昨夜、てっちゃんとシェアしていて
「真理は人により異なる。」
という考え方について、話題が上がってきました。
てっちゃん:「それは仕方がないよね。」
↑きっと、この時のてっちゃんは、
真理は一つだが、自我と同一化状態ならそれは仕方がないことだよね。
そう考えていたところで咎められるものではないよね。
というニュアンスから「仕方がないよね。」と言ったのだろうと思うのですが
私は、私自身に対しては「仕方がないよね。」とは、決して妥協できないな。。。
と、感じています。
「真理は人により異なる。」とは、奇跡講座テキスト編P634 混沌の法則1番目なのですが
そういう概念が、自然に当たり前に信じられている世界とは
世界そのものが、バラバラに砕け散って破壊されており、その断片と断片の間には、完全に相違が認識されており
その断片同士が訴える真理にも相違がある。ということを主張されているので
お互いがお互いを攻撃し合っている(顕在意識ではそう思ってはいない)わけで
その時、そこは戦場なわけなんですね。狂った世界です。
混沌の法則は、自我の法則そのもので「混沌の 5つの法則」がテキスト編で語られているのですが
そのうちの一つを、ほんの0.1%でも「仕方がないことだ。」
と、受け入れてしまうと、全部の混沌の法則に同意し、
自分自身が、その法則の通りに知覚せざるを得ない状態に陥るのだ。
ということを見逃してはならない。と思うのです。
兄弟と自分の間に、真に違いを見る。とは、とんでもなく狂った思考なわけです。
その時、間違いなく神からの分離は成功した。ということになっており
その時、間違いなく幻想世界が実在している。ということになっており
その時、その世界に住む私や無数の兄弟たちが肉体によってバラバラに隔離されたまま存在している。ということになっています。
すべてにおいて、私たちが少しでもイラッとしたり、苦しんだり、悲しんだり、絶望したり、
何も感じなかったりすることの根本原因は、ここにあります。
混沌の法則の、ほんの0.1%でも、、愛して受容しようものなら
自分を幻想の中に幽閉することになる。
やはり、少しも妥協するなんて、、狂気的で破壊的な行為だな。
そんな風に感じるわけです。
神の法則、聖霊の法則を全面的に受け入れるからこそ、真に救われます。真に解放が起きます。
世界の形態がどうあれ、それは何ら問題にはならないということがわかります。
昨夜のように、ほんの一瞬、てっちゃんと私の意見に食い違いが生じたかに見えても、問題ではありません。
たった一つの真理を「私」が思い出しさえすれば、二人は救われます。
神との分離は起きていない。
世界はない。
他者と自分は、分離して存在などしていない。
完全な一体性の中で、完全な天国の中で、完璧に安らいでいる(言葉では表現不可能)
そうであれば、この思考(相違の実在性を語る思考=裁き・有罪宣告)を持ち続ける必要はあるのだろうか?いや、無い。
終了。
神と聖霊と兄弟に対する感謝の中に、戻ることができます。
真理は分裂していない。
ということが、本当に救いです☆
奇跡講座テキスト編 P634
第23章 セクション2 段落2 を読んでみてください☆

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「真理は人により異なる。」
という考え方について、話題が上がってきました。
てっちゃん:「それは仕方がないよね。」
↑きっと、この時のてっちゃんは、
真理は一つだが、自我と同一化状態ならそれは仕方がないことだよね。
そう考えていたところで咎められるものではないよね。
というニュアンスから「仕方がないよね。」と言ったのだろうと思うのですが
私は、私自身に対しては「仕方がないよね。」とは、決して妥協できないな。。。
と、感じています。
「真理は人により異なる。」とは、奇跡講座テキスト編P634 混沌の法則1番目なのですが
そういう概念が、自然に当たり前に信じられている世界とは
世界そのものが、バラバラに砕け散って破壊されており、その断片と断片の間には、完全に相違が認識されており
その断片同士が訴える真理にも相違がある。ということを主張されているので
お互いがお互いを攻撃し合っている(顕在意識ではそう思ってはいない)わけで
その時、そこは戦場なわけなんですね。狂った世界です。
混沌の法則は、自我の法則そのもので「混沌の 5つの法則」がテキスト編で語られているのですが
そのうちの一つを、ほんの0.1%でも「仕方がないことだ。」
と、受け入れてしまうと、全部の混沌の法則に同意し、
自分自身が、その法則の通りに知覚せざるを得ない状態に陥るのだ。
ということを見逃してはならない。と思うのです。
兄弟と自分の間に、真に違いを見る。とは、とんでもなく狂った思考なわけです。
その時、間違いなく神からの分離は成功した。ということになっており
その時、間違いなく幻想世界が実在している。ということになっており
その時、その世界に住む私や無数の兄弟たちが肉体によってバラバラに隔離されたまま存在している。ということになっています。
すべてにおいて、私たちが少しでもイラッとしたり、苦しんだり、悲しんだり、絶望したり、
何も感じなかったりすることの根本原因は、ここにあります。
混沌の法則の、ほんの0.1%でも、、愛して受容しようものなら
自分を幻想の中に幽閉することになる。
やはり、少しも妥協するなんて、、狂気的で破壊的な行為だな。
そんな風に感じるわけです。
神の法則、聖霊の法則を全面的に受け入れるからこそ、真に救われます。真に解放が起きます。
世界の形態がどうあれ、それは何ら問題にはならないということがわかります。
昨夜のように、ほんの一瞬、てっちゃんと私の意見に食い違いが生じたかに見えても、問題ではありません。
たった一つの真理を「私」が思い出しさえすれば、二人は救われます。
神との分離は起きていない。
世界はない。
他者と自分は、分離して存在などしていない。
完全な一体性の中で、完全な天国の中で、完璧に安らいでいる(言葉では表現不可能)
そうであれば、この思考(相違の実在性を語る思考=裁き・有罪宣告)を持ち続ける必要はあるのだろうか?いや、無い。
終了。
神と聖霊と兄弟に対する感謝の中に、戻ることができます。
真理は分裂していない。
ということが、本当に救いです☆
奇跡講座テキスト編 P634
第23章 セクション2 段落2 を読んでみてください☆

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