加紫久利神社(鹿児島県出水市)を掲載しました。
加紫久利神社(かしくりじんじゃ)
【鎮座地】〒899-0123 鹿児島県出水市下鯖町1272 旧薩摩国 出水郡
【御祭神】天照皇大神
(配祀)多紀理毘賣命 表筒男命 中筒男命 底筒男命 譽田別命 息長帶比賣命
(合祀)伊邪那岐命 伊邪那美命
【例祭】 6月22日 例祭 12月31日 除夜祭
【旧社格等】県社
薩摩國二の宮
式内社 薩摩國出水郡 加紫久利神社
【御由緒】
当社は出水市下鯖町に鎮座しており、(主神)天照皇大神、(相殿)多紀理毘賣命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・譽田別命(応神天皇)・息長帯比賣命(神功皇后)・伊邪那岐・伊邪那美命、(末社)神門神社・(南)豊磐窓神・(北)櫛磐窓神をお祀りしている。
御鎮座年代は詳らかではないが、遠く奈良朝の頃の創建といわれる。既に貞観二年(八六○)三月、薩摩国従五位下加柴久利神加五位上と三代実録に載せられて居る。延喜式には、薩摩国穎娃郡枚開神社(薩摩一の宮)薩摩国出水郡加柴久利神社と薩摩国では二社記載されて居り、古来薩摩に二の宮として代々朝廷の尊崇厚く信仰の中心であつた。
島津氏の治世になってからも特に薩摩の総社として尊ばれ、二十二代島津吉貴公は社殿を改築して六十石を與えている。
社殿は歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、明治六年県社として再興されたのちは神域広大にして神厳この上なく深く官民の尊崇するところであったが明治十年六月三日西南の役の兵火にかかり門守社以外の社殿、山神、神宝、古文書等灰燼に歸した。其の後、明治十三年社殿は再興されたが地租改正又農地改革に依って境内地は縮小された。
そして戦後社殿は老朽し、老樹は虫害をうけて神域はとみに荒廃するに至つた。氏子一同神域の荒廃を座視するに忍びず、社殿の改築を計り、昭和三十六年三月、現在の社殿が創建されたのである。
(平成祭データ)
鹿児島県北西部に位置し、ツル渡来地として有名な出水市にあります。肥薩オレンジ鉄道「米の津駅」の東、数100mの下鯖町に鎮座。
境内入口の鳥居
鳥居をくぐり、両側に寄進の燈籠が並ぶ参道を進むと境内入口に鳥居です。鳥居の両側には門守社があります。
参道から拝殿
境内に入ると、右に手水舎、左は駐車場になっています。正面一段上に社殿です。
拝殿
左手前に神馬の銅像、正面両側に平成御大典記念の石灯篭、右に鶴、左には亀の模様が施してあり、当社の別名、鶴亀神社を表しています。
現在の社殿は地元有志の寄付により昭和36年再建され、さらに直近では平成元年一部改築されています。
拝殿の彫刻中央に丸に十文字が見えますが、神紋でしょうか。
本殿
御祭神は天照大神、相殿に多紀理毘賣命、住吉三神、応神天皇、神功皇后、伊邪那岐,伊邪那美命が祀られています。
御鎮座年代は不詳ですが、奈良朝の頃の創建と云われています。延喜式に薩摩国では枚開神社(薩摩一の宮)とともに2社記載されています。
薩摩二の宮としてて朝廷の尊崇も厚く、島津氏の治世になってからも特に薩摩の総社として尊ばれていました。
境内社社殿の左手前にあります、稲荷神社です。
鳥居の前に明治10年の西南戦争で焼失した社殿の鬼瓦が置いてあります。
出水川石燈ろう拝殿左にあります。
宝暦(1751~1763)のはじめ、地元出身の相撲取り「出水川」が巨漢建ケ閑に勝利したお礼に寄進したものです。
出水川石燈ろう 出水川定右衛門は宝暦のはじめ米ノ津元町の旅籠絵島に生まれる。幼時から怪童のはまれ高く米俵を片手に一俵づつ下げ高下駄で歩き、はてはお手玉に取ったり孟宗竹を手で引き裂いて相撲の褌にしたとの逸話もある。
はじめ大阪相撲に入り醜名を郷里の米ノ津川の旧名から「出水川」と名乗ったがほどなく江戸相撲に移る。
出水川は小結・関脇で大活躍、最高位の大関(当時は横綱はない)にはなっていないがその頃の力士は大名のお抱えで大関は姿や形のよさを重視した形式的装飾的なものだったので、出水川は有数の力士だったことがわかる。
しかし花形力士出水川の前に立ちはだかったのは身の丈二メートル体重一五〇キロの巨漢建ケ閑であった。
一、七七メートル一三五キロの出水川はどうしても勝てず、故郷に帰り加紫久利神社に断食祈願、神のお各げどうり立ち上がるや相手の前褌をとって倒した話は有名である。
この石燈ろうほぞのおれいに寄進したものである。
(案内板より)
御神木社殿右にあります。夫婦ナギの木(夫婦円満)とあります。
拝殿から参道
参拝したのは晩秋の夕方17時過ぎ、灯篭に灯が入っていました。
境内から参道参道には西日が差し込んで良い雰囲気でした。
加紫久利神社(かしくりじんじゃ)
【鎮座地】〒899-0123 鹿児島県出水市下鯖町1272 旧薩摩国 出水郡
【御祭神】天照皇大神
(配祀)多紀理毘賣命 表筒男命 中筒男命 底筒男命 譽田別命 息長帶比賣命
(合祀)伊邪那岐命 伊邪那美命
【例祭】 6月22日 例祭 12月31日 除夜祭
【旧社格等】県社
薩摩國二の宮
式内社 薩摩國出水郡 加紫久利神社
【御由緒】
