長官は翁長雄志知事に対し、「住宅密集地にある普天間飛行場の危険性除去」のために辺野古移設の同意を迫っている。だが、それでは「なぜ移設先が辺野古なのか」の説明がつかない。県外や国外への移転も検討できるからだ。
政府が最近、ゴリ押しする理屈は、「日米間の信頼関係が悪化して、外交・防衛上の損害が生じる」というものだ。要は、基地移設が遅れてアメリカが怒ると日本の国防が危うくなるという主張である。自衛隊幹部OBがいう。
「辺野古基地に駐留するのは海兵隊。海兵隊は敵地の海岸へ強行上陸するための部隊で、国土を防衛する目的もなければ、能力もない。国防の喫緊の課題である尖閣諸島など島嶼部防衛にも役に立たない」
そもそも小泉政権時代に決められた在日米軍の再編合意書には、島嶼部への侵略に対処するのは日本、つまり自衛隊の責任であることが明記されている。尖閣有事に際し、辺野古に米海兵隊がいても出動することはないのだ。“日本の安全を守るため”というお題目は崩れている。
「米軍は海兵隊をグアムに移転させるロードマップを描いていたが、小泉政権時に“沖縄にいてほしい”と辺野古移設を提案した経緯がある。小泉首相は政権幹部が辺野古は環境へのダメージが大きいので止めるべきだと進言すると、“二度とその話をするな”と一喝した。そもそも、辺野古移設は日本側の利権の話であって、米軍側の要請でもなければ、国防とも関係がない」(当時の官邸スタッフ)
高村正彦・副総裁は、3月27日に訪米するとカーター米国防長官に「国会を延長させ安保法制関連法案を今国会中に成立させる」と大見得を切った。米大使館関係者は唖然とする。
「安倍政権は我が国が喜ぶと思って辺野古も安保法制もTPPも進めているが、そんなことは望んでもいない。よほど4月末の訪米と首脳会談を実現したかったのだろうが、一方的でピント外れのラブコールにオバマ大統領は困惑している」
〔資料-4〕
「翁長知事、辺野古反対をアメリカに直訴へ」
沖縄タイムス(2015年(平成27年) 4月13日)
☆ 記事URL:http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=111295
翁長雄志知事が、5月17日に沖縄セルラースタジアム那覇で開かれる県民大会に出席し、直後に訪米して普天間飛行場の辺野古移設に反対する考えを直訴する方向で調整していることが11日、分かった。県は米政府機関と会談日程の調整を進めており、米側の対応次第では大会翌日の18日にも訪米する可能性がある。複数の関係者が明らかにした。(吉田央)
5・17県民大会は、新基地建設に反対する県選出の野党国会議員や県議会与党会派らでつくる「止めよう辺野古新基地建設実行委員会」と、有識者や議員、市民団体メンバーなどでつくる「沖縄建白書を実現し未来を拓(ひら)く島ぐるみ会議」が共催する方向で、翁長県政発足後、最大動員となる数万人規模の開催を目指している。
翁長知事は5・17大会が大規模であることなどを重視して出席する意欲を示しており、与党県議らにも意向を伝えている。会場で示された民意や大会で承認される決議文なども、訪米で米政府に訴える要素の一つとなる。
県は訪米に向け、平安山英雄ワシントン駐在員を中心に米国務省、国防総省、ホワイトハウスなどと日程調整を続けている。
知事の具体的な訪米日時は、米側との会談日程や会談相手の調整が済み次第、確定する。
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