友人の会社に着くと事務所のドアは破壊されていたが、事務所、車両、友人の親の家はあった。
一見した所被害は軽微に見えたが、結局車両は塩水をかぶって全滅だったようだ。
そこからしばらく離れた友人の自宅へ行くと、玄関の戸のガラスは割れ、
そこから勢い良く水が入ったみたいで、結構津波に荒らされていた。
居る訳がないと思いながらも、大きな声で「おおい、生ぎったぁが?」と声をかけた。
静かなままだったので立ち去ろうとすると、二階から「はぁーい」と女性の声が聞こえた。
友人のお母さんだった。
「なんで居んの?」と声のする二階の窓を照らすと「逃げ遅れて…」という返事が返って来た。
「誰ですか?もしかして○○さん?」と言われたので、
「そうです。他の地区がどんな様子か見に来たんです」と言い、「みんなは大丈夫ですか?」と聞いた。
どうやら友人夫婦は小学校へ避難し、友人のお父さんはわからないという。
事務所と家はどうなったか聞かれたので、無事だと教え、
「避難するんだったら小学校まで一緒に行ぎますよ」と避難を促したが、動きたくないらしい。
もう津波は大丈夫だと思っていたし、どうやらあと1人一緒にいたみたいなので、
それ以上避難を促すのは止めた。
(逃げ遅れて二階の窓から外を見ると、道路に大きな渦巻きが出来、
車や色々なものが巻き込まれたそうだ。私が訪問したので水が引いた事を知ったようだった。)
友人の家を後にした直後、道路に止まっていた救急車に呼び止められた。
救急車が稼働している事に多少驚いた。
骨折した要救助者がいるということだが、地理がわからず案内して欲しいとのこと。
私もわからなかったが、近くまで行ってそれらしい所を案内してくれるだけでいい、
というので承諾し、私の後をついて来させる。
途中それらしい所で瓦礫をこえて行って大声で叫ぶが、人の気配はない。
救急車を先導して歩道を走っていると、所々側溝のふたが外れていて、
足を踏み外しそうになるのでその旨を話し、救急車の助手席に飛び乗った。
道路は所々瓦礫があり、自動車で進むのはちょっと困難になって来る。
車内を見回すと、後ろのスペースはギュウギュウだった。
誰も言葉を発せず、疲れ切った様子で静かだった。
「死んだ人はでてるの?」と聞いても誰も反応しない。
後ろを見ながらもう一度、「死んだ人はでてるの?」と聞くと、後ろにいた救急隊員が無言で頷いた。
私の住んでいる藤○は水害には弱いはずだが、今回は違うらしい。
市内の海に面した大部分が、想像以上にもっとひどい事になっていると直感した。
腹に重いものがどんよりと居座ったような暗い感じに襲われたが、
こういう時は冷酷な気持ちを持ち合わせないとやって行けない、と思った。
救急車が山田線の踏切にさしかかると、踏切はカンカン鳴りっぱなしで降りている。
車外に出て踏切を上げ、出て来た救急隊員に、要救助者のいるかもしれない目的地は、
そこから右に曲がって迂回した所かもしれない旨を話すと、
「とりあえずいったん戻ってみます」と言う事だったので、救急車とは踏切を通してから別れた。
線路を越えると何事もなかったように静かだった。
線路一本隔てて津波はさほど来ていないようだ。
ありきたりだが、ほんの数メートルで天国と地獄ほどの違いがあった。
出来て間もない老人福祉施設の所まで来ると、暗がりで布団を運ぶ職員の姿を見つけた。
救急車が骨折した人を捜しているが、心当たりがないか聞いたがわからなかった。
しばらく歩いて、山田線の上を走る道路を下る途中、流されて泥をかぶった車があった。
中をのぞくと窓ガラスが曇っていて様子がわからない。人は乗っていないことは確認出来た。
この場所の海抜はわからないが、ここは結構な高さがあるはずだったので、
津波の勢いは私が目にした以上のものだったらしい。
(後日聞いた話によると、津波は山田線の上を走る道路の坂を駆け上り、
坂の頂上から山田線に向かって滝のように流れたらしい。そしてトンネルの中を藤○方面へと流れ込んだ。
その際この流れに引き込まれ磯○から藤○へ、津波と一緒にトンネルを流された人がいたが、
枯れ枝につかまって震えているのを救助されたそうだ。)
私の勘違いで、さっき救急車が探していたのはこの辺かも知れないと思い、
大声で「誰かいませんかー。骨折した人いないー?」と叫んでみたが、
この世に私だけしか居ないのではないかと思うぐらいシーンとしていた。
もう寒いとは感じなかったが、あたりが妙に湿っぽくて気味が悪かった。
