体制批判の
言論を怖れているのだな
(拙稿「今度は、世耕弘成がデマか。次から次へと官邸の人間は!」参照)。
☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/d89288780e218409a888d3a3a5b36922
しかし、なぜ、桂春蝶がでてくるのだろう、立川志らくも…
落語家が盾になれば、
政府批判も毒を抜かれると期待しているのだろうか。
彼らにしゃべらせれば、
しゃべらせるほど、松本人志風の詭弁に似るだけだろうに。
裏にいる人間の卑しさが垣間見えるようだ。
批判封じは、
世耕そのもの得意手だ。
このおっさんが
テキストを用意しているのだろう。
被災者の人が
「この地域がなぜ、優先?」と訝った
避難所サービスを
正当化しようといきり立った神経質さが
この二人の落語家さんに
共通して見られる。
まず、桂春蝶。
なぜ、政権批判者を火事場泥棒と言い募るのか。
リテラの記事を読んで
ヒントを得た、
春蝶は、
今回の豪雨を巡っての態度を
福島原発が起きた際の
自民党、就中、安倍晋三をなぞっているのだ、と。
すなわち、
同人は、
今やッている野党が自民党批判をしているやり方は、
かつての自民党の姿だというわけである。
すなわち、リテラは、
こう述べる。
――2006年に安倍首相は地震や津波によって原発で非常用電源が喪失する可能性があると指摘されていたのに、「(電源喪失が)発生するとは考えられない」「万全の態勢を整えている」として無視。だが、現実に電源喪失の事態が起こったというのに、対策をとらなかったことの責任は棚に上げて与党批判に終始し、挙げ句、〈海水注入を止めたのは、なんと菅総理〉というデマまで流布させたほどだ。――
民主党の意に反して、
事故が起きた。
それを奇貨として、自らの責任を棚に上げて、
支持率を
盗み取ろうとした男がいた。
それが安倍晋三だ。
今、そっくり野党がそうしているというわけだな。
確かに、
自民党の意に反して、
災害が起きた。
しかし、それにつき、そもそも何の責任も負わない野党が
責任を棚上げしようにも
棚上げできる責任がないではないか。
また、
支持率を
盗み取ろうとした安倍晋三がごとく
どんなでたらめを情報を垂れ流したろうか。
全部、本当の事ではないか。
春蝶には
不思議な事実誤認ないし邪推がある。
「政権批判で支持率が稼げる」
という理解だ。
批判と言っても、嘘では民心が離れる。
今、安倍政権下で起きているのは、
その現象だ。
そして未だ嘘、でたらめを反省しない立場を継承しているのが
立川志らくだ。
彼は、言う。
「これだけの雨が降ったんだから、自民党の人たちだって国民の命を無視してこうやって飲むわけがない」と。
このおっさっは、どんな餌を目の前に見て
事実を捻じ曲げようとするのか。
この志らくの主張には、
見え難い事実が埋め込まれている。
咄嗟には
指摘しにくい事実に依拠して
嘘を押し付ける論法だ。
つまり、こうだ。
「大雨が降っても、それがダムの決壊などに立ち至るまでには時間差があるということだ」。
降り続いた雨が災害として
見せつけられるのが翌日であるため、
雨が降っている最中、「大変だ」とはなかなか意識しづらいわけだ。
しかし、今回に関しては、
気象庁の大雨予想のあった当日、
死者が数人出ていたという特殊な事情がある。
すなわち、翌日を待たず、大災害を感じ取れたはずだ。
しかして批判が寄せられる。
その際、内閣官房副長官ともあろうものが
「峠を越えた」
という事実と真逆な
余りに非科学的なツイートをして、被害を助長させた。
そういう犯罪的な
自己正当化を
大雨と被害発生の間にある時間差を利用して、
