臍曲がりの独り言

行動記録と私見

3月黒砂会・正論5月号

2009年03月31日 | 日記
今日の定例の大学クラス会「黒砂会」に出席するため、家内もお誘いがあって一緒に車で出掛けたのですが、英国大使館前の半蔵門から千鳥ヶ淵にいたる道路沿いの道に植わっている桜は満開とはゆかず未だ半開のようでしたがそれでも桜見物の人出は大変なものでした。
あと一週間後ぐらいが満開になるのではと思います。

今日の出席は12名で、取り交わす会話はいつものように種々雑多ですが、約1時間半賑やかなものでした。

又今日我々の中の最年長の "K" さんが、今までちょくちょく拝見した毎日の歩数計の表で無く、今回は一ヶ月間の健康状態を見る毎日の血圧(最高、最低、脈拍)と体重の一覧表をお持ちになり見せて頂きました。斯様に表に作成して管理されてればこそ90歳になられても矍鑠とされてる日常の努力には感服させられました。
因みに平均最高値は血圧120で体重は64kgで見事なものです。

川端龍子画伯は同期の “T” さんの夫人の遠縁に当たる由だということもあって、“U” さんが予てよりお誘いしてる、大森にある大田区立龍子記念館で現在開催されている「革新のの眼差し」という名作展を鑑賞しながら、画伯が自ら設計した庭園と自宅を拝観し、桜見物をしようという催しを4月7日に行うことに決めました。


"Y" 君の葬儀

2009年03月30日 | 日記
3月26日の当ブログに記載した、横浜に住む “Y” 君のお通夜に南武線津田山にある「かわさき北部齋苑」という火葬場に行ってきました。

前にも書いたと思うのですが、我々86歳にもなると友人知人の数が激減してるせいもあり来場者数が少なくて、些か寂しい思いを感じます。

少し早めに着いたせいで、同級生の “O” さんとお棺の顔の部分を開けて故人のお顔を拝礼する機会があり、拝まさしていただきました。
きれいに死に化粧された彼の顔は生前の顔と可成り違っていて、顔の色が日に焼けた色のなっていて、死因が肝臓ガンであったのでその所為かもしれないと想像されましたが、その時最近グランプリを取った「おくりびと」のことを瞬間思い出したりしました。

彼が海軍兵学校出身の海軍士官であったせいで、同僚と思われる友人達の姿が多く見られ軍人仲間の結束は相変わらず硬いことを見せ使かわされました。

南無阿弥陀仏


サトウのメンチカツ

2009年03月27日 | 日記
このチラシの様なものがなんだかお解りですか?

今日久し振りに吉祥寺名物のメンチカツが食べたくなったのと、マンションの受付の人達に催促されて、サトウのお店に買い出しに行ってきました。

金曜日というせいか、いつもより長い行列ができており、30分以上も待たされました。行列が長くなり道路を隔てたりするものですから、斯様な黄色い札を渡され順番待ちをすることになります。

下の事務所の人達から今日は別途にチャシュウも買ってきてくれという要望もあり、購入してきたのですが旨いか不味いか値段は安いか後日聞いてみますが、何れにせよ我が家ではこのメンチ2個で充分なのですが、頼まれた分を入れると20個近くになりました。(土日は10個までしか買えません) 3人掛かりで来て60個も買って行く人もいて驚きました。

インターネットでこのサトウを検索すると、驚くなかれ何十もの項目が出ていて、驚きます。

とにかく美味しいことは確かです。一度お試しになっては如何でしょうか?


歯の治療が終わった・訃報

2009年03月26日 | 日記
今朝は珍しく富士山が望見できました。このところ天気が長続きしないので、今朝の富士山で今日は晴れるぞと期待できますが音頭は又冬に逆戻りしたように寒くなりました。


マンション筋向かいのこの歯医者に通い出して、結構長いこと時間が掛かりましたが、今日やっと欠けた前歯の治療が終わり十万円を一寸超す金額を払いました。

面白いことは今回入れた差し歯の裏側の右の上にほんとに小さなポッチが付いていて、一週間後に治療後の異常がないか確かめに行った際に、不具合の所があればもう一度入れた歯を取り外して治療をする際の、取り外すための引っかかりの突起だそうで、異常がなければその際に削り落として最終のものになるのだそうです。何ともはや気の利いた方法で、それまでは一寸気になるかもしれませんが無視して下さいとのことでした。

この絵は毎回坐わされる椅子に前の壁に掛けてあるものですが、誰の作かは解りませんが、この馬の脚が三本しか画かれてなく、何とも不思議な画で、毎回そう思いながらも今日が最後だと思って写真に撮った次第です。