当社は出水市下鯖町に鎮座しており、(主神)天照皇大神、(相殿)多紀理毘賣命・表筒男命・中筒男命・底筒男命・譽田別命(応神天皇)・息長帯比賣命(神功皇后)・伊邪那岐・伊邪那美命、(末社)神門神社・(南)豊磐窓神・(北)櫛磐窓神をお祀りしている。
御鎮座年代は詳らかではないが、遠く奈良朝の頃の創建といわれる。既に貞観二年(八六○)三月、薩摩国従五位下加柴久利神加五位上と三代実録に載せられて居る。延喜式には、薩摩国穎娃郡枚開神社(薩摩一の宮)薩摩国出水郡加柴久利神社と薩摩国では二社記載されて居り、古来薩摩に二の宮として代々朝廷の尊崇厚く信仰の中心であつた。
島津氏の治世になってからも特に薩摩の総社として尊ばれ、二十二代島津吉貴公は社殿を改築して六十石を與えている。
社殿は歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、明治六年県社として再興されたのちは神域広大にして神厳この上なく深く官民の尊崇するところであったが明治十年六月三日西南の役の兵火にかかり門守社以外の社殿、山神、神宝、古文書等灰燼に歸した。其の後、明治十三年社殿は再興されたが地租改正又農地改革に依って境内地は縮小された。
そして戦後社殿は老朽し、老樹は虫害をうけて神域はとみに荒廃するに至つた。氏子一同神域の荒廃を座視するに忍びず、社殿の改築を計り、昭和三十六年三月、現在の社殿が創建されたのである。
(平成祭データ)
鹿児島県北西部に位置し、ツル渡来地として有名な出水市にあります。肥薩オレンジ鉄道「米の津駅」の東、数100mの下鯖町に鎮座。
境内入口の鳥居
鳥居をくぐり、両側に寄進の燈籠が並ぶ参道を進むと境内入口に鳥居です。鳥居の両側には門守社があります。
参道から拝殿
境内に入ると、右に手水舎、左は駐車場になっています。正面一段上に社殿です。
拝殿
左手前に神馬の銅像、正面両側に平成御大典記念の石灯篭、右に鶴、左には亀の模様が施してあり、当社の別名、鶴亀神社を表しています。
現在の社殿は地元有志の寄付により昭和36年再建され、さらに直近では平成元年一部改築されています。
拝殿の彫刻中央に丸に十文字が見えますが、神紋でしょうか。
本殿
御祭神は天照大神、相殿に多紀理毘賣命、住吉三神、応神天皇、神功皇后、伊邪那岐,伊邪那美命が祀られています。
御鎮座年代は不詳ですが、奈良朝の頃の創建と云われています。延喜式に薩摩国では枚開神社(薩摩一の宮)とともに2社記載されています。
薩摩二の宮としてて朝廷の尊崇も厚く、島津氏の治世になってからも特に薩摩の総社として尊ばれていました。
境内社社殿の左手前にあります、稲荷神社です。
鳥居の前に明治10年の西南戦争で焼失した社殿の鬼瓦が置いてあります。
出水川石燈ろう拝殿左にあります。
宝暦(1751~1763)のはじめ、地元出身の相撲取り「出水川」が巨漢建ケ閑に勝利したお礼に寄進したものです。
出水川石燈ろう 出水川定右衛門は宝暦のはじめ米ノ津元町の旅籠絵島に生まれる。幼時から怪童のはまれ高く米俵を片手に一俵づつ下げ高下駄で歩き、はてはお手玉に取ったり孟宗竹を手で引き裂いて相撲の褌にしたとの逸話もある。
はじめ大阪相撲に入り醜名を郷里の米ノ津川の旧名から「出水川」と名乗ったがほどなく江戸相撲に移る。
出水川は小結・関脇で大活躍、最高位の大関(当時は横綱はない)にはなっていないがその頃の力士は大名のお抱えで大関は姿や形のよさを重視した形式的装飾的なものだったので、出水川は有数の力士だったことがわかる。
しかし花形力士出水川の前に立ちはだかったのは身の丈二メートル体重一五〇キロの巨漢建ケ閑であった。
一、七七メートル一三五キロの出水川はどうしても勝てず、故郷に帰り加紫久利神社に断食祈願、神のお各げどうり立ち上がるや相手の前褌をとって倒した話は有名である。
この石燈ろうほぞのおれいに寄進したものである。
(案内板より)
御神木社殿右にあります。夫婦ナギの木(夫婦円満)とあります。
拝殿から参道
参拝したのは晩秋の夕方17時過ぎ、灯篭に灯が入っていました。
境内から参道参道には西日が差し込んで良い雰囲気でした。
カミタク
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/
と申します。
私が運営しております、鹿児島県内外の温泉と観光スポットを紹介するホームページ「温泉天国・鹿児島温泉紹介!」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/kagoonin.htm
内のサブ・コンテンツ「肥薩おれんじ鉄道乗車記」
http://homepage2.nifty.com/kamitaku/KAGKANAV.HTM
内の沿線の観光案内欄から、貴ブログ記事にリンクを張りましたので、その旨、報告申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
リンクの件、ご連絡いただきありがとうございます。
最近、バードウオッチングに凝っていまして出水のツルも是非見たいと思って、日程等検討中です。
今後とも宜しくお願いいたします。