
3/4(土)、久々に好天に恵まれ岡垣町の数社に参拝しました。
ルートは国道3号線の山田峠「バイパス東交差点」から岡垣町市街地方面の案内に従い左折、県道287号線(岡垣宗像線)を響灘に向かって北上、国道495号線に出て福岡方面に西下、波津漁港で折り返して、県道288号線(原海老津線)を北九州方面に帰って、高倉神社をGoalとし、沿線の8社に参拝しました。
最初は、山田地区の「氏森神社」
参道入口の石鳥居をくぐると、その奥100mくらいの所に格式高い造りの立派な社殿があります。
御祭神は海幸彦、山幸彦の母「木花開耶姫命」(このはなさくやひめのみこと)

本殿裏に氏森八幡宮の祠があり、傍に「腰掛岩」があり、参拝したご婦人がこの石に腰掛けると安産・子宝に恵まれるとのことです。

波津海岸の波津海水浴場そばの高台に鎮座されている、「大原神社」(明治以前は「妙見宮」と称していました。)。
御祭神は「國常立命」で「市杵嶋姫命、武速須佐之男命」が合祀されています。
境内を覆う大銀杏があり、冬の季節風の影響を受けてユニークな姿に変形しています。
樹高14.7m、胸高6.9m、樹齢は600年に達し、町指定の天然記念物になっています。

波津漁港裏手の民家の奥に「大年神社」が鎮座されています。
「平成祭データ」には
『【祭神】大年神 須佐之男命 海童神
御由緒
社傳並びに筑前風土記三代実録に元慶4年3月22日筑前国正六位上大年神従五位下とあり、神功皇后三韓征討のこの波津の浦に越年迎歳ましませるにより大年神社と云へり。「鳥居の額に歳越神とあり」村中小字に大旗小旗と云へるところあり、神功皇后ここに大小の旗を立てられしと傳ふ。旗の浦転じて波津の浦となりしと云ふ。元慶4年の授位の勅使も筑前守上毛野朝臣澤日幣勤之云々とあり。澤日三代実録32巻に散位従五位上、上毛野朝臣為筑前守とあり奉幣勅使をつとめられしものなり。』
とあり、当社も神功皇后三韓征討ゆかりの社のようです。
ルートは国道3号線の山田峠「バイパス東交差点」から岡垣町市街地方面の案内に従い左折、県道287号線(岡垣宗像線)を響灘に向かって北上、国道495号線に出て福岡方面に西下、波津漁港で折り返して、県道288号線(原海老津線)を北九州方面に帰って、高倉神社をGoalとし、沿線の8社に参拝しました。
最初は、山田地区の「氏森神社」
参道入口の石鳥居をくぐると、その奥100mくらいの所に格式高い造りの立派な社殿があります。
御祭神は海幸彦、山幸彦の母「木花開耶姫命」(このはなさくやひめのみこと)

本殿裏に氏森八幡宮の祠があり、傍に「腰掛岩」があり、参拝したご婦人がこの石に腰掛けると安産・子宝に恵まれるとのことです。

波津海岸の波津海水浴場そばの高台に鎮座されている、「大原神社」(明治以前は「妙見宮」と称していました。)。
御祭神は「國常立命」で「市杵嶋姫命、武速須佐之男命」が合祀されています。
境内を覆う大銀杏があり、冬の季節風の影響を受けてユニークな姿に変形しています。
樹高14.7m、胸高6.9m、樹齢は600年に達し、町指定の天然記念物になっています。


波津漁港裏手の民家の奥に「大年神社」が鎮座されています。
「平成祭データ」には
『【祭神】大年神 須佐之男命 海童神
御由緒
社傳並びに筑前風土記三代実録に元慶4年3月22日筑前国正六位上大年神従五位下とあり、神功皇后三韓征討のこの波津の浦に越年迎歳ましませるにより大年神社と云へり。「鳥居の額に歳越神とあり」村中小字に大旗小旗と云へるところあり、神功皇后ここに大小の旗を立てられしと傳ふ。旗の浦転じて波津の浦となりしと云ふ。元慶4年の授位の勅使も筑前守上毛野朝臣澤日幣勤之云々とあり。澤日三代実録32巻に散位従五位上、上毛野朝臣為筑前守とあり奉幣勅使をつとめられしものなり。』
とあり、当社も神功皇后三韓征討ゆかりの社のようです。


祭神に特徴があるのだと思います