本籍:女子大生・現住所:予備校生の長女の大学受験候補地見学と、新型コロナ禍で無期限延期となっていた次女の高校合格祝い旅行の予定先だった姫路城訪問を兼ねて、本日から京都→大阪→姫路→神戸の1泊2日旅行です。
北陸自動車道の上り路線は関係者の不断の努力のお陰で本日から通行止め解除です(下り路線はしばらくそのままのよう)。
賤ヶ岳SAで休憩。

まず平安京大学に到着。
ここの大学はあまり縁がなく、2005年にエネルギー関係のセミナーへ参加して以来で17年ぶり2度目。
その時分は散策癖があまりないので、この時計台は初見。
時計台は大学の標準装備なのでしょうかね、東京大学は本郷にも駒場にもあり、岡山大学にも似たような建物がありました。
金沢大学は移転前から無かったはず(たぶん)。
時計台と大学で検索してみると「日本における時計台の変遷 ―なぜ時計台は大学にあるのか―」といった文献がありましたがここではこれ以上記しません。
参加を予定していたオープンキャンパスが昨今の事情で中止になるも、長女は「先に」入学している緑の高校同級生と待ち合わせ、そのまま案内してもらう形で学内へ。




残りの3人は観光と昼食を兼ねて、まずは次女の一押しながら3年前に行けなかった金閣へ。
ノッポは中学の修学旅行以来なので36年ぶり。



「最後に見られるスポットですよ」と職員の方が待機してお知らせしてくれました。

続いて銀閣?他?と検討しているうちに二条城へ行くことに。
事前調査をせず、訪問先はそのときの風が吹くといった具合に適当で、地理にも疎かったのですが、銀閣は大学の近くでしたがな。
昼は二条城近くの油小路おおみでランチをいただきました。
湯葉、こんにゃく、厚揚げ、まぐろ漬け、焼き魚など多彩な品々が出てきて1,000円/食(たぶん)と、量・種・価格の三方よし?でした。




その後、二条城を見学。
ここも36年ぶり、小学校のときは家族旅行で数度訪れています。
そのときに父から鴬張りを教えてもらいました。
生涯一木材加工職人(→経営)の父が当時(今も)、詳細構造を知っておられたか、理解されていたかは不明ですが・・・。
ただ、こうして長い年月を経てノッポが色々と経験や勉強を重ねることにより構造を理解できるようになったのですが、当時はそうなることなど知る由もなく、音が鳴り響くことのみに感動していたように記憶しています。
庭園を回って、本丸へ行くも工事中・・・。
3年前の清水寺もそうでしたが、タイミングが悪いですね。







大学へ長女を迎えに行くと、平安京大学生然として歩いていました(公式身分は平城京女子大学生)。

北陸鉄道の観光バスが3台連なっていたので、何かと見れば星稜高校が大挙して見学に来ていたよう。

八ツ橋発祥の地を見つつ、大阪へ移動しようかと思っていたところで知恩院、八坂神社と見えたので見ていくことに。

八坂神社で三姉妹はしっかりお参り(各自は何を祈ったのだろうか?)。



続いて知恩院へ行ったのですが、三姉妹は三門前でリタイヤして、あとはノッポの単独行でした。
ここは中学時代に行ったのか?行っていないのか?家族旅行でも行っていない?といった具合で記憶が定かでなく。
ここも鴬張りの廊下があるのですが、三姉妹を待たせ過ぎることを控えて引き返すことに。
一つ疑問ですが、鴬張りの廊下が老化していった場合はどうなるのでしょうかね(劣化ですね)。




お経を唱える自動販売機がありました。

駐車場へ戻る途中に円山公園がありました。
ここは中学修学旅行の自由探索後待ち合わせ場所だったはず。
もっと広い公園だったように記憶していますが、当時からノッポ自身の体が大きくなったため小さく見えたのか(中3春の修学旅行時:170 cm→現在:187 cmなのでちょうど1.1倍)。

移動中、東寺の五重塔です。
修学旅行、家族旅行の当時には行っていませんね(たぶん)。

小一時間で上方大学に到着。


柴原阪大前駅前後のモノレール。

「チカン・不審者に注意」の看板の横で写真を撮影していると怪しかった?


世間を騒がせている「カルト」の看板もあり。
ノッポの大学生時代(約30年前)も勧誘や撃退に関したビラが多く配布されてましたかね。

ここは候補先優先順位が低いのか、「先に」入学した同級生に案内を依頼しておらず、さらっと学内を散策して、移動しましょうとのことでした(百万石大学一択の来年度受験生こと次女も興味なし)。

西宮名塩SAでコーヒーブレーク。


姫路に到着。

夜は南町中央通にある白めがねで家族会食でした。



ホテルへ帰ってしばらくしてから外出、高田屋であっさり塩ラーメンをいただき、43杯/年(尾道率:15/43・30玉)。

