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久々に「アイスバイン」を食す。

2009-05-22 23:11:44 | その他
塩茹でした豚のすね肉アイスバイン。ザワークラフトも。

甥の嫁さんが今月の21日に誕生日だというので、身内で
集まって飲み会をすることになった。場所を連絡してきた
ので、どこかと思ったら何と麹町のドイツレストラン「パ
ウケ」ではないか。いやー、これはこれは懐かしい。およ
そ5年くらい前になる。もうそのくらいは経つな、最後に
行ったのは。

この店との付き合いは古い。この店は初めは赤坂のアメリカ
大使館の並びのビルの地下にあった。大きなドイツ風のビア
ホールで名を「BEI RUDI」と言った。

小さな道路を隔て、反対側にこじんまりとした魚屋があり冬
になると鮟鱇のつるし切りをやっていた。

当時私の会社は虎ノ門に近い内幸町にあったから、BEI RUDI
まではすぐで、残業の後に歩いても良く通ったものだ。まだ
バブルの始まる前のことだった。

ドイツ語の歌を歌う生バンドが入っていて、お客と歌で一体化
になり、乾杯を合唱する。ビールを飲み、名物の豚肉料理「ア
イスバイン」をたらふく食らう。飲んで、食べる。お客全員で
肩を組み左右に揺れて合唱をして、また飲んで、食べて、とい
う具合で、本場ドイツのビアホールもかくならん、かと思うほ
ど盛況であった。

RUDI というのはドイツ人オーナーの名前である。このオーナ
ーには何回かあったことがある。当時の従業員はこのオーナー
の人柄に引かれて集まったひとが多い。人気には定評があった。

やがてRUDIは訳あって麹町に移った。赤坂のBEI RUDIはその
ままにして。 麹町に移ってからは 店はPAUKE (太鼓の意)
と名乗り、オーナーを慕う従業員もついて行き、新規に営業を始
めたのだった。

赤坂の店の常連のお客も麹町に通いだした。名前は出さないが
芸能人や有名な運動選手も良く来ていた。オーナーの人柄が呼
び寄せたのだ。

今の知名度はかつてほどではないが元プロレスラーのデストロ
イヤーと飲んだことがあった。行ったことのあるひとなら、ご
存知だろうが、この店では、サイコロでゲームをする。5個の
サイコロの出目でビールを賭けるのだが、結構熱中するゲーム
であちこちのテーブルでポン、ポンとサイコロの入った皮のコ
ップをひっくり返す音がしたものだ。最後に勝った者だけが天
井からぶら下がっている大きなカウベルを鳴らすことが出来る。

デストロイヤーとは、プロレスのルールであるLOSERーLEAVE-
TOWN MATCH でサイコロで争ったがイーブンで決着はつかなか
った。引き分けでよかった。負けたら、町をでなきゃならんと
こだった。まあ、真面目に取っていたとは思っていなかったけど。
彼の本名はDICKである。レスラーとしては小柄だが体が分厚か
った。

私がクルマを運転していて、赤坂でばったり会ったこともある。
向こうはオープンカーに例の白覆面。派手なことこの上ないが、
クルマでばったり会うとはびっくりだった。「オー!」とか言
って手を振って去って行った。

随分前だがオーナーのRUDIが亡くなったときは、しばらくお店も
休みで従業員の落ち込みかたもひどかった。親しいお客も訃報に
接してがっかりし、当分の間は飲む気がおきなかった。

その後しばらくして店はまたもとのPAUKEに戻った。古くからの
お客も戻って来た。従業員のうち、ウエイトレスのひとりはドイ
ツ語の分かるもっと前からの顔見知りであった。赤坂時代からの
外国人ウエイターもいた。私が行くと彼はいつもニコニコして、
ダイスの相手をしてくれた。古いお客さんなら誰のことだか分か
ると思う。

だが約5年くらい前に古くからいた従業員たちが一斉に辞めて
しまってそれ以来私は行くことがなくなってしまった。名前は
出せないが唯一の外国人ウエイターや、帳場にしっかと座ってい
たひっつめ髪のオバハンやその他にも赤坂時代から顔馴染みの
スタッフたちが去ってしまった。

かつての雰囲気が全く無くなってしまい、私も行くところを失っ
てしまっていたのだ。長い間かかって練り上げて来たものが消え
てしまった。

だがもう時間も経ち古い話を知っているひとも少ない。何より甥の
嫁さんの誕生日会だ。存分にアイスバインを皆で楽しもう。

肉の塊アイスバインの味は変わらなかった。8名で二つのアイス
バインを食べた。無論ソーセージも食べた。黒パンにレバーペー
ストとバターを塗り、大根のスライスを挟んで食べるのも意外だが
案外イケルのだ。レバーのネットリ感が大根の甘みで中和されさっ
ぱりとする味になる。

