ふわふわな記憶

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四月は君の嘘 感想 「君のために弾く音楽」

2014-10-15 05:00:00 | レビュー
 

四月は君の嘘 感想



 (原作未読の方はネタバレにご注意ください。)

 



先日、四月は君の嘘」のアニメ1話が放送されました。原作が大好きな作品なので、正直かなり高いハードルでアニメを観てたんですけど、そんなハードルを軽々と超えられてしまった!OPにもこの作品から感じられる「君」という呼称へのこだわりがきちんと反映されていてとても素晴らしい出来でしたね。


アニメ1話を視聴してまた原作を1巻から読み直していたんですが、この作品は本当に何度読んでも素晴らしい。読み返すたびにこの作品の深さを思い知らされます。どこでも読み返せるようにkindle版も購入しました。自宅で読む分には単行本で読んでいますが、持ち運びの面で考えると電子書籍の方がメリットは大きいので。


今回は1巻~9巻を改めて読んだ感想を書いていきたいと思います。原作未読の方はネタバレになりますのでご注意ください。




「君」のために弾く 公生とかをり




母の死をきっかけにピアノが弾けなくなった主人公の公生は、四月のとある日、一人の少女・宮園かをりと出会います。それまで見るもの、聞くもの、感じるものの全てがモノトーンのように見えていた公生の毎日がかをりとの出会いによってカラフルに色付いていく。




「なんで あんなに 楽しそうに 演奏できるんだろう....」


譜面を鏡に映したような正確無比な演奏をしてきた公生とは対照的にかをりの演奏にはコンクールにとらわれない自由な音楽があった。


母の願いであった「トップ以外意味がない」という世界で生きてきた公生が、音楽の楽しさを体現したかをりに魅力を感じていくのは必然ですよね。かをりは「自分の音」を持っている。それは「母のために」ピアノを弾き、母の操り人形であった公生にはなかったものですから。


2巻では、かをりにコンクールの伴奏者として指名された公生は再びピアノに向かう事になりますが、演奏の途中で母の幻影がちらつき、公生は音が聞こえなくなってしまいます。コンクールの最中、ピアノの伴奏をやめて立ち止まってしまう公生。そして、主役であるバイオリンのかをりもまた演奏を止めてしまう。
 

コンクールは当然のように失格となるわけですが、かをりは「アゲイン」と再度公生に演奏を求めます。かをりは自分のコンクールよりも公生と演奏することに意味を見出していたんですよね。




かをりの背中が「私を見て」と公生に語っている。「聴いてくれた人が私を―― 忘れないように」全力で弾く。それが演奏家であるかをりの覚悟。かをりの背中は公生が諦めることを許してはくれない。そして、かをりの後ろ姿が公生を突き動かすこのシーンはただただすばらしい。言葉を交わさなくともお互いがお互いを高め合い最高の音楽を作り出す。まさに「音楽は言葉を超える」のです。
 

「君がいる」や「君の音が聴こえる」というセリフのように、この作品の「君」という呼称へのこだわりはこの作品のキモでしょう。公生もかをりもお互いを「君」と呼び合っています。



公生はかをりに後押しされ、コンクールに出ることを決めますが、母の影から抜け出せずにいる自分を悩み続けていました。しかし、「自分らしく」弾くために思い悩む公生に放ったかをりの言葉が公生を変えていく。




「私達はバッハやショパンじゃないもん 君の人生で ありったけの君で 真摯に弾けばいいんだよ」



あれこれ考えても意味なんかない。答えは至ってシンプルなんですよね。自分はどうせ自分なのだから、ありったけの自分を音にすることが大切なのだとかをりは語ります。これこそまさにかをりが持っていて、公生が持っていない「自分だけの音」の答えなのでしょう。


そして再びピアノの前に立つ公生ですが、やはり母に対するトラウマが公生から音を奪い、公生は演奏を止めてしまう。でもそんな時、公生の中にいる「君」が公生の頭をよぎります。


以前、失格となり実質終わったコンクールでかをりは何を思って弾いたのか、何のために、誰のために弾いたのだろう。僕はこの曲をどう弾きたい、誰のために弾きたいのか。そして、公生はひとつの答えを出す。






「君のために弾こう」


このシーンは本当に鳥肌もの。僕がこの作品に強く惹かれるようになったのもこの5巻を読んだ辺りからでした。


2巻では、かをりは自分のコンクールをふいにしてまで、公生にピアノを弾くことを求めた。そして、公生がこのピアノのコンクールに出るように背中を押してくれたのもかをりだった。かをりと出会ったあの日から公生の世界はモノトーンからカラフルに変わっていたのです。