話は変わりますが、昨日中学の友達から又一人亡くなったとファクッスがはいりました。”Y” 君という人物で、海兵を出て戦中は海軍の航空隊に所属、運良く生き残って戦後日本航空のパイロットとして定年まで勤務してました。 定年後マッサージ師の資格を取って按摩の仕事に入ったという変わった人生を過ごした人で、死因は肝臓ガンだったそうです。

一寸前には、旧制高等学校の同級生が朝起きて見たら亡くなっていたという通知が来たばかりで、また一ヶ月程前に神戸に住む大学の同級生が同じく心筋梗塞で急逝したとの通知をご親族の方から連絡が入ったばかりの時で、真に春先は死亡される事が多いいようで、些かうんざりしてます。



やっと半分出来ました

2009年03月22日 | 日記
この数独の本は約一年前の昨年3月の私の誕生日のお祝いに昔の社員の “K” さんから老人の老化防止の一助にもと言うおもんばかりから頂いたものです。

脳を若返えさせる目的の流行のパズルゲームで、内容は中級編の150問が、レベル1からレベル3までで120問あり更に上級問題30問が加わっております。

昨日まで一寸暇が出るとトライしてきました。直接印刷されている本のページ中での試行錯誤では到底解き明かすことは無理なので、1ページずつスキャナーで拡大コピーを2~3枚用意してトライしてきました。

中級編レベル1と2の合わせて80問をやっと一年掛かりで成し遂げることが出来ました。やれやれですが ”K” ちゃん有り難う感謝してます。

今日から中級編レベル3に取り掛かりますが、段々と難しくなりますので後の40問は到底一年では無理ではないかと思考してますが、暇が出来ボーッとしてるときは、思い出したようにとっかかるつもりです。

この数独と漢字クロスワードパズルは思考力を鍛えることと、特に後者は忘れがちな文字特に漢字を思い出させる点有効で、馬鹿に出来ないゲームであるとの認識で暇の時は一生懸命トライするつもりです。
馬鹿なテレビを見てるよりはずーっと良いのでは!


3月午餐会

2009年03月19日 | 日記
今日の講師は熊谷信昭さんという現在は兵庫県立大学の学長をして居られる元大阪大学総長をして居られた方で、演題は「情報とは何か―情報と通信、情報化社会と人間」でした。

(はじめに・情報化の流れは太古の昔から・情報とは何か・情報理論の誕生・コンピュータの劇的な進歩・革新的な通信技術の発展・デジタル化への回帰・人間社会における情報化の特徴・情報化社会と人間・おわりに)と言う順序での講演でした。

先ず情報化社会、IT、eメール、インターネット、ユキビタスというような言葉が連日見たり聞いたりしている状況が斯くも盛んに言われるように何故なったかというと「人々が情報の重要性を最近認識するようになり、情報が金儲けやビジネスの対象にもなってきたからだ」と言われており、太古の昔から手段として工夫・改善され続け来たからで、狼煙、太鼓、伝令、飛脚、駅伝、伝書鳩、手旗信号、郵便、電信、電話、ラジオ、テレビ、写真電送、ファクシミリ、携帯電話、電子メール、インターネット等々のその時代のメディアがあった。

コンピュータ技術(情報処理)と通信の技術(情報伝達)の進歩により今日の「高度情報社会」が生まれ、その結果「情報理論」が誕生した。
1948年シャノンが「通信の数学的理論」という論文が発表され、情報量の単位として1ビット(1bit―binary digit)と言う言葉が誕生し、10進法をコンピュータで2進法で処理しすると方法がとられました。

1948年トランジスタが発明され IC から LSI へと発展し、この集積回路技術により更にコンピュータが劇的に進歩した次第である。

こうして世の中全てがデジタル化に進み今日に至ったのである 云々。

会食が終わって講演に入る前、学士会の井口理事から恒例の講演者の経歴発表があるのですが、今回熊谷氏のは略歴が刷り物になっていて、何もこんなに細かく記述する必要があるのか?、又お話も投影された文章を読むだけという講演では一寸興味が半減しました。話し中ウィットのある余談もあってこそ、直接のお話が冴えるのではと感じました。

この写真は、行きの電車の中で見た女子大生の袴姿で九段下で下車されたので、何処かの大学の卒業式に行かれるのではと思ってパチリと!

