デジタルな戯れ言

日記のようなものです(毎日じゃないけど)。

元町港周辺

2006年09月03日 20時16分01秒 | 伊豆大島旅行
旅行最終日の3日目、8時半過ぎにチェックアウトし、50分発の送迎バスで元町港に下りていきました。当初は原付バイクでも借りて空港の方向へ海沿いを走っていこうかとも思ったんですが、この日は(晴れてはいたんですが)伊豆半島などが見えない状況だったので、元町港の周辺を歩くことにしました。

旅行初日に観光案内所でもらってあったハイキングマップを片手に、元町港をスタートしたのが9時20分ごろ。マップには約6キロ、所要時間2時間半とあったので、1周して戻ってきて昼食をとるのにちょうどよいなぁと思いながら歩き始めました。


まずは元町港からすぐの源為朝の館跡へ。保元の乱に敗れた源為朝が流されて住んでいたところと伝えられているとか。今は「ホテル赤門」というホテルの敷地になっているようでした。


源為朝の館跡からは、椿油製油所前を通り潮音寺へ。写真は途中の大島警察署の駐車場にあった標示です。当然ながら大島は東京都。ちなみに自動車は品川ナンバーでした。


マップにしたがって潮音寺や金光寺といった寺に立ち寄りながら、墓地へ向かいました。マップがけっこう分かりづらく、途中どちらに行っていいのかわからなくなったりしてしまいました。途中にあるはずの庚申塚は結局見つけられず。

写真は墓地にあった間瀬定八と小栗兄弟の墓。間瀬定八は赤穂義士の遺児、小栗兄弟は越後騒動(江戸時代の17世紀後半に越後で起きたお家騒動)で大島に流された兄弟だそうです。山の方へ行く道なので、この辺はずっと上り坂。


墓地からさらに登っていくと、86年の噴火時に元町の集落近くにまで溶岩が流れてきた跡があるとマップにあり、とりあえず登っていくことに。

この日も前日に劣らないほど暑く、かなり汗だらだら状態で歩いていきました。ようやくたどり着いたのが、上の写真の観察路の入り口。でも結局、中には入りませんでした。

なぜかというと、それはクモのせい。入り口付近にクモの巣がたくさんあって、まずめげそうになったんですが、とりあえずここまで来たんだからと思いつつ、クモの巣を払って中への進入を試みました。でもほんの2~3メートル行くと、またクモの巣がたくさん(^_^;)。道には雑草や落ちた枝がたくさん(^_^;)。日陰なのに妙に蒸し暑く、しかも蚊もけっこういたので、結局それ以上進むのをやめました。

4色刷りのハイキングマップを作るくらいなら、せめてもうちょっと歩きやすくしたほうが良いんじゃないかと思いましたが、どうなんでしょうか。まあほとんど人が通らないから、あんな状態になったんだと思いますけどね。観光客でも行く人がほとんどいないんでしょうね。

観察路入り口を出発する段階で、すでにハイキングマップを信用できなくなっており、また途中道に迷って思いのほか時間をとってしまったこともあったので、マップのコースは無視して火山博物館に向かいました。もうハイキングマップを見るのはやめて、携帯のナビ機能を使うことにしました。


そんなこんなでたどり着いたのが火山博物館。三原山だけではなくて、日本や世界の火山や被害などについての展示がしてあり、個人的にはなかなか面白かったです。20分ほどで急いで一回りしたんですが、時間があればもうちょっといてもいいかなと思っていました。


溶岩観察路で行く手を阻んでくれたクモですが、街中でもあちらこちらで巣を張っていました。上の写真は火山博物館から元町港に行く途中の道沿いで撮ったもの。大島ってクモが多いんでしょうか?

旅行とは関係ないんですが、最近、花をよく撮っているのが、クモを撮るのに役立ちました(^_^;)。

11時半ごろ、元町港近くにたどり着き、すし光という店で寿司を食べました。美味かったです。


昼食をとった後、港の待合所でしばらく涼んでいました。Tシャツが汗で濡れまくっていたのでトイレで着替えました。前日よりも汗かいたかもしれません。

その後、よせばいいのに、時間があったので浜の湯(上の写真。水着着用の温泉です)まで行ってみることに。歩いても数分だからいいだろうと思いつつ歩き始めたんですが、ちょっと後悔。かなり暑かった(^_^;)。

元町港の待合所に戻った後は、暑さに耐え切れずに缶ビール飲みながら、さるびあ号の入港を待ってました。ビールうまかった(^_^;)。


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