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ラテントピック一語一絵 その34

2023-01-01 10:19:57 | ラテントピック・一語一絵
Chabuca Granda

チャブーカ・グランダ

1920-1983

ペルー人女性歌手。作曲家。


クリオージョ・ワルツにアフロ・ペルアーノのリズムが混ざりペルー人
で無くても彼女の世界に引き込まれる。

ペルーの南、鉱山地域のアプリマクの生まれ。小学生の時に合唱隊で
歌い音楽の才能を示している。

鉱山で働く父親Eduardo Grandaの為に作曲したのが有名な
Fina Estampa であり、また若くしてデュオのLuz y Sombraも
結成してラジオ番組で歌っている。

生涯に100曲以上作曲したと言われる。最大のヒット曲はFlor de
la Canera 「肉桂の花」で、彼女の古い友人のビクトリアへの
オマージュだ。彼女は南米のみならずヨーロッパても知られ、ペドロ・
バルガス、ローラ・フローレス、やカエターノ・ベローゾに支持されて
カバーされている。  

ヨーロッパからもたらされた三拍子に、アフリカっぽいリズムが根底に
流れながらも品のあるチャブーカ・グランダの世界に引っ張り込まれる。
ペルーの音楽にはアフリカの血も流れている。しかしながら彼女の優雅
さは何処から来るのだろうか。品格は隠せない。歌に滲み出ている。
確か彼女の死後にペルー政府は彼女の功績を讃えて勲章を授与していた。

チャブーカ・グランダのバックバンドで、チャブーカ・グランダを「母」
と仰ぐパーカショニストのカイトロ・ソトは長くカホンを担当し、また
彼自身のアルバムも出している。

ペルーではアフリカ系カルチャーは生活の中に深く浸透し、音楽文化と
しても根を張り、それを具現化したのがカイトロ・ソトだった。

1977年だったか、スペインのフラメンコギター演奏で有名なパコ・デ・
ルシアが南米公演をした。その際ペルーに寄った時のスペイン大使館
主催のパーティーでチャブーカ・グランダの歌を聞き、カイトロ・ソトの
カホンに興味を示して彼からカホンを二つ買い求めた、と言う。
スペインに持ち帰りそれ以来パコ・デ・ルシアのフラメンコのステージ
にはカホンが演奏されるようになり、やがてカホンはスペイン中のフラメ
ンコ演奏に多く使われるようになった、とパコ・デ・ルシアは後年語って
いる。ペルーの公演にパコ・デ・ルシアと共に参加していたのはブラジル
人パーカショニストのルーベン・ダントスで二つのうち一つは彼のため
だったのだろう。ついでに思い出したが、パコ・デ・ルシアのバンドに
いたメンバーが後になりチック・コレアのバンドに加わるのだから
世の中は面白い。

そう言えば僕はかつて若い頃のパコ・デ・ルシアの絵葉書を持っていたが
何処に紛れ込んでしまったようだ。探してみるか。

チャブーカ・グランダが死去した時に、彼女の「息子」と自認していた
カイトロ・ソトは非常に悲しみ、音楽を辞めてタクシーの運転手にでも
なろうと思ったとか。後年彼はそう語っていた。

新年にあたり女性歌手を描こうと思っていたが、なかなか思いつかない。
ガウ・コスタも急に亡くなってしまうし誰にしようかと悩んだ。それで
以前から気になっていたチャブーカ・グランダを描き始めたら意外と
すんなり描けたのでホッとしているよ。出だしさえ上手く描けたら案外
スンナリ行く。そうでないと何回やってもダメ。

カイトロ・ソトもパコ・デ・ルシアももうこの世にいない。エラスモ・
カルロスもエルザ・ソアレスもガウ・コスタも亡くなってしまうし、
クララ・ヌネスが亡くなった時は驚いたが最近はあまり深く感じなくなり、
人の死に対して鈍感になって来たように思うがこれも僕が歳をとったと
言うことかとエキスキューズばかり。やはり頭がしっかりしているうちに
サッサと書いておこう。

新年だからもっとポジティブなことを考えよう。
そうそう、ペルーの歌ならアルマ、コラソン・イ・ビーダも良いな。
聴いてみよう。ペルーは音楽の宝庫なのだから。
 
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