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喉元過ぎれば熱さ忘れる

東日本大震災から一年が過ぎました。
記憶が曖昧になる前に、あのとき、私が見た事を記しておこうと思います。

3月11日(金曜日)8

2012年04月02日 | 東日本大震災
 家の庭に上がると全く濡れていない。木に吊るしたままの洗濯物が何事もない様に、憎たらしいぐらいにそのままだった。
玄関付近も水が来ていない。玄関前の階段の所ギリギリでおさまったようだった。
周りの家の人には悪いが、正直助かった、良かったと安堵した。
外回りを一見すると私の家の被害は、どこへ流されてしまったのか、見えなくなった車だけのようだ。
 家の中に入り玄関先で濡れた重い服を全部脱ぎ、風呂場へ直行した。
風呂の残り湯をみると温かい。(水に比べればの話だが)一瞬入ろうかと思ったが、そんな事をしている時間はなく、手早く必要なものを用意する事にした。
 
 家の中は静まりかえっていたが、そのうちなんだか妙な雰囲気になってきた。
耳を澄ますとミシッというか、何かの圧力がかかったような音がする。
雰囲気としては潜水艦が出て来る映画で操縦不能になり、圧壊深度にまで達してしまった時のような感じ。
 と、突然台所の床下収納がボコッと大きな音を立てて飛び出した。
急いで玄関の方を見ると、さっきは来ていなかった水が、玄関戸のガラス越しにじわじわ上がって来るのが見える。
しまった、油断した、失敗した。正直終わると思った。
何をどうしていいかわからず、パンツ一丁のまま廊下を行ったり来たりウロウロした。
落ち着こうとしたが自分ではどうする事も出来ず、肩でゼェゼェと息をして、とにかく空気をたくさん吸おうとする状態になった。(恐らく過呼吸だったのだと思う)
このままじゃ死ぬと思い、とりあえず高い所へと二階へ駆け上がった。
 
 二階の窓から線路の方を見ると、線路の上の人達にはまた水位が上がってきていることはわからないみたいで、(今更水位が50cm上がろうが気付きようもないし、大差はないのだが)私がパニックになっていることを知る訳もない。
役立たずと化した電話をとったり、地震で落ちているものを拾ったりと、何の意味もないことをしてみたがパニックはおさまらない。
色々とジタバタしながらまた下へ降りて、玄関越しに水位を確認したりしたと思う。

 しばらくして水も落ち着いてきたように感じられたので、親父の薬をリュックに詰め、二階からプラスティックの衣装ケースを持ってきて、ヘッドライト、ドックフード、スキーウェアやその辺にあった防寒着、厚手のソックス、お菓子、携帯カイロ一袋、バスタオルなど、訳もわからずとにかく手当り次第に詰め込んでしっかりと蓋を閉めた。
 相変わらず肩でゼェゼェと息をしていたが、一刻も早く家を脱出したかったので玄関で水位が下がったのを確認し、衣装ケースの上に長靴を乗せて家を出た。
ちょっと躊躇したが、どうせ濡れるしと思いパンツ一丁のままだ。
(しかも青のブリーフというかっこ悪いローテーションだった。)
 
 外に出ると玄関付近は濡れてはいたが水はなかった。(水位変動の間隔は、思っている以上に早かった)急いで庭からよう壁を降りようとすると、やはりさっきより水位が上がっているのか、頭ぐらいまで沈みそうな気配だった。
衣装ケースを頭の上に乗せて行こうとしたが、とてもじゃないが重くてバランスをとれそうもない。
来る時見つけた椅子みたいなものがあるはずだったので、それを足で探ってよう壁を降り、衣装ケースをビーチ板のようにしてゆっくりと、上に乗せている長靴が濡れないようにつま先で地面を蹴って、ちょっと泳ぐように進んだ。

今度は裸だったので、水の冷たさは油断すると死ねるぐらいのダイレクト感だった。

3月11日(金曜日)7

2012年03月31日 | 東日本大震災
 線路上に脱ぎ捨てたダウンジャケットを拾い、濡れた上半身にそのまま羽織ったが、とにかく寒い。
線路の上の生活道路に上がり、さっき一緒に水の中に入ったツナギの若者の方を見ると、体全体で震えている。
声をかけようとしたが、その若者は近くの家の人から着るものを借りられたようだった。

