臍曲がりの独り言

行動記録と私見

ろうけんくがやま その3・夕焼け富士

2007年04月14日 | 日記
今日水曜日はいつものように家内がリハビリの為「ろうけんくがやま」に出掛ける日で、出掛けた後 11 時頃施設から電話があり、家内が血圧体温は正常なのですが顔色が青ざめ一時意識不明状態になり、隣接する久我山病院に連れ込んで目下診察中で、至急健康保険通帳を持参して欲しいと要請されました。
早速車で駆けつけ内科病室に行きましたところ、CT 検査を終了したところで、担当の高山医師から説明をうけました。
CT 検査のフィルムでは異常は見られず、医師から軽い脳卒中かテンカンではないかと思われるので、午後のリハビリを中止して帰宅し、12時間静養して下さいと申し渡されました。
家内に聞くと隣の病院に運び込まれたことが全く記憶にないと言ってますが、私が駆けつけた頃は全く正常にもどっておりました。しかしながらふだんの食欲は無いようです。

掛かり付けの "N" 医師への「診療情報提供書」を渡され来週初め手渡しして下さいとのことでした。
何て書かれてるのか心配ですが、斯様な急場に「介護老人保健施設」が病院と繋がっていて、即応体制が直ぐに取れると言うことは大変有り難いことです。

今日は可成りの強風が吹き、写真のように夕刻の富士山が夕焼けのなか見事に見ることが出来ました。

4月最初のゴルフ

2007年04月12日 | 日記
今日は前回3月30日のプレイから約2週間経ってますので、ますます春が近づいてゴルフ場も可成り緑に変わったので、その変わり方をお目に掛けます。
"K" さんがドタキャンしたので写真のような三人組でのプレイとなりました。




これは3番ホールのティーグランドから今プレイした2番ホールを振り返ってみた写真で、まだ桜が咲いてました。



14番ホール中途、ティーグランドから出て直ぐの右に咲いていた桜と、14番ホールグリーン手前のバンカーで、フェアウエイはすっかり緑になってました。
16番ショートコース(磯子で一番標高の高いところ)で、遙かに横浜ランドマークタワーや旧磯子プリンスホテル(目下ホテルを止めて介護付きマンションに改築中とか)が望見できます。


17番ティーグランドから遙か彼方のグリーンが望見できます。
このコースはティーショットが打ち下ろしで、一山越えてまた打ち上げになるロングコースで、難所の一つです。

前回も撮ったのですが、9番と18番ティーグランドの間に最近植栽した格好のよい松です。
今日もウグイスが盛んに鳴いていたしトンビの鳴き声も聞こえて、天気も思ったより暖かく一日中楽しい会話とプレイをすることが出来ました。

因みに今日のスコアは 54+54-108 でパットの平均は 2,0 でした。

除草剤散布で2往復・チョンボ続き

2007年04月09日 | 日記
先月21 日の当ブログで述べたように、婿さんからのアドバイスに従って墓地に春先の雑草が出る前に除草剤を撒くためホームセンターから購入して用意していました。

昨夜の天気予報によると今日午後からちょっと雨が降るらしいと放送してましたので、午前中に多摩墓地に除草剤を散布しに出掛けました。

21 日の写真にくらべて見ると、矢張り今度の写真ではもううっすらと青くなり出しています。

1kg の除草剤で20坪ぐらい撒けると書いてあったので、用意した1袋で充分と考えて出掛けたのですが、注意書きに風上からマスクをして手袋をして撒けと書いてあって、除草剤は可成り毒性の強い物だと考えると、こわごわと袋から直接怖ごわと撒くものだから、素人には万遍なく撒くのはなかなか難しいもので、我が墓地は 12平方メートルの広さで充分すぎる量である筈が、半分にも満たない内に除草剤は無くなってしまいました。

多摩墓地は我がマンションから8キロしか無く、入手したホームセンターはもっと近いので、早速買い増しに出掛け今度は2袋購入して戻って、一応全部ばらまいてきました。

人間焦るとロクな事が無く、買い足しに初めての道をカーナビに頼って走行したのですがセンター近くの道に指示通り右折したところ。何とその道が行き止まりで、スイッチバックした際運転席ドアのサイドメンバーを置き石にぶつけてしまいました。
最近マンションの立体駐車機の安全ゲートを閉め忘れて出掛けてしまう失敗を二度三度と犯してしまい、管理人室で毎度又ですかと笑われ、立体駐車機の鍵と部屋の鍵を一緒にしないようにと注意される始末です。
慢性硬膜下血腫は医者から完治したと宣告はされましたが、大脳は可成り衰えたと自覚せざるを得ません。
情けないことです!


日本の教育・ここが問題だ!

2007年04月06日 | 書籍紹介・評
四月一日から読み始めたこの本を、今日やっと読み終わりました。(”K” さんのように私は一冊一日読み終わるなどとても出来ません)

屋山太郎さんという評論家は辛口で、ずばり物を言う人と思っておりましたので、教育問題に対し如何なる意見を持っておられるかと興味を持ったので、図書館からかり出してきました。

この本は副題にもあるように「ここが問題だ!」と戦後の教育の頽廃した原点を取り上げて書かれてます。

40年ぐらい前、娘が小学校に入って父親学級に出席して先生とやり合い、当時から日教組の偏向に異論を唱えてた私にとっては、改めて共感を覚える本でした。

著者は真っ向から日教組の政治にの介入、左翼闘争への活動ぶり、教育委員会と教科書会社の癒着ぶりを暴き、諸悪の根源は日教組支配にあると断じてます。

過激なジェンダフリー思想などが教育現場に入り込んだ男女共同参画社会基本法などを国会で成立させ、莫大な政府予算を組んだ橋本龍太郎や野中広務などの行為は国賊であって万死に値する仕業であると分析してます。