だからこそ、もう一度自分にピアノを与えてくれた「君」のために弾く。「ありがとう ありがとう ありがとう」、「君」への感謝の想いが公生の音を奏でます。



公生「僕の中に 君がいる」
かをり「やっと 帰ってきた 君がいるよ 有馬公生君」


 
見開きの1ページでこれほど読者の心を掴む作品を僕は多く知りません。公生の中にもかをりの中にも「君がいる」。たった一人、「君」にだけ届けばいい。そんな一途な音、一途な想いはしっかりと「君」に届いていました。


かをりは数々のコンクールで入賞し、天才と呼ばれた公生だけではなく、本当の公生の「音」を知っていたんですよね。「やっと 帰ってきた」という言葉は本当に熱い。1話で公生と出会う前からかをりはずっと本当の公生に帰ってきて欲しくて、出会ってからずっと公生を導いてきたんです。


2巻で自分のコンクールを台無しにしてまで公生のためにヴァイオリンを弾いたかをりと、5巻でかをりのためにピアノを弾く公生。やはりお互いの中には「君がいる」のです。


母のためにピアノを弾いてきた公生は、母を失い音が聴こえなくなった。ひどい言葉を向けたことを謝ることも出来ぬままに亡くなってしまった母の幻影が公生のトラウマとなって、自分の音を奪ってしまう。でも、かをりと出会うことで新しい音を見つけた。母の操り人形だったピアノの音が彼女との出会いで自由な音に変わっていく。
 

公生はピアノを弾く理由を見つけたのです。「君」の後ろ姿を追い求めて、いつかきっと「君」と肩を並べられる、その日が来るまで公生の旅が終わることはないのでしょう。






6-7巻では、主催者推薦でかをりと公生が招待されたガラコンサートが始まります。かをりがガラコンサートで弾くように選曲したのは、クライスラー「愛の悲しみ」。そして、この曲は公生のお母さんが好きだった曲。どうしてもお母さんを思い出してしまう曲なのです。


本当にかをりは全てを見透かしているんですよね。公生がピアニストとして成長するために、母の幻影とお別れするためにはこの曲を弾かなければいけないことをかをりはこの時点で既に知っていたのでしょう。
 
 


ガラコンサート当日を迎えたが、会場にはかをりが来ないというアクシデントが発生。しかし、公生は一人で舞台に上がります。そして、7巻ではずっと自分を縛り付けてきた母の幻影との決別の時が描かれる。



「私がいなくなったら公生は―― 公生はどうなるの? あの子はちゃんと生きていける?......私の宝物は 幸せになれるかしら」
 


お母さんがピアノを教えてくれた幼い頃の記憶が公生のなかで蘇る。お母さんが公生に厳しくレッスンをしたのは、母親として公生の将来を案じてのものでした。病を抱え、先の長くない自分が息子に残せるものはピアノの技術しかない。


だからこそ、厳しく辛く公生にあたってしまっていた。母親が子供を残して亡くなっていくことに対する不安と無念は哀しくて胸が痛くなります。





今まで自分から音を奪ってきた母の亡霊は自分の弱さが作り出したものであることに公生は気付いていました。お母さんは自分を憎んでなどいなかった。心から愛してくれていた。母の亡霊は、一人ぼっちでピアノを演奏することが怖くて、逃げ出すための理由にしていた自分の弱さだったのです。
 

「母さんは――僕の中にいる」



お母さんが好きだった「愛の悲しみ」を弾くことで、公生はお母さんを身近に感じていく。お母さんに教えてもらったことを音に変えて、広い世界に公生は飛び出していくのです。






「愛の喜び」と「愛の悲しみ」があるのに、どうしていつも「愛の悲しみ」を弾くの?と無邪気に問う幼い頃の公生への返答がとても切ない。自分はもうすぐ息子を残して先立ってしまう。だから公生には悲しみに直面しても強く生きていく子になって欲しかった。


だからこそ、レッスンも厳しくなってしまったし、「愛の悲しみ」をずっと公生に弾き聴かせていたのもそのため。母親という存在の偉大さを感じずにはいられません。






演奏が終わり、いつも母の影が見える場所を見てみると、そこにはもう母の亡霊はいなくなっていました。ずっと自分を縛り続けてきた自分が作り出した母の亡霊との別れによって、公生は表現者としてまた一つ成長します。


