九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

本サイト(九州神社紀行)更新

2023-09-28 16:55:40 | 神社参拝ー近畿

 9月も残り、3日ほどになりました。

 藤井聡太竜王・名人(王位、叡王、棋王、王将、棋聖、合わせて7冠、21)が将棋史上初のタイトル8冠独占制覇を懸けて、永瀬拓矢王座(31)に挑戦している、第71期王座戦五番勝負第3局が、名古屋市で9月27日に行われ、藤井名人が81手で大逆転勝利し、シリーズ成績を2勝1敗とし、8冠達成に残り1勝と王手をかけました。第4局は10月11日、京都市で指されます。この日は大勢の観戦者、マスコミで賑わうことと今から楽しみです。

 9/26、本サイト(九州神社紀行)を更新しました。

神武東征の日向の船出から、大和の橿原の宮での即位まで順路を追って、ゆかりの神社を順次掲載します。

 表紙の神社を、熊野に再上陸された、神武天皇が見つけられた「那智の大滝」をご神体とし、「飛瀧権現」として第一殿に祀る、熊野那智大社から熊野本宮大社に変更しました。

 熊野本宮大社は、神武東征において、熊野の荒ぶる神の化身である大熊の毒気にあたり、気を失い倒れた一行を、熊野の国つ神「高倉下」が霊剣「布都御魂」をもって駆け付け、一行を意識が戻り助けました。また、これから先の道中の案内として八咫烏を送り届けると伝えます。

 ここに登場する、「高倉下」、「八咫烏」ともに当社の摂末社に、高倉下神社、八咫烏神社として祀られています。
八咫烏やたがらす(由来)
 熊野では八咫鳥を神の使者と言われています。 三本足とは熊野三党(宇井・鈴木・榎本)表わすとも言われ、当社では主祭神家津美御子大神(素盞鳴尊)の御神徳である智・仁・勇、又天・地・人の意をあらわしています。


 「式内社」 熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ)
<通称>本宮さん(ほんぐうさん)
【鎮座地】 〒647-1731和歌山県田辺市本宮町本宮1110 旧紀伊国 牟婁郡
【電話】  0735-42-0009
【旧社格等】 官幣大社(現別表神社)
      式内社 紀伊國牟婁郡 熊野坐神社 名神大
【御祭神】
 主神)本殿
 第三殿 証誠殿 家都美御子大神(素盞鳴尊) 阿弥陀   
(相殿)結宮  
 第一殿 (西御前)熊野牟須美神 (伊弉冉尊)千手観音 ・事解男神
 第二殿 (中御前)御子速玉之神(伊弉諾尊)薬師如来
 第四殿 (若 宮) 天照大神       十一面観音
   (以上、三棟四殿を上四社と称す。)
  
 他、中四社(四祭神)下四社(四祭神)合わせて熊野十二所権現(12柱の神々)

【御由緒】
  由緒
 第十代崇神天皇65年に社殿が創立されたと(皇年代略記)(神社縁起)に記載されております。
明治維新の神仏分離により「熊野坐神社ー後に熊野本宮大社となりました。明治22年の熊野川の大洪水にて現社地に御遷座申し上げました。
以上
 (平成祭データ)

 当宮は、熊野三山(本宮・新宮・那智)の首座を占め、 全国に散在する熊野神社の総本宮で、熊野大権現として、 広く世に知られています。
御主神は家都美御子大神、即ち、素盞嗚尊と申し、 樹木を支配される神であり、紀国(木ノ国)の語源も、ここから起っております。
 大神は植林を御奨励になり、造船の技術を教えられて外国との交通を開かれ、人民の幸福を図られるとともに、生命の育成発展を司られた霊神で、第十代崇神天皇の御代に熊野連が当地に社殿を造営して、鎮祭したと伝えられています。
 (社頭案内板より1部抜粋)

【参拝月日】 04/04/2009

 社殿全景
  檜皮葺の古式ゆかしき熊野造りの社殿。左から第一殿と第二殿を合わせた相殿(結宮)、本殿(第三殿 証誠殿)、第四殿(若宮)と並んでいます。それぞれの前に拝所の鈴門があります。

 旧社地「大斎原 
境内摂末社 石祠,右側、高倉下神社、八咫烏神社、他

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