 全身に力を込めた状態でいないととにかく寒いので、このままじゃもたないと思った。
まだ日は暮れないだろうが、暗くなる前に何か手を打たないとどうしようもなくなる。
さくらのリードを親父から受け取り、これからどうするか思案していた。
 自分のいる位置から見る限り、恐らく私の家は大丈夫だ。
(うちの敷地は道路より1mほど高くなっており、道路側は塀になっている)
もう少し水が落ち着いた感じになれば、もしかしたら家に行って必要なものを取って来られるかもしれない。
いつまでこの状態が続くかわからないので、インスリンやら何やら、親父の薬も出来るなら取ってきたい。というか、何より乾いた服が欲しい…
 たえず動いてないと寒いので、あたりをウロウロしながらもう少し水が落ち着くのと、自分の決心がつくのを待った。
 
 さくらを連れて、直線距離で一番自分の家に近いルートの目星を付けた。
家の裏手は見えている。最短で30mほど水に入ればいいだけだ。
行くしかないと思っていると、隣の家に住むおばあさんが「裏の部屋が浮いてるね」と声をかけてきた。「うん…」とうなずいて見ると、うちの敷地の物置き兼用の小部屋が浮くような感じでちょっと斜めになって、よう壁に傾いていた。
 
 周辺にいる人はみんな落ち着くというような事はなく、右往左往しながら海と化した街の被害状況を見てまわっているようだった。
 ちょっと遠くに犬を連れた知り合いの男性を見つけ、「お-い、ちょっと来てけろ」と声をかけた。
私に気付きこっちに向かってきたが、二匹の犬を連れているとはいえ、歩くスピードがあまりに遅いため「早く、早く」と急かした。(後日彼は足を骨折していたことが判明)
 彼にさくらを託し、「ちょっと俺家に服とか取りに行って来るから、津波がまた来たり、何かあったら頼むっけぇ。見ててけろ。」と言い、着の身着のままで逃げてきた彼に自分の着ていたダウンジャケットを貸した。
 
 誰かに見つかって静止されるのも厄介なので、今度は全く躊躇なく素早く水の中へ進んだ。
水は非常に冷たい事に変わりはなく、全身に力を込めたまま、家の間を水中の障害物をなるだけ避けるようにして、真っ黒い水の中を進んだ。
さっき水に入った時、胸の辺りだったはずの水は首下ぐらいまであり、つま先だって進むようにしたが、途中何かにつまずくようなことがあると水を飲んでしまった。
当然と言えば当然なのだが、しょっぱかった。

 私の家の敷地の所まで来て、よう壁に手をかけよじ上ろうとしたが、水を吸った服が重くてなかなか上がれない。
足で水中を探るとちょうど小さな椅子みたいなものがあったので、それに乗って一気によじのぼった。
何かが右足の太ももに引っかかるような感じがしたが、かまう事なく力任せによじのぼった。

3月11日(金曜日)6

2012年03月30日 | 東日本大震災
 しばらくすると水の流れも落ち着いて来たように感じられた。水が線路の上まで達することはなかった。
津波が襲って来る音が聞こえなくなったためか、すごく静かに感じた。
(実際は、水上を浮かんでいる車のクラクションがあちこちで鳴っていたので、それだけ津波の音が凄かったのだと思う。)
浮力のあるものすべてが浮いているという感じで、その中にレクサスを見つけ、もったいないなと思った。
 
 なんだか、ドン、ドン、ドンと何かを叩くような音が聞こえた気がした。
慎重に聞くと、確かに何かを叩いている音がする。
もう海となってしまった道路の方に注意を払うと、絶対に音などしてはいけない方向から音がする。
目の前に浮いている車の中のどれかからだ。
 音はずっと鳴っており、さくらのリードを親父に預けると、その音をたよりに線路に降りた。
すると50代ぐらいの男性が1台の軽自動車に向かって小石を投げている。
 その男性に近づくと悲しそうな目で私を見て、「俺は行げね…」と言ったが、何のことかちょっとわからず、「何が!?…何の事?」と思った。
混乱したが、とりあえず目の前に浮かんでいる車の中に人がいるのだろう。
人は確認出来なかったが、もしかして行くしかねぇか…。
 線路で車の窓を割る事が出来そうな、出来るだけ先端の尖った手頃な石を、特に急ぐ事もなく探した。(急がなかったのはちょっとした拒否反応だったと思われる)
着ていたダウンジャケットを脱いで石を拾うと、上で座って事情を察した親父が「分団員に行かせろ」と言った。
でもまあ分団員もそこそこ年齢がいっており、冷たい水の中に行かせるのも気の毒だし、第一見当たらない。…しょうがねぇな、という消極的な感じで行くことに決める。