3月2回目のゴルフ

2009年03月18日 | 日記
今日は日中20℃近くまで気温が上がるという予報通り、春のような暖かい一日でした。

“T” さんが欠けて、写真のように3人でのプレイでした。

1,2月とゴルフをしなかったので、身体の疲れが酷く、やっとワンラウンド回れたという実感です。スコアが示す通りの良い成績ではありませんでしたが、ティショットだけは距離は出ませんが大体真っ直ぐに飛んで良かったのですが、FWが矢鱈とミスショットが多く、4番と7番共に快適に飛びませんでした。”S” さんにもう少し球を左にしろとアドバイスされたのですがどうも調子が出ず仕舞いでした。

スコアは斯くの通りで、御両者も大分乱れて居られて、OB やバンカーでの大叩きをされたりしてあまり良い成績で社内容でした

残りの3枚の画像は、我々の写真をキャディさんに撮って貰ってから彼女が私のデジカメを持ち歩いて、いつの間にか撮られたものです。帰宅後デジカメのデータをパソコンに取り込んだときに気が付いて吃驚しましたが、気の利くキャディさんですね!

何とかワンラウンド回れましたが、あと一週間の間に2回プレイをする羽目になっているのですが、21日は勘弁していただいて、25日は頑張ってやるつもりをしてます。


顔合わせ

2009年03月15日 | 日記
孫の中でたった一人の男の子に彼女が出来て、ご両親が金沢からわざわざ上京されて、親である娘夫婦との顔合わせすると言うことになり、二子玉川の高島屋にある加賀料理のお店「大志満」で昼食を共にすることとなり、我々爺婆も相伴に与り同席しました。

金沢は私が卒業した旧制第四高等学校があり、私の両親も石川県人であることから、親しみを持ってお会いしました。

ご両親は能登の出の方で、現在は金沢で理髪店を営まれて居られ、同郷の事とて、2時間近くも話は弾んで、献立表の加賀料理を暫くぶりに賞味しました。なかでも「治部煮のお椀」「鰆の柚庵焼の焼き物」など長いこと食べなかった料理を嗜むことが出来ました。

本人達は同じ会社に勤めており、お互いに仕事が目下忙しく2ヶ月ほどして仕事に一段落したら、式と披露宴を開くよう計画してるようです。

二人の娘達にそれぞれ3人づつ孫がいますが、男子は一人だけで残る女の子のうち適齢期を過ぎたのが二人も残っているのに年上の二人の娘達はちっとも縁談の話がないのは可笑しいとチョイチョイ声高に言っているのですが、最近のおなごは給料が良く仕事も面白いと全くその気にならないのは親が悪いと娘達に言うのですが、最近の風潮だと一蹴されて、なんともやりきれないのですが困ったものです。

お土産の一つに私は全く知らなかった「加賀まるいも」と言う写真のような直径10センチ程のやまのいも属つくねいも群に属する黒皮種いもです。料理の仕方を読むと所謂山芋と同じように料理するようです。珍しいものです。

ご両親が第四高等学校を「よんこう」と言わずに「しこう」と発音されて居られてたのは間違いなく金沢人でひとり納得していた次第です。


WiLL 別冊 4月号

2009年03月13日 | 書籍紹介・評
今回の WiLL 別冊は「歴史通」と表題に謳っているが戦前の海軍の零戦にまつわる記事が半分以上を占めてます。

美しい見事な零戦の写真が沢山掲示されてて中々思い出深いものですが、これらは戦中に撮されたものでは無く、戦争中一万機以上が三菱と中島で作られたのですが、今現在約200機が復元されていて、今でも飛行可能なものは5機あり、4機はアメリカに有り、それがこの掲載されている写真のようです。
何れにせよ眺めているだでも綺麗な写真やイラストが掲載されたます。

記事は零戦で有名な撃墜王坂井三郎に纏わるものが多々書かれていて、彼が死去される4ヶ月前に行われた「太平洋戦争は無駄ではなかった」という対談はなかなかのもので、中には彼が海軍士官でなく下士官であったことから帝国海軍の内部事情を一部暴露されてる事などは読み応えがあります。

零戦に搭載された20粍機関砲は山本五十六がスイスのエリコン社から技術導入した優秀な銃で(アメリカは戦後この銃を技術導入した)戦闘機に搭載された画期的なもので、戦前の大日本兵器(戦後の日平産業)という会社で銃と弾丸を製造しましたが、その弾丸を削る為に使われたタバン社の縦型6軸自動盤(Gyromat) を戦後私が勤めていた商社で、三豊のマイクロメータのシリンダー部の旋削や日立工機のドリルチャック旋削用に輸入した経験があり思い出深い事柄の一つになってます。

この20粍機関砲がゼロ戦の威力有る武器だと思ってましたが、坂井さんによるともう一つの7.7粍機関銃に比べ、銃口の発射速度が遅く可成り敵機に近寄らないと効果がなく彼に言わせると「小便弾」で酷評されていたのには吃驚しました。

考えても60年以上も前に斯かる飛行機を一万機も作った我が国の実績が今日至るも、何処かの圧力で製造できないという事実は真に不自然で、新幹線という地上のレールの上を走る超高速列車で息抜きせざるを得ない悔しさをひとしお感じる次第です。