のっちのシンママ生活

めでたく母子家庭となった母子二人暮らし♪シングルマザー生活のイロイロをつづって行きたいと思います☆

2017-10-22 21:31:40 | 過去
のっちの母の話です。

のっちの母はチビのっちが生まれる前には亡くなっていました。
しかも、チビのっちは従兄弟が一人もいなくて、初孫でした。
なので、チビのっちの子育ては実家に戻ったり、家族の誰かに助けてもらったりできませんでした。

母が生きていれば、子育ての相談もできたのに…、とたまに思います。
のっちのきょうだいは子育て経験がないので、頼りにはなりません。
グレーゾーン児も知る限り、いないしね。
誰にも相談することもなかったです。
(のっちのいとこに知的障害者が一人いたようなのですが、会ったこともありません…)

でも、それより辛かったのは、ちょっとした時にチビのっちを見てもらうことが全くできなかったこと。
ちょっと病院に行ったり、美容院に行ったり、体調が悪くて寝込んだり。
そういうことが全くできましたでした。
(元夫も全く協力する人ではありませんでした)


母の話に戻ります。
のっちが気づいた時には、仕事中心の人でした。
最初は飲食業でのパートでしたが、途中で事務職に転職しました。
きょうだいの見合いに、母親が接客業なのは見てくれが悪いということでした。

きょうだいが多かったこともありますが、のっちは、母がのっちの子育て放棄をしていたことに気づいていました。
のっちは、普段は手がかからない子供だったからです。
上のきょうだい達は自己主張が強かったので、それだけで手いっぱいのようでした。
手がかからなかったので、よくのっち一人だけで母方の祖母の元に長期で預けられたりしました。

幼心ながら、他のきょうだいとの愛情の差を感じていました。
母が育児放棄した原因と思われることを知ったのはだいぶ後のことです。


母は働きだすまでは主婦業を頑張っている人でした。
のっちの母は婦人之友の会の会員でした。
母の死後、遺品整理をした時に婦人之友の書籍は一冊だけでしたが、母はずっと羽仁もと子さん家計簿をつけていました。
子供の頃は面倒くさそうな家計簿使っているなーと感じていました。
母は簿記の資格を持っていたので、羽仁もと子家計簿に抵抗がなかったのかも知れません。

今思えば、色々と主婦業を頑張っていたと思います。
のっちの時には完全に子育て終了モードに入っちゃっただけだったんでしょうね。
ただ、片付けは苦手な人でした。
だんだんと物は増えていっていましたね。

のっちは昔から片付け魔だったので、よく衝突していました。
家で暮らしていた時は見るに堪えなくて、家の手伝いと称してのっちが片付け&掃除をしていました。
でも、すぐに散らかしたり汚したりするので、口出しすると、お約束のように、衝突しました。
そんなのっちも、母には鬱陶しい存在だったでしょうね。

しかも、性別が女だったので、のっちは思春期・反抗期も激しかったです。
今となっては、素直に母に謝ります。
本当に質の悪い思春期でした。
でも、もう、昔の話です。

母が亡くなったのも、もう昔の話になろうとしています。


最近のことや結婚していた時のことはたくさん忘れました。
でも、幼い時のことって、結構覚えていますね。
懐かしい。

そして、少し淋しい。


台風で心がざわついたせいか、そんなことを思い出しました。
死んだ人は帰ってこない。
でも、心の中に生きています。
忘れちゃったことは思い出せないけど…


明日の朝には台風一過で、良い天気になっていますように!

のっち
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