平成18年関西経済同友会が、靖国問題・歴史認識について「歴史を知り、歴史を超え、歴史を創るーーより良き日中関係・日韓関係に向けてーー」という素晴らしい提言を行っているのに対し、NHKや朝日の扶桑社の「新しい歴史教科書」に対する報道を見ると何処の国のマスコミかと言いたくなるような態度をとっている。

未だに宮沢喜一を含め係る人物をたびたび登場させてるTBS放送も、筑紫哲也をいまだに使っていて、日頃不快に感じてる私にとって、この本は胸のつかえが一気に下がる本でした。

戦前の日本の教育の良さ、今から100年も前に明治天皇が義務教育制を施行したのは、世界にも希に見る素晴らしいことと私は教えられてきました。小学校時代一クラス60人もいましたが、少しも弊害などは無く、何故今は少人数学級にこだわるのか?、当時の教師は国立の師範学校又は高等師範学校をでた秀才揃いだったのでは?、私は理解に苦しみます。

完治

2007年04月05日 | 日記
昨日の午後のミゾレやら雪の後の今朝は御覧のように富士山が前にも増して白く綺麗に眺めることができ、左に連なる山々も上の方はしろきなっていました。

去る1月10日の検診後の三ヶ月目の検診に久我山病院に行きました。
病院前の桜が満開に咲いておりました。



今日撮った C/T の写真がこれです。
先生は術後6ヶ月のこの状態ならば完治したので、もう来るに及ばずとの宣託がありました。
まだ時々ふらつくような事があるけどと申し上げたのですが、それは歳のせいですとの宣託でした。
私の手術で、頭に1.5cmの穴を開けた事につき、どの様な機械で明けたのか訊ねたところ、暗に相違して手回しの道具で骨を貫通した時の手に伝わる感触でストップさせるもので、余りに原始的な道具によっていることを知って、いささか呆れてしまいました。
此処の病院の配置図ですが、家内が目下通っているリハビリの「ろうけんくがやま」の建物が隣接してる緑色の場所で、次の写真が入口で、脇に立派な桜が満開で綺麗に咲いておりました。
この久我山病院は社団法人でなく社会福祉法人(どう違うのかはわかりませんが)康和会が運営していて「ろうけんくがやま」は介護老人保健施設で病院とは2階つながっていて、食事の良さ・内部施設の近代的なことなど、家内は充分満足してます。

四高・理乙18年会

2007年04月04日 | 日記
二日続きで学士会館に行く羽目になり、今日は高等学校理科乙類の年に2回行われるクラス会が日本料理「二色」でありました。

産婦人科医の "T" さんは診療日で(85才になっても未だ現役とは!)、身体の検診日だとか不調だとかで常連3名ほど欠席になりました。

話は年齢によるボケの進行について話題が多く、如何にボケを防ぐかと言う点、私は孫に任天堂の DS Lite やら Wii を買ってきてもらってせっせと毎日トライしてるけれど、全ての数値は上昇する気配はなく維持するのが精一杯だけれど、効果はあるような気がするので、諸子に勧めるのだけれど皆さん余り興味をしませんでした。

驚いたことは事は出席6人中総入れ歯は一人だけで、後は皆 80/20 をクリアしてました。又クラス理乙というのは昔医者を目指すドイツ語を主とする組で、総員48名中14人が医者でないコースに進み34人が医者になりましたが、今日の出席者中医者はたった "K" さんだけで、後は皆医学でないコースに進んでるのは不思議です。

話はやはり四高在学中の思い出話に花が咲き、丁度能登地震が起きたこともあり、金沢から七尾までの100キロ剛健旅行に話が集中しました。当時真夜中に学校を出発、翌朝25キロ地点の加賀高松まで集団行進し、朝6時に高松から集団を解き七尾を目指して走り出しました。
"K" さんは二着であったし、"M" さんは5着だったそうです。
恥ずかしながら、私は加賀高松が両親の故郷だったこともあり、根がずぼらで高松で親戚の家に駆け込んで止めてしまってます。今考えると情けないことです。

次回10月4日再会を期して散会しました。




4月・15年会

2007年04月03日 | 日記
月初め第二週の火曜日は中学校の定例の集まりで、今日は5名の参加でした。
世話好きの "I" さんが急逝してから、なんだかとても寂しい気がします。
"Y" さんが杖をついて出席され医師の "S" さんが絵入りで病状の説明され、納得できたのも医者の友人がいるお陰で、私も家内の大腿骨骨折について納得の行く説明を受け、もっと努力させねばと思いますが、何せ自分から努力する意志が欠けているので苦労します。

この集まりは海軍出が多いので話題は陸海軍に関することが多く、当時の四中は一中にくらべ家族が貧乏人が多く、従って軍隊に行くものが多かった様な気がしますが、エリートの集団であったことは間違いありません。
従って今時の教育のあり方につては、どうも理解できないことが多いというのが一致したみんなの意見でした。

来る7月15日に目黒の雅叙園で四中城北会の総会があるので出席しろと言われたのですが、私は金沢の第四高等学校に入って束縛されない自由な学校の経験をしてから、中学校時代の教育のやり方に疑問を持つようになり、城北会の会費も払わない臍曲がり方を強行してる手前、好んで出席したくないのが心情です。