一見した所被害は軽微に見えたが、結局車両は塩水をかぶって全滅だったようだ。
そこからしばらく離れた友人の自宅へ行くと、玄関の戸のガラスは割れ、
そこから勢い良く水が入ったみたいで、結構津波に荒らされていた。
居る訳がないと思いながらも、大きな声で「おおい、生ぎったぁが?」と声をかけた。
静かなままだったので立ち去ろうとすると、二階から「はぁーい」と女性の声が聞こえた。
友人のお母さんだった。
「なんで居んの?」と声のする二階の窓を照らすと「逃げ遅れて…」という返事が返って来た。
「誰ですか?もしかして○○さん?」と言われたので、
「そうです。他の地区がどんな様子か見に来たんです」と言い、「みんなは大丈夫ですか?」と聞いた。
どうやら友人夫婦は小学校へ避難し、友人のお父さんはわからないという。
事務所と家はどうなったか聞かれたので、無事だと教え、
「避難するんだったら小学校まで一緒に行ぎますよ」と避難を促したが、動きたくないらしい。
もう津波は大丈夫だと思っていたし、どうやらあと1人一緒にいたみたいなので、
それ以上避難を促すのは止めた。
(逃げ遅れて二階の窓から外を見ると、道路に大きな渦巻きが出来、
車や色々なものが巻き込まれたそうだ。私が訪問したので水が引いた事を知ったようだった。)
友人の家を後にした直後、道路に止まっていた救急車に呼び止められた。
救急車が稼働している事に多少驚いた。
骨折した要救助者がいるということだが、地理がわからず案内して欲しいとのこと。
私もわからなかったが、近くまで行ってそれらしい所を案内してくれるだけでいい、
というので承諾し、私の後をついて来させる。
途中それらしい所で瓦礫をこえて行って大声で叫ぶが、人の気配はない。
救急車を先導して歩道を走っていると、所々側溝のふたが外れていて、
足を踏み外しそうになるのでその旨を話し、救急車の助手席に飛び乗った。
道路は所々瓦礫があり、自動車で進むのはちょっと困難になって来る。
車内を見回すと、後ろのスペースはギュウギュウだった。
誰も言葉を発せず、疲れ切った様子で静かだった。
「死んだ人はでてるの?」と聞いても誰も反応しない。
後ろを見ながらもう一度、「死んだ人はでてるの?」と聞くと、後ろにいた救急隊員が無言で頷いた。
私の住んでいる藤○は水害には弱いはずだが、今回は違うらしい。
市内の海に面した大部分が、想像以上にもっとひどい事になっていると直感した。
腹に重いものがどんよりと居座ったような暗い感じに襲われたが、
こういう時は冷酷な気持ちを持ち合わせないとやって行けない、と思った。
救急車が山田線の踏切にさしかかると、踏切はカンカン鳴りっぱなしで降りている。
車外に出て踏切を上げ、出て来た救急隊員に、要救助者のいるかもしれない目的地は、
そこから右に曲がって迂回した所かもしれない旨を話すと、
「とりあえずいったん戻ってみます」と言う事だったので、救急車とは踏切を通してから別れた。
線路を越えると何事もなかったように静かだった。
線路一本隔てて津波はさほど来ていないようだ。
ありきたりだが、ほんの数メートルで天国と地獄ほどの違いがあった。
出来て間もない老人福祉施設の所まで来ると、暗がりで布団を運ぶ職員の姿を見つけた。
救急車が骨折した人を捜しているが、心当たりがないか聞いたがわからなかった。
しばらく歩いて、山田線の上を走る道路を下る途中、流されて泥をかぶった車があった。
中をのぞくと窓ガラスが曇っていて様子がわからない。人は乗っていないことは確認出来た。
この場所の海抜はわからないが、ここは結構な高さがあるはずだったので、
津波の勢いは私が目にした以上のものだったらしい。
(後日聞いた話によると、津波は山田線の上を走る道路の坂を駆け上り、
坂の頂上から山田線に向かって滝のように流れたらしい。そしてトンネルの中を藤○方面へと流れ込んだ。
その際この流れに引き込まれ磯○から藤○へ、津波と一緒にトンネルを流された人がいたが、
枯れ枝につかまって震えているのを救助されたそうだ。)
私の勘違いで、さっき救急車が探していたのはこの辺かも知れないと思い、
大声で「誰かいませんかー。骨折した人いないー?」と叫んでみたが、
この世に私だけしか居ないのではないかと思うぐらいシーンとしていた。
もう寒いとは感じなかったが、あたりが妙に湿っぽくて気味が悪かった。
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