持ち出している。
大きな枠組みで見れば、
素人が雨量を知り得るはずもなく、
「被害を分かった上で飲んでない」ので
もっと寛容であるべきという主張なのだろう。
しかし、ならば、
「こうやって飲むわけがない」と
事実を否認するな。
飲んだんだよ、だから自民党の議員たちを性善説的に見れば、
「これだけの雨」が国民の命を損なう
大惨事に至るという認識がなかったと、一応は言える。
しかし、
「峠は越えた」など
嘘をついた時点で、彼らの性善説な見方も行き止まりってわけだ。
話を最初に戻し、どういう点で
この二人の落語家が
世耕と共通するか。
一方は、
「政権批判で支持率が稼げる」という自民党、安倍晋三の経験則を
今回の野党批判に当てはめた。
他方では、
「豪雨災害といえど、普通は、被害は翌朝にしかわからない」という
時間差があることを無視して、
「被害が甚大であるから、彼らが宴席で酒を飲んでいたはずがない」
という珍妙な屁理屈を構成した。
安倍を筆頭に、
政権の要を担う閣僚たちに
「国民の生命、財産の安全を守る」意識が希薄である。
どうしても、
「国民の命を無視してこうやって飲むわけがない」という
為政者として求められるモラルを
持っているとは認めがたい。
もし、そのようなモラルを持っているとすれば、
翌朝以降の
安倍の自宅での引き籠りは、
理解不能だ。
然るに、彼らの擁護をしようとする
桂春蝶と立川志らく。
この二人に共通した世耕的狡さって、
思うに、
自分の都合のいいように事実を捻じ曲げるところだな。
安倍政権の欠陥は、
すべて悉く批判者の属性ってわけだな。
なるほど、
そういうことなんだな。
安倍を批判する者は、
火事場ドロボー、しかもいやになるほど感情的!
目をつぶって安倍晋三の顔を思い浮かべながら考えれば、
批判として的を射ているのが分かる。
北朝鮮と戦争になれば、
安倍晋三の火事場ドロボーの本領発揮だ。
以上の考察からすれば、
桂春蝶も立川志らくも確かに、真理を述べている。
用心、用心。
〔資料〕
「赤坂自民亭めぐり立川志らくが自民擁護してないとインチキ反論! 桂春蝶は「政権批判は火事場泥棒」と安倍ポチ全開」
リテラ(2018.07.13)
☆ 記事URL:http://lite-ra.com/2018/07/post-4124.html
安倍首相に対する批判が止まらない。豪雨災害の最中に総裁選を睨んで内輪の「赤坂自民亭」なる飲み会に参加していたことにくわえ、8日まで非常災害対策本部を設置しなかったなど、災害発生で重要な初動対応が遅れに遅れたからだ。
だが、安倍応援団は、こうした当たり前の指摘・批判に対しても“政権攻撃”“政治利用”などと、支離滅裂な反論・擁護を展開している。
たとえば、過剰な政権擁護や弱者への自己責任論を繰り返し、ネトウヨからも大人気の落語家・桂春蝶は12日、こんなトンデモツイートをおこなった。
〈災害時、焼け跡で盗みをはたらく「火事場泥棒」ってのが昔は沢山いた。
僕は今それが、ネット世界に多くいる気がしてならない。
政権批判して支持率を稼ごうとする野党。自衛隊を貶めようとする活動家。
やってる事全部、火事場泥棒ですよ。
そしてまともな日本人は、それをもう見抜き始めてる。〉
政権批判をする野党や国民は「火事場泥棒」──。あまりの倒錯ぶりにクラクラしてくるが、言うまでもなく、災害時の政府対応は国民の生命に直結する大きな問題だ。非常災害対策本部の設置タイミングをひとつとっても、今回の災害を安倍首相が甘く見積もっていたことは誰の目にもあきらかであり、救えたはずの命が初動対応の遅れにより失われたのではないかという批判が起こるのは当然の話。それに、初動対応を批判している人びとは「自衛隊を貶めようと」などしておらず、むしろ安倍首相の初動の遅れによって自衛隊の活動に影響はなかったのか、それを追及しているのだ。
