続きます。
父は先進医療の隣町の総合病院に入院していたが、87歳と言う高齢故に手術が出来ない。手の施しようがない。治療が出来ない患者を入院させられては病院側が困る。
そうなると終末医療の病院に移される。死を待つために存在する病院だ。
このコロナ禍、どこの心療内科・精神科も患者で溢れているが、終末医療の病院もベッドが足りない状態にある。医療が放棄され、死を待つだけの患者も増えていたのだ。
医療コーディネーターに探してもらって、やっと見つけたのが仙台市の中心部にある病院だった。
父は病院を移されるのではなく、退院だと思ったらしい。それで弟に「温泉に行くか?」と嬉しそうに聞いた様だ。それが肉親との最後の別れになるとも知らずに。
その後、2ヶ月近くその病院に入院。
コロナ禍故に見舞いは許されない。死を待つだけの患者専門の病院なのである。コロナのファンデミックになったら大変な事となる。他に患者を移せる病院は無い。
4月18日に病院から呼び出しがあった。危篤状態になっていた。勿論、意識は無い。
私は父の後始末の為に税理士に提出する書類を区役所に取りに行き、税理士へ渡してから向かった。
その時は葬式にも出ないつもりでいた。父の死を看取るのも正直、躊躇した。私なら死の瞬間は誰にも見られたくない。孤独死が理想の死なので。
精神病の専門用語と言って良いのだが、「親殺し」を決行すべきだと思った。父の死を見届ける。父の死を認識する。そうしないと何時までも父の亡霊に悩まされる。「親殺し」は自分が生きて行く上で必要だと感じた。
父は別人の顔をしていた。痩せたので入れ歯を新調していたが、その入れ歯さえもサイズが合わない程痩せていた。顎が要潤みたいに非常に細い。体重は40
キロとなっていた。半年で27キロ以上痩せていた。
そして私が到着後、1時間半後に亡くなった。
病室にはコロナ感染を恐れて2名までしか入れない。
父の弟が東京から二人到着。30分ほど顔を見て弟が見送りに行った後に父が急変した。
その場に居合わせたのは認知症の母と私のみ。そして父が亡くなる瞬間を見たのは私だけだった。
続く。
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