 拾った石を手に、左足から水に入った。
(水に入った瞬間、風呂に入るときは右足からじゃなきゃ心臓に悪い!と馬鹿な事が頭に浮かんだが、3月の海に入るのに、右も左も大した違いはないくらい心臓に悪いだろう)
履いていたスノトレに水がしみこむ。
水が膝ぐらいまで達すると、ハウッ!と一気に体中に力が入る。
冷たい。形容する言葉がないぐらいただ冷たい。
 もう冷たいのはすっかり諦めて、音のする黒っぽい軽自動車の方に、胸ぐらいまで水に浸かりながら近づいた。運転席のドアを開けようとしたが、車はプカプカ浮いてるくせに開かない。
車の窓を合法的に割るチャンスなど滅多にないと思って、握っている石をおもいっきりドアの窓に振り下ろしたが割れない。予想はしていたがこれほどまでに割れないかというぐらい、とことん割れなかった。
 窓を割る事は諦めて、後ろに回り込んでリアハッチを上方に開けると、拍子抜けするぐらいあっさり開いた。
中の様子をうかがうと、40代後半ぐらいの女性が「すいませーん」と言いながら運転席の上に乗って水に濡れないよう、バランスをとっていた。
「大丈夫ですか?一人ですか?」と聞くと「はい、大丈夫です。一人です。」と元気に答えたので、私は車の後ろにあった長靴と防寒着を「これとこれは使えるな。」と言って手にした。
 その時、青いツナギを着た二人の若者が、線路の上から勢いよく「どうした?人か?!」と叫びながらズボズボと水に入ってきた。
私は、何もあんたらまで濡れる必要はないのに…と思った。というか、あまりにも勢い良く水に入ってくるので、彼らがたてる波が私にぶつかって冷たい。
(本当は、こっちくんな、冷てぇぞこのヤロー!って感じだった。ごめんなさい。)
私はなるだけ波に当たらない様に先行し、女性を車から引っぱり出すのを彼らに任せた。
 
 ここで初めて水が真っ黒い事に気付いた。水の中は網やらロープやら、色々なものが沈んでいて歩きにくい。両手に持った長靴と防寒着が濡れない様に高く上げ、先行して線路の方へ歩いていたが、ロープらしきものが腰の辺りに絡まったので、「ここにロープがあっから、俺が抑えでっから足上げて行け」と後に続く3人を先に行かせた。
若者二人は女性を挟む様に抱えて線路に上がった。
 私も線路に上がり女性の所まで行き、「これとこれは濡れてませんから。」と防寒着と長靴をそばに置いた。「どうもありがとうございました」と言っていたが、体はガタガタ震えていた。

(後日、旦那さんと私の家にお礼に来られた時聞いた話によると、車の中に水が侵入して来ると、とにかく息苦しくなるそうだ。私がドアを開けた時、さほど命の危険はなさそうで大した事はないと思ったが、実際の車内は全く違ったようだ。)

3月11日(金曜日)5 津波が来た!

2012年03月19日 | 東日本大震災
 線路の上の生活道路のところで親父と合流。母親はじめ、近所の人達も遠くの方に確認出来たような気がする。
 そしてちょっとの間を置いて津波が来た。
私の位置は保育園付近の水門から道なりに直線上のところで、(途中ちょっとカーブしていたり国道があるので水門は見えない)さっき私が急いで戻った防潮堤の方向である国道の向こうから、もの凄い勢いで波しぶきが来るのが見えた。
道路はすぐに大型の台風で荒れ狂う激流になった川のようになった。
深さはないみたいだが、スピードが恐ろしく速く迫力がある。
 
 もの凄い勢いの波しぶきが国道45号にさしかかると同時ぐらいだったか、いきなり国道の右側(磯○方面)から猛烈な勢いで水が左へ流れて行く。その水に乗り上げながら、普通に車が走るスピードで、バックで黒っぽい軽自動車が流されて行った。
運転手は車庫入れの姿勢の時のように右手をハンドルにかけ、左手を助手席のシートにかけていた。
本当に一瞬だったが目に焼き付いている。
 
 と、今度は線路まで10mぐらいの距離に近所のおじいちゃんが見えた。
もの凄く一生懸命走っているが、波に捕まるのは誰の目から見ても明らかな状態だ。
(しかし80才を過ぎた年齢の割には、太ももが上がったいい走りだった。)
助けなければ、と前に出ようとしたが体が動かない。勝手に後ずさりするように体が拒否する。
声も出ない。頑張れ、頑張れ、頑張れ、と心で応援はしたが私は立っているだけ。
しかし彼は線路までどうにか自力でたどり着けたようだった。
(ちょっと波がかかったように見えたが、下半身はずぶ濡れだった)
 
