なぜ自分が海外を旅するようになったのか、よく分からない。
ただ、明確な目的と原因が有る。他の国の文化を深く学ぶ事と、好きではない祖国「日本」を飛び出したい・・という衝動が大きな目的であり原因である。とは言え、VISAで散々苦労したNYの思い出が有るため、よっぽどの事が無い限りは海外移住は難しい事も知っている。ましてや海外で日本人がJAZZで食って行く事がどういう事かも経験済みだ。
要は、そこそこの生活が出来て、文化を学び続ける事が出来れば、有名にならなくても金持ちにならなくても良い。旅を続けられる程度の余分な経済力が有れば、移住する必要もあまり無い。今の僕にとって音楽は異文化を学びたいという欲求の源であり、経済面でも重要な収入源である。音楽は僕に多くの課題と生活苦を与えると同時に、多くの学びも与えてくれる。慢心した時には試練を与えて再出発するまでは完膚なきまでに叩きのめし、そのかわり自信を失った時は友を与える。しかし、その友との仲間内だけの小さな世界に満足していると、その仲を引き裂いてでも孤立させ、そして結局は一人ででもやって行くんだという精神的強さに自分を導く。常にこういった試練を乗り越える気力を持ち続けられる人が、生涯、現役のプロ・ミュージシャンで居続ける事が出来るのだと思う。
あまりにも何の評価も得られないと、ついつい自信を失ってしまうが、アメリカでも日本でもたまに僕の前に的確な評価をして下さる方が現れ、曲がりなりにも自分の信じてやって来たことは間違いではなかったと教えてくれる。しかし、日本人は特にマジョリティー志向で「他の人がどうあれ、自分はこうだ」という信念の持ち主は非常に少なく、大多数が集まる所にしか集まらない傾向にある。その商品がメジャーかどうかの「メジャー志向」ではなく、みんなが買うからという理由だけで買ってしまうマジョリティー志向・・と勝手に名付けたけど(笑)、商品価値どころか、その商品以上に自分がどこに属しているかの方に価値を求めてるようにさえ思える。ネット社会による情報過多の産物だと思うけど、FBの「いいね!」がその良い例だと思う。そんな社会に於いて評価を求める方が無意味である。
もとより、そういう人達を相手に商売してるわけではないので、自分には関係ないっちゃ関係ないのだが、そういう人達がこの国の経済を支えてるのだと考えると、どうしても暗澹たる気持ちになり、海外に逃げ出したくなるのだ。当然、海外で随分痛い目に遭って来たから、海外が全て楽園だとは思わないけど。
でも、文化の根幹である大きな歴史の流れを海外ではより身近に感じる事が出来る。
同じアフリカ人の祖先を持つ、アメリカ黒人と中南米の黒人の作り出した音楽が違う事。そこには、植民地としていた国に違いが有るという原点。植民地としていたフランスやスペインやポルトガル自体がどういう国の成り立ちをしていたのか・・という更なる原点。イスラム教の影響やローマ帝国の影響。更にローマ以前にはギリシャが有ったわけで、音楽は西へと東へと人類の移動と共に様々な融合を繰り返して変化して行った。僕が去年行ったオーストリアは音楽の都とされているが、ドイツ系の国は文化度を上げるために音楽を利用し、そのためにイタリアから学んだとされている。
食文化はどうだろう。フランス料理は日本ではマナーにうるさい高級料理だが、王室でさえ元々は手掴みで食事をしており、テーブル・マナーはイタリアのメディチ家が伝えたものである。現在、イタリア料理で頻繁に使われるトマトは南米から伝わった時は毒が有るとみなされ当初は観賞用だった事は有名であり、決して元々メインの食材ではなかった。コーヒーがなぜローストされる様になったか。それはアラブ商人が貿易を独占するため、他国で発芽しない様にするために焙煎を始めたとか。
正直、海外旅行を趣味にするまで、こういった有名な逸話は恥ずかしながら全く知らなかったし、興味も無かった。でも、日本の音楽って、かつての僕の様に、ほぼ上っ面なところで成立してる様な気がする。「ジャズはニューヨークでしょ。あ~黒人奴隷が苦労したのね、昔ね」・・みたいな。トレンドありきで歴史認識が非常に浅いような。でも、当地では当然、歴史の香りは生活やカルチャーの中に、DNA以外にも組み込まれている。そう、単純にDNAとか人種の問題じゃなくて、生活を見る事が大事だと思う。アメリカで生活して、黒人たちの中で演奏したりメシ食ったりしなかったら、この思考にはならなかっただろうし、アメリカ以外の人達がどんな生活してるのかまで考えも及ばなかったであろう。
人々の生活に触れ、文化の根幹に触れる度、自分が如何に浅はかであったかを思い知らされる。それを知った所で、僕の日本での生活が劇的に変わるわけでは決してなく、自分が納得出来るものを更なる課題をクリアする事で粛々と作って行くしかない。要は芸術活動なんてのは評価されなければ、究極の自己満足なわけで、それを分かった上で邁進できるかなのだ。
しかし、この自己満足、かなり心を豊かにしてくれる。
