Call me by your name 『君の名前で僕を呼んで』日本版本予告
「もう一度、あの映画を観たいんだよね」と、ラファエルが何度も言ってて
でも「今だ」って、ピッタリとしたガイドを感じなかったので、数ヶ月間ずっと観てなかった。
2日前「もしも見るならBlu-rayだよ」って言って
ミュージックだけ一緒に聴いた。
私は、歌詞や映画の内容そのものと関係なく泣いた。嗚咽するほどに。
ハートとみぞおちをえぐられるような、、
本当は求めているのに
求めないように必死に拒んでいた「何か」に触れたような
思い出したくないし、でも絶対に思い出したい「それ」に触れている。。
きっと、今が観るタイミングなのだろうと思って
すぐにBlu-rayを取り寄せた。
半日後にはそれが届いたので早速、昨夜観ることにした。
「この映画の、何が素晴らしいのか?何がそんなに美しいのか?(映像とか音楽というレベルじゃない)、誰も言語で表せないんだ」
「全然スピリチュアル性もないし、でもすごく透明で、何かに強く触れるんだよ」
って、ラファエルは言ってて
私も、音楽だけでも何かに強く触れてるのでそうなのだろう。
と、期待せずに観ることにした。
でもまさか、こんなに揺さぶられるとは思わなかった。
たくさんの感情に触れたのだけども
「その感情に触れさせてあげるんだよ、触れたそれを殺さないことなんだよ、そのまま浮上させるんだ」
そういうメッセージを強く感じた。
大人になるにつれ、このような感情に触れないように変に器用になってしまう。
でも、実はそれって不器用になっていってるわけで、自分を騙して麻痺させてしまっているわけで
そうやって自分を虐げてしまっているんだ。
これにさえ触れなければ、それでいい。
ある程度の感情を出しているつもりでいたい。そんな部分が私たちの心の根本にはある。
そういう心の仕掛けを見せていただいた2年4ヶ月間だった。
それを見せていただいたのには、何か意味があるのだと思う。
2021年2月 今の時点で言えることは
私たちは、一番触れたくなかった「これ」に触れてあげればあげるほどに
優しく、慈悲深く、無垢な心に巻き戻っていくのだろうと、、
理由なく、それは確信している。
そして、この感情を越えて越えて
一切の始まりと終わりの連鎖から抜け出したい。
いい加減に Human being から抜け出したい。
と、心底思った。
「もう一度、あの映画を観たいんだよね」と、ラファエルが何度も言ってて
でも「今だ」って、ピッタリとしたガイドを感じなかったので、数ヶ月間ずっと観てなかった。
2日前「もしも見るならBlu-rayだよ」って言って
ミュージックだけ一緒に聴いた。
私は、歌詞や映画の内容そのものと関係なく泣いた。嗚咽するほどに。
ハートとみぞおちをえぐられるような、、
本当は求めているのに
求めないように必死に拒んでいた「何か」に触れたような
思い出したくないし、でも絶対に思い出したい「それ」に触れている。。
きっと、今が観るタイミングなのだろうと思って
すぐにBlu-rayを取り寄せた。
半日後にはそれが届いたので早速、昨夜観ることにした。
「この映画の、何が素晴らしいのか?何がそんなに美しいのか?(映像とか音楽というレベルじゃない)、誰も言語で表せないんだ」
「全然スピリチュアル性もないし、でもすごく透明で、何かに強く触れるんだよ」
って、ラファエルは言ってて
私も、音楽だけでも何かに強く触れてるのでそうなのだろう。
と、期待せずに観ることにした。
でもまさか、こんなに揺さぶられるとは思わなかった。
たくさんの感情に触れたのだけども
「その感情に触れさせてあげるんだよ、触れたそれを殺さないことなんだよ、そのまま浮上させるんだ」
そういうメッセージを強く感じた。
大人になるにつれ、このような感情に触れないように変に器用になってしまう。
でも、実はそれって不器用になっていってるわけで、自分を騙して麻痺させてしまっているわけで
そうやって自分を虐げてしまっているんだ。
これにさえ触れなければ、それでいい。
ある程度の感情を出しているつもりでいたい。そんな部分が私たちの心の根本にはある。
そういう心の仕掛けを見せていただいた2年4ヶ月間だった。
それを見せていただいたのには、何か意味があるのだと思う。
2021年2月 今の時点で言えることは
私たちは、一番触れたくなかった「これ」に触れてあげればあげるほどに
優しく、慈悲深く、無垢な心に巻き戻っていくのだろうと、、
理由なく、それは確信している。
そして、この感情を越えて越えて
一切の始まりと終わりの連鎖から抜け出したい。
いい加減に Human being から抜け出したい。
と、心底思った。