 おじいちゃんが走っているのと同時ぐらいに、線路と平行して走っている下の道路の左手から、白いワゴン車が来る。津波が来てるのに!と思ったが、国道方向から勢いよく流れて来る波しぶきには、死角になって気付かない。
突然、私の右側(車の正面)から来た波しぶきに、ドライバーは急ブレーキで止まり、車を止める所を確保しようと路肩に気持ち寄せた感じで、素早く濡れない様に車から飛び降りて線路に登った。
そのすぐ後ろから来た車は、フロントに波が跳ね上げられ、それと同時にドライバーは運転席から転がる様に線路側に退避。ドアが一発で閉まらず、片足を水にとられながらも閉めていた。(ドアを閉めなくても車は水没だった)
これら一つ一つの出来事に、悲鳴や励ます声が聞こえていた気がする。

 もう来るな。来るな、来るな、来るな、と思っても波の勢いは全く衰えなかった。
線路への傾斜にぶつかった波が、バケツに入った水を空に向かって放り投げて落ちてきた時のように、バシャッと音を立てて線路の上を濡らしたので、その上の生活道路のふちに腰掛けていた親父に「あぶねぇから神社に登らねぇか…?」と聞いた。
「大丈夫だ…」と言ったので、年寄りの大丈夫は、例え水害でひどい目にあった人間だろうと絶対に信用しない、と強く思った。

 この間、どのぐらいの時間だったかわからない。
短い時間だったろうが、一瞬一瞬今まで見た事がないような場面ばかりで、動けないし声も出ない。
ただ呆然と見ているだけだった。
 
 津波がある程度の水かさになると勢いは小さくなり、目の前が湖になったようだった。
あとはゆっくりと流されて行く自動車、徐々に増してゆく水かさ、ただなすがままになって行く目の前の現状をボーッと見ていた。

3月11日(金曜日)屋根の上からの景色

2012年03月18日 | 東日本大震災
 二階のベランダから手すりに足をかけ、急いで屋根の上に登り海の方を見た。
さっき防潮堤の上から見た海の景色とは全く違う。
湾の遠くの方(外海)に緑色の壁があり(表現がありきたりだが、俗にいうエメラルドグリーン。恐ろしく鮮やかだった。)その壁に白い線が何本も入っている…
(後日記憶を辿ろうと屋根に上った時、川の対岸の建造物が結構目立って見えたが、この時はそれらの建造物を見た記憶が無い。恐らくある程度水没していたのだと思う。)
 
 唖然として、表現が正しいかどうかわからないが、一瞬見とれた。体の動きが止まった。
とその瞬間、さっきまで私がいた防潮堤の所で空に向かって波柱が立ち、その波柱からのしぶきが防潮堤を越えた。次に防潮堤の海側に建っていた小船組合の二階建ての建物(普通の家屋)が、二階の窓部分が見えるぐらいに浮き上がり、(普段私の家の屋根の上からは見えない)ドドドドーーーーーンという、頬に振動するような音と一緒に、もの凄い勢いで私の視線の右へ流されて行った。何か大きなものが潰されるような音も聞こえていたかも知れない。
(音に関してはなかなか思い出す事が出来なかったが、夏以降、震災関連のテレビを見るうちにだんだんと思い出して来た)
 
 それを見てすぐに屋根の縁ギリギリの所まで行き、下の道路にいる母達に「津波が堤防越えたぞ。早く逃げろ。急げ、走れ!」と大声でわめいた。(この声に、避難を急いだ人が他にもいたみたいだった)
 屋根を滑り降り、(体のどこかにテレビのアンテナを支えているワイヤが当たって、ワイヤがヒュンと切れた)階段を駆け降りて急いで茶の間に行くと、親父はまだソファーに座っていた。
耳が少々遠いので怒鳴る様に「堤防の向こうの小船の飯場が津波で流されだから。急げ」と言うと、
「本当だがや…」と信じられない様子ながらもやっと腰を上げた。
素早くこたつのコンセントやストーブの火を確認し、簡単な戸締まりをしてさくらを抱き上げ玄関の戸を閉めた。(鍵は閉めていない)
 
 外へ出て線路に行く途中の駐車場を横に見ると、親父が線路の方へ一応急いでいるのが見えた。
そこから15mぐらい先の正面の家で、玄関を出ようとする人が見えたのでそっちに向かう。確か一人では動くのが難しい老人がいる家だ。
玄関まで行くと人は足りているようだったので、「波が堤防を越えたから、出来るだけ急いで」と声をかけてから私も線路の上へと走った。