しかも、春蝶は野党を批判するが、国会対応で批判するべきは与党自民党のほうだ。実際、野党6党派は9日、菅義偉官房長官に政府は豪雨災害対応に最優先で取り組むよう申し入れをおこない、安倍首相や石井啓一国土交通相といった担当大臣が最優先で災害対応に当たることを求めていた。だが、これを無視して安倍自民党は10日、参院内閣委員会の開催を委員長職権で強行。災害対応の先頭に立つべき石井国交相を、なんと6時間も委員会に張り付かせるという信じがたい暴挙に出た。つまり、「災害対応よりもカジノ」を優先させたのだ。
だいたい、「政権批判して支持率を稼ごうとする野党」と言うが、これは東日本大震災時の野党・自民党にこそ当てはまる言葉だ。そもそも、2006年に安倍首相は地震や津波によって原発で非常用電源が喪失する可能性があると指摘されていたのに、「(電源喪失が)発生するとは考えられない」「万全の態勢を整えている」として無視。だが、現実に電源喪失の事態が起こったというのに、対策をとらなかったことの責任は棚に上げて与党批判に終始し、挙げ句、〈海水注入を止めたのは、なんと菅総理〉というデマまで流布させたほどだ。
こうした事実をねじ曲げ、国民の命がかかった問題である災害対応への批判を野党批判に転嫁する──。はっきり言って、いまこんなツイートをする春蝶こそが「火事場泥棒」だろう。
だが、このように必死になって災害対応への批判を封じ込めようとする者は、春蝶だけではない。ワイドショーでいつも安倍政権を庇い立てる、同じく落語家の立川志らくだ。
志らくは「自民党が飲むわけない」と擁護したのに、擁護してないとインチキ反論
本サイトで既報の通り、志らくは11日放送の『ひるおび!』(TBS)で、「赤坂自民亭」問題を安倍応援団コメンテーターの八代英輝弁護士とともに無理やり擁護。「『なんだ!酒を飲んで!このやろう!』って感情だけで怒っててもね」「野党も揚げ足をとっている場合ではない」などと述べた。
しかし、この擁護に批判が集まったことで、昨日、志らくはツイッターで以下のように反論したのだ。
〈自民党宴会騒動でいつの間にか自民党を擁護した事になっている。国民は怒るのは当たり前。酒を飲んだ事を非難するより何故宴会を中止出来なかったかその原因を究明する事が大事と言った。自民党批判ではないか?〉
いやいや、何をおっしゃるか。志らくが番組で何と言ったのか、あらためて再掲しよう。
「ただ、酒を飲んだことを非難してもしょうがなくて、なぜ自民党の人が呑気に酒を飲むような状況になってしまったのか、もっとこういう被害になるっていうことは、あらかじめ、もっともっと推測できなかったのか、その問題を解明、究明しないと意味がないですよね。『なんだ!酒を飲んで!このやろう!』って感情だけで怒っててもね。もっと早くに、これだけの雨が降ったんだから、自民党の人たちだって国民の命を無視してこうやって飲むわけがないですから。そこらへんをちゃんと究明しないと。ただただけしからんって周りが怒っても」
つまり、志らくは「自民党批判」したと言い張るが、実際は「これだけの雨が降ったんだから、自民党の人たちだって国民の命を無視してこうやって飲むわけがない」とあきらかに擁護していたのだ。しかし、この日の14時に気象庁が異例の記者会見を開いて「厳重な警戒が必要」と警告し、実際に避難指示・勧告は数十万人に及んでいたのに、それでも安倍首相をはじめとする自民党議員らは現実に酒を飲んでいたのである。
安倍政権の災害放置を批判せず「批判封じ」するのは、安倍ポチそのものだ!