有馬早希を失ったことは有馬公生という演奏家にとって必要なことだったのかと悲しげに語る紘子さんと、それに対して「悲しみが彼を成長させるのだとしたら それは――鬼の通る道だ」と心の中でつぶやく落合先生の会話が恐ろしくも感じます。





「悲しみが成長させる―― 公生が進むなら失って進むのかもしれない」


そして、恐れていた事態が着実に現実味を帯びてきました。かをりがガラコンサートに来れなかったのも急に倒れてしまったのが原因だった。今までもかをりは何度も公生の前からいなくなってしまうのではないかと思わせるシーンがありましたが、表現者としての公生の成長には悲しみがつきまとうという展開で更にかをりの症状が悪化していく線が色濃くなっていったように感じます。


公生が再び音楽の世界に戻ってきたきっかけも公生の音楽を突き動かしてきたのもかをりなのです。そんな彼女を失うことになったら公生はどうなるのでしょう。その展開は本当に「鬼の通る道」。





「君はどうしたって 表現者なんだね 有馬公生君」



公生を表現者として成長させるためには母の幻影からお別れをする必要がありました。やはりかをりが「愛の悲しみ」を選曲したのは公生のためだったんですよね。


そして、これもまたかをりからのメッセージなのかもしれない。かをりは自分のこれからが長くないと思っていて「愛の悲しみ」を弾くことで、悲しみに立ち向かう強さを公生に持ってもらいたかったのでしょう。


自分が公生のそばにいられなくなっても公生が表現者として前に進んで行けるように。こういった描写もまた公生のお母さんと重なる部分で本当に怖いです。




"動き出す椿の時間と公生への想い





一方で椿もまた成長する公生を見て自分の本当の気持ちに気づき始めます。





止まってしまっていた公生の時間をもう一度動かしたかった椿。早くに母を亡くして、どこかほっとけなくて、元気になって欲しかった。またピアノを弾き始まれば公生のモノトーンのような毎日がきっと少しづつでも変わるとそう思ったからです。


しかし、椿には音楽の世界はわからない。公生が再びカラフルな世界に飛び出すためにはかをりが必要でした。だからこそ、椿は公生とかをりを引き合わせたのです。
 


 



でも、公生は確実にかをりに惹かれていく。家が隣同士で小さい頃からつらい時も悲しい時もずっと近くにいた公生が自分の知らない世界に行ってしまう。椿の感情の揺らぎには胸が締め付けられる。幼馴染という関係は恋愛のハードルを上げてしまうのかもしれない。


ずっと近くにいたから相手のことを誰よりも知っている。距離が近ければ近いほど、家族や姉弟のような関係になってしまう。近すぎるからこそ、素直になれない。でもいつまでも同じ関係でいられるわけではないのです。


弟のような存在だと思っていた男の子もいつかは誰かに出会い、恋をする。「今がずっと続く」なんてことはやはりなくて、時間は確実に流れていく。そして、公生の時間を動かしたのはかをりであり、引き合わせたのは椿自身なのです。
 
 




今の居心地のいい関係を壊さないために、「公生は出来の悪い弟」なのだと、椿はずっと自分に暗示をかけてきました。でも、公生が音楽科のある高校に進むことを決意した時に、「公生にずっと側にいて欲しい」と自分の本当の気持ちに気付きます。


公生も渡も一歩一歩を踏み出している。時間が止まっていたのはまさに椿だったんですよね。




「遅いかもしれないけど あきらめたくない この人の側にいたい 進め 踏み出せ 私――」



公生はかをりの後ろ姿を追うようにどんどん音楽の世界に進んでいってしまう。もう取り返しなんかつかないのかもしれないけど、あきらめられない。椿の時間がようやく動き始またこのシーンは本当に素晴らしい。公生を追うように公生の志望する高校の近くの高校を第1志望にする椿が恋する女の子という感じがしてとてもいいですね。









長々と書いてしまったんですが、今回はひとまずここまで。「四月は君の嘘」本当に魅力的なキャラが多くて、渡とかもチャラ男に見えて本当にいい奴ですよね。恋愛模様やかをりと公生の音楽がどうなるのか等、これからの展開がとても気になる。10巻が10/17ともうすぐなのでちょー楽しみです。アニメもこれから演奏シーンが見れたりすると思うので、期待しております。
 


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