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加賀百万石

2006-03-11 | 能登雑記
加賀藩は江戸時代に加賀(石川県)・能登(石川県)・越中(富山県)の3国の大半を領地とした藩です。藩祖は織田信長や豊臣秀吉に仕えた前田利家で何年か前にNHKの大河ドラマ「利家とまつ」が放送されたので、まだ憶えている人も多いのではありませんか。戦国時代を生き残り晩年には百万石の太守となった前田利家は、豊臣秀吉の信任の厚い重臣として徳川家康などと肩を並べる存在となっていました。

関が原の合戦後は加増され120万石と徳川家に次ぐ大大名になった前田家では、3代藩主前田利常の時代に越中富山藩10万石と加賀大聖寺藩7万石が支藩として成立し、本藩は102万5千石となっています。また加賀・能登・越中の3国以外にも芳春院(前田利家室)の化粧領だった近江弘川村(現在の滋賀県高島市今津町、7,500石)を領していました。

また、これらとは別に江戸時代には前田利家の五男前田利孝を藩祖とする七日市藩(なぬかいちはん)が上野国甘楽郡(現在の群馬県富岡市七日市)にあり、1万石を領しています。

加賀百万石というと金沢を中心とした石川県加賀地域を連想するかも知れませんが、江戸時代には加賀に能登(石川県)や越中(富山県)を含んだ地域を指していると思った方が分かりやすいと思います。

ややこしいのは現在使われる「加賀百万石」で、石川県全域(加賀・能登)を指す場合や単に金沢を指す場合など様々で定義は難しく、また越中は明治以降富山県として石川県より分離し立県されているので加賀百万石の範囲には入らなくなっていることが多いようです。

白山麓については、藩政時代には天領だった地域が多く加賀藩の領域外で、石川県となるのは明治以降のことです。

~3月12日加筆
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