九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

本サイト(九州神社紀行)更新

2023-09-06 14:21:23 | 神社参拝ー近畿

 9月に入っても、連日猛暑が続いています。朝のラジオ体操も、若干気温も下がって涼しく感じますが、湿度は相変わらず高く、自宅を出て1kmほどの平和公園に着くころには汗が噴き出てきます。

 9/05、本サイト(九州神社紀行)を更新しました。

神武東征の日向の船出から、大和の橿原の宮での即位まで順路を追って、ゆかりの神社を順次掲載します。

 表紙の神社を、神武天皇が熊野に再上陸されたとき「那智の大滝」を見つけ、この御瀧を大己貴命の御霊代として祀られと伝えられている飛瀧神社から熊野那智大社に変更しました。

 熊野那智大社は、飛瀧神社の本社で、16代仁徳天皇の5年に御瀧本よりお移しして創建されました。
神武一行は、熊野を後に、大和に向かいますが、熊野の神の守護の下、八咫烏に導かれて幾多の困難にを乗り越えて大和に入られました。

 熊野那智大社(くまのなちたいしゃ)
<通称>那智山、熊野権現(なちさん、くまのごんげん)
【鎮座地】〒649-5301 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字那智山1 旧紀伊国 牟婁郡
【御祭神】
 ・大穴牟遲神 ・家津御子神 ・御子速玉神 ・熊野夫須美大神 (以上、4柱の神、主祭神)・天照皇大御神
 ・正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命 ・天迩岐志國迩岐志天津日高日子番能迩迩藝命 ・天津日高日子穗穗手見命 ・天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 ・國狹槌尊 宇比地迩神 ・意富斗能地神 ・淤母陀琉神
 (配祀)・國常立神 ・伊邪那岐神 黄・泉事解男神 ・豐雲野神
【例祭】1月11日 手釿始式 7月14日 例祭
【旧社格等】官幣中社(現別表神社)
【御由緒】
 熊野那智大社の由緒
熊野那智大社は、新宮市の速玉大社、本宮町の本宮大社とともに、熊野三山と申し、全国三千有余社の熊野神社の御本社であります。
 当熊野那智大社の起こりは神武天皇の御代に始まり、仁徳天皇5年に社殿を造り(凡そ1670年前)宇多上皇より始まる歴代上皇が熊野詣でを遊ばされた処で都より山河80里はるばると1ケ月も費やしてお越しになりました。それは那智山熊野権現信仰が厚かった為でございます。
 信仰の上から申しますと、那智のお山は夫須美神、又の御名を伊邪那美神と申す方のお社であり、ここが常世の国で仏法でいえば補陀洛と称して浄土とみたて、現世とあの世をかけて慈悲を乞うたことに始まり、いろいろの願いを込め、心願の成就を念じた霊場です。
 ただ今「熊野那智大社」と申しておりますこのお社は、16代仁徳天皇の5年に御瀧本よりお移しして建てたことに始まり、その後用明天皇の御代に国費で修築してより後20度も修営がされました。
 この社に伝わる古い信仰と長い伝統の中でも、正月元朝の「牛王神璽祭」、7月14日午前10時からの例大祭は、「扇祭」・「那智の火祭」とも申し、扇神輿の渡御や大松明による浄めの御火行事であり、又国の重要無形民俗文化財の那智の田楽、県指定文化財の大和舞、田植・田刈式や那瀑舞が奉納されます。 
 以上(平成祭データ)

【参拝月日】 04/04/2009

御縣彦杜みあがたひこしゃ) 拝殿の向かって左、瑞垣内の八社殿の左に並んでいます。
 御縣彦杜の御祭神は八咫烏に化身したとされる建角身命、稻荷大神が合祀されています。

八咫烏御縣彦杜の前にあります。 
 神武天皇が熊野から大和に入られた時に道案内をした、三本足のカラス「八咫烏」です。昭和63年10月、神武天皇熊野御上陸二千六百五十年記念として奉納されました。


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