なのに、志らくは「飲むわけがない」と最初から決め打ちして、その上、「感情だけで怒ってても」などと話をすり替えたのだ。これのどこが「自民党批判」だと言うのだろう。その上、「原因を究明する事が大事」ともっともらしく言うが、安倍首相が「災害対応よりも総裁選の選挙運動」を優先させたことは明白で、究明もへったくれもない。いや、志らくの主張は、まるで「気象庁の警告の出し方が弱かったから自民党に届かなかったのでは」とでも言い出さんばかりのものだ。
しかも、志らくは番組でも「野党の人たちなんかも『国民を無視してる、冗談じゃない!』って言うけどいまそんなときじゃない」「揚げ足をとっている場合ではないですね」などと野党批判をもち出し、今回の反論でも〈最近はあまりに野党が酷いから野党非難をしているに過ぎない〉と述べている。だが、自治体や省庁の指揮を執る政府に対し、そこに問題はないかを批判的に指摘するのが野党の仕事であって、志らくは「安倍政権の傀儡野党になれ」と言っているようなものだ。
ようするに、春蝶にせよ志らくにせよ、やっていることは、安倍政権の「あり得ない対応」に対する責任は問わず、「政府は災害対応を最優先させて」と申し出までしている野党になぜか批判の矛先を向け、もともとの安倍政権への批判を打ち消しているだけなのだ。言っておくが怒っているのは野党だけじゃなく、多くの一般国民だ。安倍政権の初動の悪さと被害の大きさを考えれば、野党にはもっと強く追及してもらいたいくらいである。
今回の災害対応にかぎらず、国会の審議や森友・加計問題でも同じ光景が繰り広げられてきたが、国民の命に直結する災害対応への批判まで野党攻撃で封殺しようとするとは、罪深いにも程がある。こんなことでは、この災害大国にあって政府に当たり前の対応を求めることさえ「非国民」などと非難される日がやってくるのではないか。そんな不安さえ感じずにはいられない。
(編集部)
言論を怖れているのだな
(拙稿「今度は、世耕弘成がデマか。次から次へと官邸の人間は!」参照)。
☆ 記事URL:https://blog.goo.ne.jp/nrn54484/e/d89288780e218409a888d3a3a5b36922
しかし、なぜ、桂春蝶がでてくるのだろう、立川志らくも…
落語家が盾になれば、
政府批判も毒を抜かれると期待しているのだろうか。
彼らにしゃべらせれば、
しゃべらせるほど、松本人志風の詭弁に似るだけだろうに。
裏にいる人間の卑しさが垣間見えるようだ。
批判封じは、
世耕そのもの得意手だ。
このおっさんが
テキストを用意しているのだろう。
被災者の人が
「この地域がなぜ、優先?」と訝った
避難所サービスを
正当化しようといきり立った神経質さが
この二人の落語家さんに
共通して見られる。
まず、桂春蝶。
なぜ、政権批判者を火事場泥棒と言い募るのか。
リテラの記事を読んで
ヒントを得た、
春蝶は、
今回の豪雨を巡っての態度を
福島原発が起きた際の
自民党、就中、安倍晋三をなぞっているのだ、と。
すなわち、
同人は、
今やッている野党が自民党批判をしているやり方は、
かつての自民党の姿だというわけである。
すなわち、リテラは、
こう述べる。
――2006年に安倍首相は地震や津波によって原発で非常用電源が喪失する可能性があると指摘されていたのに、「(電源喪失が)発生するとは考えられない」「万全の態勢を整えている」として無視。だが、現実に電源喪失の事態が起こったというのに、対策をとらなかったことの責任は棚に上げて与党批判に終始し、挙げ句、〈海水注入を止めたのは、なんと菅総理〉というデマまで流布させたほどだ。――
民主党の意に反して、
