ふわふわな記憶

日々精進。

魔法少女リリカルなのはViVid Memory:60「撃ち抜く力」 感想

2014-05-15 15:22:05 | 魔法少女リリカルなのは


 
 コンプエース6月号発売から3週間ほど経ってしまいましたが、とりあえず7月号発売までに感想を書けそうだったので、今月号の感想を書いていきたいと思います。

 今月号でViVidは5周年。今回の60話は1stシーズンから始まるなのはシリーズの一貫したテーマが描かれていて、とても熱い回だったなと思います。以下、本編の感想になります。










なのはViVid 60話 「撃ち抜く力」

 今回はヴィヴィオとアインハルトの4度目の対決の続きからになります。



 前回は魔力運用の上手いヴィヴィオが攻撃時と防御時それぞれに魔力を100%ずつ振り分けるスタイルで試合を優勢に運ぶが、その方法では攻撃に100%の魔力を集中している時に攻撃を食らえばほぼ裸の状態に等しい防御力になることを意味する。ヴィヴィオの本気を察したアインハルトが「そこまでして私に勝ちたい理由がありますか?」と問うと「言葉じゃ届かない、今のわたしを、そしてわたしたちの今」をアインハルトにぶつけるための試合だと自分の想いをぶつけます。

 しかしアインハルトにはヴィヴィオの本当に伝えたいことの意味がまだわからず、その危険な戦い方を止めるために戦うことを決意する。
 ヴィヴィオのアクセルスマッシュから始まり、激しいカウンターの打ち合いのような攻防が繰り広げられるが、



 アインハルトが放った攻防を一動作でする古流武術の「一拍子」がヴィヴィオに突き刺さりヴィヴィオはダウンしてしまう。

 アインハルト強し...。やはり地力ではアインハルトの方が一枚上手なのかもしれない。カウント8でヴィヴィオが立ち上がりここで1ラウンド目が終了し、ヴィヴィオを心配するアインハルトに対して、ヴィヴィオは自身の出自や過去について語る。


 自身はオリヴィエのクローンであり、記憶は受け継いではいないけれど体質は受け継いでいること。
ゆりかごを蘇らせるための「鍵」として生み出され、大好きだった優しい人の事さえ自分の手で殺しかけてしまったこと。





 でも心も体も自分の思うようにならなくてどうしていいかわからなかった時に「わたしの涙も痛みも運命も受け止めてくれた人が」いたこと。





 そして、ぶつかり合わなければ伝わらない事があって、「撃ち抜く力」は想いを届けるためにあるということをなのはさんに教えてもらったとアインハルトに伝える。


 このシーンは本当によかった。このシーンに1stシーズンから始まるなのはシリーズの一貫したテーマを感じました。

 1stシーズンは、なのはさんとフェイトの出会いの物語で主軸となるのが「友情」だった。
 2ndシーズンは、家族のいないはやてと歴代の主からただ道具としての扱いを受けてきたヴォルケンリッターが「家族」になっていく物語だった。
 3rdシーズンは、なのはさんの想いがスバルやティアナに受け継がれ、なのはさんとヴィヴィオが「親子」としての絆を形成していく物語だった。


 どのシーズンでもなのはさんが掲げてきたのは、本当に相手を大切に思うからこそぶつかり合わなければいけない時があって、魔法というものは自分の想いを相手に伝えるための「撃ち抜く力」であるということだと僕は思います。だからこそ今回ヴィヴィオがこのセリフを語ることで1stの頃からなのはさんが掲げてきた想いをヴィヴィオが受け継いできたことが感じられてすごく良かったなと感じました。


 ヴィヴィオにとっての魔法が、自分の想いを相手に伝えるための「撃ち抜く力」であるのに対して、アインハルトにとっての魔法は、かつて自分の先祖であるクラウスがオリヴィエを守ることが出来なかった、その悲しみを二度と繰り返さないための力であり、自分自身が強くなることでそれを証明しようとしている。過去に囚われた日々から、52話~55話の無限書庫編を経て過去に向き合い始めることになったけどそれでもまだ心を閉ざしているアインハルトがこれからどういう一歩を進んでいくかはとても楽しみです。




 その小さな体で一生懸命踏み込んできてくれていたヴィヴィオの想いを知り、自身が一度も心を開いていなかったことに気付く。アインハルトが放った本気の拳はヴィヴィオの語った「ぶつかり合うこと」を理解したからではないでしょうか。少しずつヴィヴィオの考え方に惹かれて、過去を見つめていたアインハルトが今へ、そして未来への一歩を踏み出していく。


 最後のヴィヴィオの一撃で試合が決着するのか、それとも...。次回はどうなるんでしょうか、楽しみです。


コメントを投稿