阿蘇山上(あそさんじょう)神社(熊本県阿蘇山上)をフォトギャラリー(九州、沖縄)に掲載しました。
阿蘇山上神社
本社:阿蘇神社(あそじんじゃ)
<通称>肥後一の宮(ひごいちのみや)
式内社 肥後國阿蘇郡 健磐龍命神社 名神大
阿蘇神社奥宮
【鎮座地】熊本県阿蘇山山上(所番地不明、調査中、中岳ロープウエイ駅そば)旧肥後国 阿蘇郡
阿蘇山上神社由緒記
当神社は阿蘇神社(熊本県阿蘇郡一の宮町宮地の奥宮である。
御祭神
噴火口は古来より神霊池として崇められ、左記の如く、阿蘇神社三柱(一 の宮・二の宮・五の宮)の神として祀られている。
北の御池(噴火口)一の宮 建磐龍命
中の御池(噴火口)二の宮 阿蘇都比命
南の御池(噴火口)五の宮 彦御子命
由緒
社記には、「欽明天皇十四年三月(西暦五五二年)阿蘇山火起りて天に接す。阿蘇宮の中三社を祀り、社家の内笠忠久をして奉仕せしむ。これを天宮祝と云う。」とある。
平安時代初期より神霊池に異変ある度に、九州鎮守府太宰府から京都の朝廷に奉進があり、各社寺に国家安泰の御祈祷が命じられたことが国史に記載されている。
当神社へは特使が派遣され奉幣祈願が行われていた。
社殿
当社は阿蘇神社の奥宮で阿蘇中岳山上ロープウエイ駅そばに鎮座しています。
社殿
現在の社殿は昭和三十三年の大爆発により被害を受けたため、同年に再建されたものである。
神霊池である噴火口に向かって遥拝するかたちで建てられている。
左京ケ橋
伝説(左京ケ橋 蛇腹)
噴火口(神霊池)への登山者は心身を清浄にして登拝するを例としていた。
当山上神社裏手より噴火口に至る徒歩道は往時唯一の火口への路であり、必ずこの橋を渡らなければならなかった。
昔、左京某と云う侍がこの橋を渡ろうとしたところ、子蛇が橋のたもとにいたので、武士の行く手を遮り、不届きな奴とばかりに、血気にはやり刀を抜いて斬り捨てようとした。すると忽ち雲が涌き風起り、一匹の龍となって天に昇った。
さすがの左京もこの一大異変に恐れをなし、それが原因で早死したらしい。
以来この橋を左京ケ橋と称するようになったという。
心悪しき人が渡ると前面の岩が大蛇に見え、渡ることができないという。事実岩の形態は蛇腹というにふさわしい。
また、未婚の男女がこれを渡り潔身の証にしたともいう。
(案内板より)
草千里ケ浜から山頂
米塚とカルデラ内部
阿蘇登山道路の草千里ケ浜の手前にあります。
かつて杵島岳・往生岳の側火山で頂上に直径約100m、深さ約20mの火口跡があります、その奥に連なる山々はカルデラ内壁で「外輪山」と呼ばれています。
米塚
山の頂上のくぼみが天から米が降り注ぎ積み上げられたように見えます。
健磐龍命が米を積み上げて貯蓄し、貧しい人々に分け与えたといわれています。
阿蘇山上神社
本社:阿蘇神社(あそじんじゃ)
<通称>肥後一の宮(ひごいちのみや)
式内社 肥後國阿蘇郡 健磐龍命神社 名神大
阿蘇神社奥宮
【鎮座地】熊本県阿蘇山山上(所番地不明、調査中、中岳ロープウエイ駅そば)旧肥後国 阿蘇郡
阿蘇山上神社由緒記
当神社は阿蘇神社(熊本県阿蘇郡一の宮町宮地の奥宮である。
御祭神
噴火口は古来より神霊池として崇められ、左記の如く、阿蘇神社三柱(一 の宮・二の宮・五の宮)の神として祀られている。
北の御池(噴火口)一の宮 建磐龍命
中の御池(噴火口)二の宮 阿蘇都比命
南の御池(噴火口)五の宮 彦御子命
由緒
社記には、「欽明天皇十四年三月(西暦五五二年)阿蘇山火起りて天に接す。阿蘇宮の中三社を祀り、社家の内笠忠久をして奉仕せしむ。これを天宮祝と云う。」とある。
平安時代初期より神霊池に異変ある度に、九州鎮守府太宰府から京都の朝廷に奉進があり、各社寺に国家安泰の御祈祷が命じられたことが国史に記載されている。
当神社へは特使が派遣され奉幣祈願が行われていた。
社殿
当社は阿蘇神社の奥宮で阿蘇中岳山上ロープウエイ駅そばに鎮座しています。
社殿
現在の社殿は昭和三十三年の大爆発により被害を受けたため、同年に再建されたものである。
神霊池である噴火口に向かって遥拝するかたちで建てられている。
左京ケ橋
伝説(左京ケ橋 蛇腹)
噴火口(神霊池)への登山者は心身を清浄にして登拝するを例としていた。
当山上神社裏手より噴火口に至る徒歩道は往時唯一の火口への路であり、必ずこの橋を渡らなければならなかった。
昔、左京某と云う侍がこの橋を渡ろうとしたところ、子蛇が橋のたもとにいたので、武士の行く手を遮り、不届きな奴とばかりに、血気にはやり刀を抜いて斬り捨てようとした。すると忽ち雲が涌き風起り、一匹の龍となって天に昇った。
さすがの左京もこの一大異変に恐れをなし、それが原因で早死したらしい。
以来この橋を左京ケ橋と称するようになったという。
心悪しき人が渡ると前面の岩が大蛇に見え、渡ることができないという。事実岩の形態は蛇腹というにふさわしい。
また、未婚の男女がこれを渡り潔身の証にしたともいう。
(案内板より)
草千里ケ浜から山頂
米塚とカルデラ内部
阿蘇登山道路の草千里ケ浜の手前にあります。
かつて杵島岳・往生岳の側火山で頂上に直径約100m、深さ約20mの火口跡があります、その奥に連なる山々はカルデラ内壁で「外輪山」と呼ばれています。
米塚
山の頂上のくぼみが天から米が降り注ぎ積み上げられたように見えます。
健磐龍命が米を積み上げて貯蓄し、貧しい人々に分け与えたといわれています。
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