事故が起きた。
それを奇貨として、自らの責任を棚に上げて、
支持率を
盗み取ろうとした男がいた。
それが安倍晋三だ。
今、そっくり野党がそうしているというわけだな。
確かに、
自民党の意に反して、
災害が起きた。
しかし、それにつき、そもそも何の責任も負わない野党が
責任を棚上げしようにも
棚上げできる責任がないではないか。
また、
支持率を
盗み取ろうとした安倍晋三がごとく
どんなでたらめを情報を垂れ流したろうか。
全部、本当の事ではないか。
春蝶には
不思議な事実誤認ないし邪推がある。
「政権批判で支持率が稼げる」
という理解だ。
批判と言っても、嘘では民心が離れる。
今、安倍政権下で起きているのは、
その現象だ。
そして未だ嘘、でたらめを反省しない立場を継承しているのが
立川志らくだ。
彼は、言う。
「これだけの雨が降ったんだから、自民党の人たちだって国民の命を無視してこうやって飲むわけがない」と。
このおっさっは、どんな餌を目の前に見て
事実を捻じ曲げようとするのか。
この志らくの主張には、
見え難い事実が埋め込まれている。
咄嗟には
指摘しにくい事実に依拠して
嘘を押し付ける論法だ。
つまり、こうだ。
「大雨が降っても、それがダムの決壊などに立ち至るまでには時間差があるということだ」。
降り続いた雨が災害として
見せつけられるのが翌日であるため、
雨が降っている最中、「大変だ」とはなかなか意識しづらいわけだ。
しかし、今回に関しては、
気象庁の大雨予想のあった当日、
死者が数人出ていたという特殊な事情がある。
すなわち、翌日を待たず、大災害を感じ取れたはずだ。
しかして批判が寄せられる。
その際、内閣官房副長官ともあろうものが
「峠を越えた」
という事実と真逆な
余りに非科学的なツイートをして、被害を助長させた。
そういう犯罪的な
自己正当化を
大雨と被害発生の間にある時間差を利用して、
持ち出している。
大きな枠組みで見れば、
素人が雨量を知り得るはずもなく、
「被害を分かった上で飲んでない」ので
もっと寛容であるべきという主張なのだろう。
しかし、ならば、
「こうやって飲むわけがない」と
事実を否認するな。
飲んだんだよ、だから自民党の議員たちを性善説的に見れば、
「これだけの雨」が国民の命を損なう
大惨事に至るという認識がなかったと、一応は言える。
しかし、
「峠は越えた」など
嘘をついた時点で、彼らの性善説な見方も行き止まりってわけだ。
話を最初に戻し、どういう点で
この二人の落語家が
世耕と共通するか。
一方は、
「政権批判で支持率が稼げる」という自民党、安倍晋三の経験則を
今回の野党批判に当てはめた。
他方では、
「豪雨災害といえど、普通は、被害は翌朝にしかわからない」という
時間差があることを無視して、
「被害が甚大であるから、彼らが宴席で酒を飲んでいたはずがない」
という珍妙な屁理屈を構成した。
安倍を筆頭に、
政権の要を担う閣僚たちに
「国民の生命、財産の安全を守る」意識が希薄である。
どうしても、
「国民の命を無視してこうやって飲むわけがない」という
為政者として求められるモラルを
持っているとは認めがたい。
もし、そのようなモラルを持っているとすれば、
翌朝以降の
安倍の自宅での引き籠りは、
理解不能だ。
然るに、彼らの擁護をしようとする
桂春蝶と立川志らく。
この二人に共通した世耕的狡さって、
思うに、
自分の都合のいいように事実を捻じ曲げるところだな。
安倍政権の欠陥は、
すべて悉く批判者の属性ってわけだな。
なるほど、
そういうことなんだな。
安倍を批判する者は、
火事場ドロボー、しかもいやになるほど感情的!