ただ、明確な目的と原因が有る。他の国の文化を深く学ぶ事と、好きではない祖国「日本」を飛び出したい・・という衝動が大きな目的であり原因である。とは言え、VISAで散々苦労したNYの思い出が有るため、よっぽどの事が無い限りは海外移住は難しい事も知っている。ましてや海外で日本人がJAZZで食って行く事がどういう事かも経験済みだ。
要は、そこそこの生活が出来て、文化を学び続ける事が出来れば、有名にならなくても金持ちにならなくても良い。旅を続けられる程度の余分な経済力が有れば、移住する必要もあまり無い。今の僕にとって音楽は異文化を学びたいという欲求の源であり、経済面でも重要な収入源である。音楽は僕に多くの課題と生活苦を与えると同時に、多くの学びも与えてくれる。慢心した時には試練を与えて再出発するまでは完膚なきまでに叩きのめし、そのかわり自信を失った時は友を与える。しかし、その友との仲間内だけの小さな世界に満足していると、その仲を引き裂いてでも孤立させ、そして結局は一人ででもやって行くんだという精神的強さに自分を導く。常にこういった試練を乗り越える気力を持ち続けられる人が、生涯、現役のプロ・ミュージシャンで居続ける事が出来るのだと思う。
あまりにも何の評価も得られないと、ついつい自信を失ってしまうが、アメリカでも日本でもたまに僕の前に的確な評価をして下さる方が現れ、曲がりなりにも自分の信じてやって来たことは間違いではなかったと教えてくれる。しかし、日本人は特にマジョリティー志向で「他の人がどうあれ、自分はこうだ」という信念の持ち主は非常に少なく、大多数が集まる所にしか集まらない傾向にある。その商品がメジャーかどうかの「メジャー志向」ではなく、みんなが買うからという理由だけで買ってしまうマジョリティー志向・・と勝手に名付けたけど(笑)、商品価値どころか、その商品以上に自分がどこに属しているかの方に価値を求めてるようにさえ思える。ネット社会による情報過多の産物だと思うけど、FBの「いいね!」がその良い例だと思う。そんな社会に於いて評価を求める方が無意味である。
もとより、そういう人達を相手に商売してるわけではないので、自分には関係ないっちゃ関係ないのだが、そういう人達がこの国の経済を支えてるのだと考えると、どうしても暗澹たる気持ちになり、海外に逃げ出したくなるのだ。当然、海外で随分痛い目に遭って来たから、海外が全て楽園だとは思わないけど。
でも、文化の根幹である大きな歴史の流れを海外ではより身近に感じる事が出来る。
同じアフリカ人の祖先を持つ、アメリカ黒人と中南米の黒人の作り出した音楽が違う事。そこには、植民地としていた国に違いが有るという原点。植民地としていたフランスやスペインやポルトガル自体がどういう国の成り立ちをしていたのか・・という更なる原点。イスラム教の影響やローマ帝国の影響。更にローマ以前にはギリシャが有ったわけで、音楽は西へと東へと人類の移動と共に様々な融合を繰り返して変化して行った。僕が去年行ったオーストリアは音楽の都とされているが、ドイツ系の国は文化度を上げるために音楽を利用し、そのためにイタリアから学んだとされている。
食文化はどうだろう。フランス料理は日本ではマナーにうるさい高級料理だが、王室でさえ元々は手掴みで食事をしており、テーブル・マナーはイタリアのメディチ家が伝えたものである。現在、イタリア料理で頻繁に使われるトマトは南米から伝わった時は毒が有るとみなされ当初は観賞用だった事は有名であり、決して元々メインの食材ではなかった。コーヒーがなぜローストされる様になったか。それはアラブ商人が貿易を独占するため、他国で発芽しない様にするために焙煎を始めたとか。
正直、海外旅行を趣味にするまで、こういった有名な逸話は恥ずかしながら全く知らなかったし、興味も無かった。でも、日本の音楽って、かつての僕の様に、ほぼ上っ面なところで成立してる様な気がする。「ジャズはニューヨークでしょ。あ~黒人奴隷が苦労したのね、昔ね」・・みたいな。トレンドありきで歴史認識が非常に浅いような。でも、当地では当然、歴史の香りは生活やカルチャーの中に、DNA以外にも組み込まれている。そう、単純にDNAとか人種の問題じゃなくて、生活を見る事が大事だと思う。アメリカで生活して、黒人たちの中で演奏したりメシ食ったりしなかったら、この思考にはならなかっただろうし、アメリカ以外の人達がどんな生活してるのかまで考えも及ばなかったであろう。
人々の生活に触れ、文化の根幹に触れる度、自分が如何に浅はかであったかを思い知らされる。それを知った所で、僕の日本での生活が劇的に変わるわけでは決してなく、自分が納得出来るものを更なる課題をクリアする事で粛々と作って行くしかない。要は芸術活動なんてのは評価されなければ、究極の自己満足なわけで、それを分かった上で邁進できるかなのだ。
しかし、この自己満足、かなり心を豊かにしてくれる。
寒暖の差が大きい日が続きますがお元気ですか~
ハングリーでいらっしゃるのはとても羨ましいです。
元気ですよー。また、ライブでお会いしましょう!