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キンカンとセイロガン - 昭和の香り

2009-07-01 15:48:16 | その他
キンカンとセイロガン


かつて日本の家庭の常備薬としてどこの家にでもあったキンカンとセイロガン。
このネーミングについてあまり気にしていなかったのだが、何故だか気になり
始めた。こうなるともう調べないと気が済まない。で、例によって調べて見ました。

セイロガンは明治の頃にそもそも「クレオソート丸」と呼ばれていたらしい。クレオ
ソートはセイロガンの主成分だ。下痢止めのほかに、チフス菌にも有効と思われて
いて戦場に大量に配布されたが、当時陸軍医であった森鴎外は難病だった脚気も
感染症であると信じていたため、これにもクレオソートが有効だと思っていたようだ。

下痢で離脱する兵士は減ったものの、現実は脚気による大量の死者を出すことに
なってしまった。しかし 強国ロシアに勝ったことから結果としてセイロガンの知名
度は一気に上がることになる。折から征露丸と呼ばれるようになった。

脚気対策では、海軍は食べ物によることが原因と主張し、航海実験をして玄米や
パンを含む改善食を兵士達に与えた結果、脚気の罹患率が劇的に減少した。
このときの海軍医は高木兼寛で現在の東京の慈恵医大の創立者であり高木会館
にその名を残している。

余談だが陸軍と海軍による脚気の原因究明争いは有名なエピソードだ。森鴎外
はドイツ医学、高木はイギリス医学。森の陸軍のほうは2万5千人以上の死者を
出してしまったが、森は最後まで脚気は感染症だと意地を張ったらしい。

征露丸はその後「征」の字が好ましくないとされ「正露丸」と名前を変える。
だが、明治以来国民に知られた結果、もはや一般名称となり現在似たようなデザ
インの正露丸が様々な製薬会社から販売されているのはこのためである。

正露丸については、そもそも日露戦争の時に下痢止めや腹痛対策として兵士に
配り、その際ロシアに対する戦争から「征服」の「征」と「露西亜」の「露」で「征露丸」
と名づけられ、後に正露丸となった程度の知識なら持ってはいたが、脚気論の話と
も関連があったとは知らなかった。ありそうなことかも知れない。


これは最近のキンカン。昔はガラスの平たい容器だった。


一方のキンカンだが、これはずっと果実のキンカンと関係があると思っていたがどうも
そうじゃないようだ。元衛生兵で金冠堂の創業者、山崎栄二が日本統治時代に現在
のソウル、かつての京城(キョンソン)にいた際に外用薬の研究をしていたが、除隊後
アンモニア水を基にした外傷用の薬キンカンを発表する。名前の由来は、朝鮮の慶州
で発見された古代新羅の王冠に因んでいる。だから果実じゃないのです。

1930年ごろに東京は世田谷の三軒茶屋に本社を構えているから、こちらは戦前の
昭和の初め、東京生まれの虫さされの薬ということになる。しかしあのツーンとくる匂
いはたまりませんね。実際、昔は何でもかんでもキンカンでした。傷に沁みるんだ。

あの黄色い色の箱からはついつい果実のキンカンを連想してしまうが、王冠と言われ
れば、そういえば王冠みたいなマークもあったな。だから会社の名前も金冠堂と言う
わけだ。薬の名前だからね、昔のことだからカタカナの名前はまずないものね。
果実のキンカンより金冠のほうが効きそうだし。加美之素とかね。山東京伝の薬「読書
丸」とか式亭三馬の化粧水「江戸の水」とか、漢字のほうが効きそうじゃないの。


ついでにオマケ、懐かしい宣伝。あなたの髪にヨウモトニック。暑さも忘れられる?
この横になびいている髪の毛は、帝都地下鉄のシンボル、マーキュリーを思い出させます。
男も女もヨウモトニック。今思うとイージーなネーミングです。


昔は我が家にも常備していた。虫刺されといえば、キンカンかムヒだった。
関西ではムヒのほうが馴染みがあるかもしれない。ムヒは富山の薬ですし。唯一無比
から来てるんだろうけど。ムシ(=虫)じゃないところが良い。

何故か暑い夏を連想するのは、虫に刺されるの多いのは夏場が多いからだろうか。

梅雨の合い間の調べ物、蒸し暑さも忘れますね。何となく昭和の香りもしました。


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5 コメント

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キンカンについて (んもえラド)
2009-07-02 12:53:35
世の中には、「キンカン」と聞くと、フジテレビ系の長寿番組のひとつだった、「キンカン素人民謡名人戦」を懐かしむ向きも多いでしょうね。
返信する
キンカンと言えば・・・ (nnakazawa)
2009-07-02 19:11:32
こんにちは、コメント有難うございます。
そうですねえ、あの番組はフジテレビの長寿番組
でした。たしか土曜日の放映ではなかったでしょうか。司会は三和完児でした。なつかしいですね。
返信する
お久しぶりです。 (光ちゃん)
2009-07-11 20:51:01
[このときの海軍医は高木兼寛で現在の東京の慈恵医大の創立者であり高木会館にその名を残している]

この高木兼寛先生は、宮崎に近い高岡(現宮崎市)のご出身で、当地では『ビタミンの父』と呼ばれて、記念碑などもあります。
高岡町にある道の駅が、『ビタミン館』と呼ばれているのも、その顕彰を意味しているのでしょう。

ところで職業軍人(正しい日本語ですかね?)だった父は、意外なことに『征露丸』の言葉を嫌って飲みませんでしたね。
『ワカモト(わかもと)』というのは気に入っていたようです。

矛盾することになりますが、父はこの嫌いな言葉に何を感じていたのでしょう。そのくせ、ロシア人を『露スケ』、中国人を『チャンコロ』と呼ばわってました。
これには私も閉口してました。
返信する
ご無沙汰でした。 (nnakazawa)
2009-07-12 10:48:19
はい、宮崎県御出身でしたね。高木会館は
何度は行ったことがあります。友人の医者に
よると、奇形の標本室があるという噂で昔から
あるそうですが、その友人も見たことがないと
言っておりました。猟奇的な趣味ですが、
怖いものみたさに見てみたいものです。

高木軍医は栄養学の権威でした。特にビタミン
は当時の医学会にはまだ新鮮な分野でした。

当家はもっぱら富山の売薬が主でした。
風邪薬に食あたりにと、届けに来てくれます。
おまけの紙風船が目当てでしたが・・・


他の国のひとを蔑称で呼ぶのは今でも
一部のひとが行っているようですが、外国へ
いってJAP ! と呼ばれるようなものです
のであまりよい気分ではありませんね。
もっとも、CHINESEと呼ばれるのはもっと
嫌でしたが。

宮崎県知事の一連の不始末(といっても
良いでしょう)の件、拝見させて頂いてます。

県知事としてはちょっと不適当ですね。
所詮は芸能人なんでしょう。任期も残して
あの発言はないですね。

返信する
私もちょっとは・・・。 (光ちゃん)
2009-07-13 20:48:06
宮崎県知事さんのお話は、私も最初のころ少し肩入れをし、応援もしたので、ちょっと今更面はゆいところもあるのですが、でもこのところの豹変ぶりはいただけません。

遙か遠くにお住まいのnnakazawa様からも同様なご意見をいただいてありがたいことです。
やはりちゃんと一期はせめてお勤めしてほしいものです。

ところで都議選は凄かったですね。
どこかに変革を望む庶民の声が、聞こえてくるようでした。
しかも段々と大きく、大きく聞こえてくるようです。
返信する

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