目をつぶって安倍晋三の顔を思い浮かべながら考えれば、
批判として的を射ているのが分かる。
北朝鮮と戦争になれば、
安倍晋三の火事場ドロボーの本領発揮だ。
以上の考察からすれば、
桂春蝶も立川志らくも確かに、真理を述べている。
用心、用心。
〔資料〕
「赤坂自民亭めぐり立川志らくが自民擁護してないとインチキ反論! 桂春蝶は「政権批判は火事場泥棒」と安倍ポチ全開」
リテラ(2018.07.13)
☆ 記事URL:http://lite-ra.com/2018/07/post-4124.html
安倍首相に対する批判が止まらない。豪雨災害の最中に総裁選を睨んで内輪の「赤坂自民亭」なる飲み会に参加していたことにくわえ、8日まで非常災害対策本部を設置しなかったなど、災害発生で重要な初動対応が遅れに遅れたからだ。
だが、安倍応援団は、こうした当たり前の指摘・批判に対しても“政権攻撃”“政治利用”などと、支離滅裂な反論・擁護を展開している。
たとえば、過剰な政権擁護や弱者への自己責任論を繰り返し、ネトウヨからも大人気の落語家・桂春蝶は12日、こんなトンデモツイートをおこなった。
〈災害時、焼け跡で盗みをはたらく「火事場泥棒」ってのが昔は沢山いた。
僕は今それが、ネット世界に多くいる気がしてならない。
政権批判して支持率を稼ごうとする野党。自衛隊を貶めようとする活動家。
やってる事全部、火事場泥棒ですよ。
そしてまともな日本人は、それをもう見抜き始めてる。〉
政権批判をする野党や国民は「火事場泥棒」──。あまりの倒錯ぶりにクラクラしてくるが、言うまでもなく、災害時の政府対応は国民の生命に直結する大きな問題だ。非常災害対策本部の設置タイミングをひとつとっても、今回の災害を安倍首相が甘く見積もっていたことは誰の目にもあきらかであり、救えたはずの命が初動対応の遅れにより失われたのではないかという批判が起こるのは当然の話。それに、初動対応を批判している人びとは「自衛隊を貶めようと」などしておらず、むしろ安倍首相の初動の遅れによって自衛隊の活動に影響はなかったのか、それを追及しているのだ。
しかも、春蝶は野党を批判するが、国会対応で批判するべきは与党自民党のほうだ。実際、野党6党派は9日、菅義偉官房長官に政府は豪雨災害対応に最優先で取り組むよう申し入れをおこない、安倍首相や石井啓一国土交通相といった担当大臣が最優先で災害対応に当たることを求めていた。だが、これを無視して安倍自民党は10日、参院内閣委員会の開催を委員長職権で強行。災害対応の先頭に立つべき石井国交相を、なんと6時間も委員会に張り付かせるという信じがたい暴挙に出た。つまり、「災害対応よりもカジノ」を優先させたのだ。
だいたい、「政権批判して支持率を稼ごうとする野党」と言うが、これは東日本大震災時の野党・自民党にこそ当てはまる言葉だ。そもそも、2006年に安倍首相は地震や津波によって原発で非常用電源が喪失する可能性があると指摘されていたのに、「(電源喪失が)発生するとは考えられない」「万全の態勢を整えている」として無視。だが、現実に電源喪失の事態が起こったというのに、対策をとらなかったことの責任は棚に上げて与党批判に終始し、挙げ句、〈海水注入を止めたのは、なんと菅総理〉というデマまで流布させたほどだ。
こうした事実をねじ曲げ、国民の命がかかった問題である災害対応への批判を野党批判に転嫁する──。はっきり言って、いまこんなツイートをする春蝶こそが「火事場泥棒」だろう。
だが、このように必死になって災害対応への批判を封じ込めようとする者は、春蝶だけではない。ワイドショーでいつも安倍政権を庇い立てる、同じく落語家の立川志らくだ。
志らくは「自民党が飲むわけない」と擁護したのに、擁護してないとインチキ反論
