今朝、奇妙な夢を見ました。
今生で会ったことは無いであろう20代くらいの女性と男性と、(夢の中では私も同年代らしい)
おそらく、横浜あたりで遊び回っていました。
たわいないことを話したりしつつ、男性の方がとても無謀な人で好奇心旺盛で
階段の手すりの上をまたがってスルスルとすべりながら、よろけてしまい数十メーター下の階段へと一気に落ちていってしまった。
なぜか私は携帯を持っておらず、助けを求めに人影のあるところまで走っていったら、察してくれたおじさまが救急車を呼んでくれた。
その場面で、「ああ、夢だったんだな。。」という感じに意識が移行してゆき目が覚めました。
「あぶないからよしておきなよ。」との忠告には一切耳を傾けず、愚かなまでに好奇心のままに、やってみたいと思ったからそのまま実行した。
その結果、ひどく痛い目にあった。(死には至らないが、全身打撲&複雑骨折)
この象徴は、私たちのたった一つの誤りの決断の結果の、ほんの1つのパターンのイメージに過ぎない。
たった一つの誤りの決断の結果を、ほとんど永遠と思えるほどに、こうやって苦しむ。という
自分の中にあると思っている「罪」ゆえに投影を繰り返す。
欠乏の原理ゆえに、自分の中を埋めるために外側に必要を求め続ける。
私たちは、顕在意識的な自覚として、この罪・欠乏を、はっきりとは認識していません。
ましてや、それが神に対する罪であり、そこから分離してしまったがゆえの欠乏感・罪悪感だなんて
全く理解していません。
けれども、その無意識レベルの中に埋め込まれ隠し続けられている信念のみが
この全宇宙の発生の源であり、原因です。
これは、奇跡講座を学び実践してゆこうという方にしか必要のない概念ですが
この概念から学び、赦しを実践してゆくと
とんでもなく、計り知れない規模で、目覚めの歩みのための時間が短縮されてゆきます。
この概念を理解するためのヒントとして、あらゆる映画が補助教材として役立つことがあります。
世界での問題の対処をしても、全然よいのだけれども、
そこでどんなに対処をしても、真の問題解決にはならないんだ。ということを学び理解するのに、
「インセプション」という映画は、補助教材の一つとしておススメです。
夢を見ている者の心の中が、夢を投影する前から罪悪感に満ち、恐れていれば、そのまま夢にあらわれてくるのは当然で
(私が見た今朝の夢のように、自分が直接の犠牲者ではないかもしれません)
夢を見ている者の心の中が、完全に癒されなければ(見たくないものを認識してこそ、それを完全に癒せます)
夢の劇場の中で、どんなに対処をしても焼け石に水なんだ。ということが理解できてくると、しめたものです。
今、これを書いていてわかりました。 笑
これを書くために、今朝の夢を見たようです。。
なぜか、「インセプション」についてシェアすることになっていたらしく、書かずには居られませんでした。
今生で会ったことは無いであろう20代くらいの女性と男性と、(夢の中では私も同年代らしい)
おそらく、横浜あたりで遊び回っていました。
たわいないことを話したりしつつ、男性の方がとても無謀な人で好奇心旺盛で
階段の手すりの上をまたがってスルスルとすべりながら、よろけてしまい数十メーター下の階段へと一気に落ちていってしまった。
なぜか私は携帯を持っておらず、助けを求めに人影のあるところまで走っていったら、察してくれたおじさまが救急車を呼んでくれた。
その場面で、「ああ、夢だったんだな。。」という感じに意識が移行してゆき目が覚めました。
「あぶないからよしておきなよ。」との忠告には一切耳を傾けず、愚かなまでに好奇心のままに、やってみたいと思ったからそのまま実行した。
その結果、ひどく痛い目にあった。(死には至らないが、全身打撲&複雑骨折)
この象徴は、私たちのたった一つの誤りの決断の結果の、ほんの1つのパターンのイメージに過ぎない。
たった一つの誤りの決断の結果を、ほとんど永遠と思えるほどに、こうやって苦しむ。という
自分の中にあると思っている「罪」ゆえに投影を繰り返す。
欠乏の原理ゆえに、自分の中を埋めるために外側に必要を求め続ける。
私たちは、顕在意識的な自覚として、この罪・欠乏を、はっきりとは認識していません。
ましてや、それが神に対する罪であり、そこから分離してしまったがゆえの欠乏感・罪悪感だなんて
全く理解していません。
けれども、その無意識レベルの中に埋め込まれ隠し続けられている信念のみが
この全宇宙の発生の源であり、原因です。
これは、奇跡講座を学び実践してゆこうという方にしか必要のない概念ですが
この概念から学び、赦しを実践してゆくと
とんでもなく、計り知れない規模で、目覚めの歩みのための時間が短縮されてゆきます。
この概念を理解するためのヒントとして、あらゆる映画が補助教材として役立つことがあります。
世界での問題の対処をしても、全然よいのだけれども、
そこでどんなに対処をしても、真の問題解決にはならないんだ。ということを学び理解するのに、
「インセプション」という映画は、補助教材の一つとしておススメです。
夢を見ている者の心の中が、夢を投影する前から罪悪感に満ち、恐れていれば、そのまま夢にあらわれてくるのは当然で
(私が見た今朝の夢のように、自分が直接の犠牲者ではないかもしれません)
夢を見ている者の心の中が、完全に癒されなければ(見たくないものを認識してこそ、それを完全に癒せます)
夢の劇場の中で、どんなに対処をしても焼け石に水なんだ。ということが理解できてくると、しめたものです。
今、これを書いていてわかりました。 笑
これを書くために、今朝の夢を見たようです。。
なぜか、「インセプション」についてシェアすることになっていたらしく、書かずには居られませんでした。