野村いくよの最新情報

日々の活動を簡単に報告します。

サラエボの花

2008年01月30日 | プライベート
映画「サラエボの花」を観てきました。
シネリーブル梅田で上映されているのですが、2月1日までで、それも今週は朝の1回だけの上映です。
1992年、旧ユーゴスラビアが解体してゆく中で勃発したボスニア内戦は、95年に一応の決着をみた。
しかし、それまでに死者が20万人、難民・避難民が200万人も発生したといわれている。大量虐殺が行われたうえ、「民族浄化」として集団強姦が行われ、2万人もの女性がその犠牲者になったと言われている。
映画はその12年後、サラエボに住むエスマは集団強姦の犠牲者でセルビア人にレイプされ、妊娠し、娘サラを生んだ。修学旅行を前に、費用の工面をするエスマと、サラの生活が描かれている。父親が戦闘で死んだ「殉教者」であれば、旅行費用は免除される。父親は「殉教者」であると聞かされているサラは,その証明書を出さずに費用の工面をする母親に不信感をつのらせ、父親は誰なのかと問い詰める。エスマは、過去のつらい体験から男性恐怖症などトラウマを抱えている。
決して暴力シーンも、戦争の生々しさも画面には出てこないんですが、観ている私は、つらい思いになってきます。しかし、母娘の愛情は深く表されていて、「これは愛についての映画である」と監督が言ってるのには納得です。
サラに問い詰められたエスマは、つかみ合いながらも真実を話してしまう。
そして、助成金をもらうために毎月通っている集団セラピーの場でも、エスマは涙ながらに自分を語り始めた。「娘を殺したかった。妊娠中に自分のお腹をげんこつで叩いたわ。流産するかと思って、力の限り叩いた。でも無駄だった。お腹はどんどん大きくなった。それでも犯され続けた。病院で出産した後、私は言った、『その子は見たくもない、連れてって』、すると赤ん坊の泣き声が部屋中に響き渡った。その翌日、母乳があふれ出したわ。私は言った、『その子にお乳をあげるわ、でも1回だけよ』、娘が連れてこられたその子を腕に抱き上げると、弱弱しくて小さくて、とてもきれいな子だった。私は、この世にこんなに美しいものがあることを知らなかった。」
サラは父親似と言われた髪をバリカンで剃り、丸坊主に。その姿で修学旅行に向かいます。バスの中で手を振るサラの姿に、笑顔になったエスマは手を大きく振り返す。
走っていくバスの中で、サラエボ・マイ・ラブの合唱、サラが笑顔に・・・
現実を受け止め、それでも未来に向かって生きていく・・・
そんな最後に生命の力強さを感じることができました。
まだまだ知らないことがたくさんあるわけですが、映画を観ることによって知ること、そしてそこから考えていくことが大切なんだ、と思いました。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。