本サイトで既報の通り、志らくは11日放送の『ひるおび!』(TBS)で、「赤坂自民亭」問題を安倍応援団コメンテーターの八代英輝弁護士とともに無理やり擁護。「『なんだ!酒を飲んで!このやろう!』って感情だけで怒っててもね」「野党も揚げ足をとっている場合ではない」などと述べた。
しかし、この擁護に批判が集まったことで、昨日、志らくはツイッターで以下のように反論したのだ。
〈自民党宴会騒動でいつの間にか自民党を擁護した事になっている。国民は怒るのは当たり前。酒を飲んだ事を非難するより何故宴会を中止出来なかったかその原因を究明する事が大事と言った。自民党批判ではないか?〉
いやいや、何をおっしゃるか。志らくが番組で何と言ったのか、あらためて再掲しよう。
「ただ、酒を飲んだことを非難してもしょうがなくて、なぜ自民党の人が呑気に酒を飲むような状況になってしまったのか、もっとこういう被害になるっていうことは、あらかじめ、もっともっと推測できなかったのか、その問題を解明、究明しないと意味がないですよね。『なんだ!酒を飲んで!このやろう!』って感情だけで怒っててもね。もっと早くに、これだけの雨が降ったんだから、自民党の人たちだって国民の命を無視してこうやって飲むわけがないですから。そこらへんをちゃんと究明しないと。ただただけしからんって周りが怒っても」
つまり、志らくは「自民党批判」したと言い張るが、実際は「これだけの雨が降ったんだから、自民党の人たちだって国民の命を無視してこうやって飲むわけがない」とあきらかに擁護していたのだ。しかし、この日の14時に気象庁が異例の記者会見を開いて「厳重な警戒が必要」と警告し、実際に避難指示・勧告は数十万人に及んでいたのに、それでも安倍首相をはじめとする自民党議員らは現実に酒を飲んでいたのである。
安倍政権の災害放置を批判せず「批判封じ」するのは、安倍ポチそのものだ!
なのに、志らくは「飲むわけがない」と最初から決め打ちして、その上、「感情だけで怒ってても」などと話をすり替えたのだ。これのどこが「自民党批判」だと言うのだろう。その上、「原因を究明する事が大事」ともっともらしく言うが、安倍首相が「災害対応よりも総裁選の選挙運動」を優先させたことは明白で、究明もへったくれもない。いや、志らくの主張は、まるで「気象庁の警告の出し方が弱かったから自民党に届かなかったのでは」とでも言い出さんばかりのものだ。
しかも、志らくは番組でも「野党の人たちなんかも『国民を無視してる、冗談じゃない!』って言うけどいまそんなときじゃない」「揚げ足をとっている場合ではないですね」などと野党批判をもち出し、今回の反論でも〈最近はあまりに野党が酷いから野党非難をしているに過ぎない〉と述べている。だが、自治体や省庁の指揮を執る政府に対し、そこに問題はないかを批判的に指摘するのが野党の仕事であって、志らくは「安倍政権の傀儡野党になれ」と言っているようなものだ。
ようするに、春蝶にせよ志らくにせよ、やっていることは、安倍政権の「あり得ない対応」に対する責任は問わず、「政府は災害対応を最優先させて」と申し出までしている野党になぜか批判の矛先を向け、もともとの安倍政権への批判を打ち消しているだけなのだ。言っておくが怒っているのは野党だけじゃなく、多くの一般国民だ。安倍政権の初動の悪さと被害の大きさを考えれば、野党にはもっと強く追及してもらいたいくらいである。
今回の災害対応にかぎらず、国会の審議や森友・加計問題でも同じ光景が繰り広げられてきたが、国民の命に直結する災害対応への批判まで野党攻撃で封殺しようとするとは、罪深いにも程がある。こんなことでは、この災害大国にあって政府に当たり前の対応を求めることさえ「非国民」などと非難される日がやってくるのではないか。そんな不安さえ感じずにはいられない。
(編集部)
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