そしてまた生ビールで乾杯。ジョッキがガチガチガチと鳴る。PROST !
乾杯! ついでだがZUM WOHLも乾杯だ。だがこっちはもうちょっと
品が良い、ムーディなときに使う。ビアホールでは PROST ! だ。

生バンドがジョッキを持ってご唱和。「アイン プロージット!」
これも定番の儀式のようなものだ。ともかく、かくのごとくドイツの
ビアホールは賑やかで、久々に「アイスバイン」を口にした一夜と
なった。

久しぶりのアイスバインは美味であった。赤坂の昔を知っている身
内もいたから大昔の話で話に花が咲いた。楽しい宵となった。

♪ Ein Prosit, Ein Prosit, der Gemutlichkeit・・・ ♪

♪ Prost ! ♪ ついでにラティン世界では Salud !








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12 コメント

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懐かしい "Bei Rudi" (shozo)
2010-10-12 20:13:45
私がBei Rudiを知ったのは、今からちょうど30年前。会社の先輩に連れられていったところ。東京では何度か飲みにいきました。懐かしい思い出ばかりでです。

壁に壁に人物を模した馬の絵が掛かっていて、ドイツ語で次の文が書かれていたのを覚えています。
Wann sehen wir drei uns wieder?

また東京に行くことがあれば、行ってみたいと思っていましたが、閉めてしまったのですか。

返信する
Bei Rudi (nnakazawa)
2010-10-13 23:10:57
本当に懐かしいですねえ。
30年も経つなんて。
週に一度は通っていました。
たまに会社の外人上司とも行って
いました。アメリカ大使館の横まで
歩いていったものですが。

良い思い出を共有できることが
できて嬉しいです。

おそらくあの時代は個人的にも
一番楽しい時期だった気がします。

良く働き、良く遊び、といったことが
まだ通用した頃でした。

楽しかったです。

返信する
"Bei Rudi" (shozo)
2010-10-17 18:14:59
そうですね、Bei Rudiへは1980年代で、会社の仲間と行っ
たり、当時来ていた外国のエンジニアーといったり。一度は
ガールフレンドと。仕事は厳しかったけど、良い仲間と知り合
えた。ほんと楽しかった。バブル前の良き時代でした。

Bei Rudiから思い起こされるのは、東京、赤坂、アメリカ大使
館、ドイツ、生演奏が、今も蘇ってきます。その生演奏で、息の続く限り延ばした歌声が今も残っています。
また、Underbergの何とも言えない癖になる味を覆いだしま
す。





返信する
Bei Rudi (Unknown)
2010-10-18 10:31:34
そうですね、これから景気の良くなる前兆の
ある時代でした。夜遅くまで残業してから良く
通ったものでした。

仕事が海運関係でしたので本国から来ていた
駐在員とアイスバインを食べに行ったものです。

ステージで歌っていた外国人が同じ国の人間だった
こともあり楽しい場所でした。大騒ぎをしたものです。

ウンデルバーグは懐かしいです。アクアビットのような
強い酒だったような記憶があります。これをキュっと
やるんですね。ウっとなりますがあれは食後酒なんで
しょうね。寒い国のお酒って印象があります。

当時はまだニューラテンクォーターなど豪勢な
キャバレーの全盛時代で街がどこでもが華やかでした。

飲みすぎも結構やりました。1980年代は
多忙でしたが思い出の濃い時代でもあります。

あの雰囲気はもう夢ですね。
返信する
Bei Ruhi (yoshi)
2010-11-30 01:27:02
今愛知県に住んでいる者です.
来週久しぶりに東京で学生時代の友人と飲むことになり、ふと思い出したのが、20年以上ご無沙汰している Bei Rudi.
さっそくググって見まところ、ここにたどり着きました.

もうもとの場所にはないんですか...

すぐ近くにビアマンズポルカという店もあったはずですが、そちらはどうなっているのでしょうか...調べてみます.
情報があるといいけど.

Bei Rudi で70年代-80年代に(なぜか)ラテンを歌っていたメキシコ人の方ももういないんでしょうね...
返信する
BEI RUDI (nnakazawa)
2010-11-30 22:24:47
こんにちは。
コメント有難うございます。

アメリカ大使館の横にあって繁盛して
いた頃のRUDIを懐かしむひとは多い
ですね。いかにもドイツ風パブという
感じでした。

ビアマンスポルカは虎ノ門に近い
溜池にあったと記憶しています。
何度か行ったことがありますが、
こちらも閉店して久しいです。

RUDIでギターを弾いてラテンを
歌っていたのはメキシコのひとでは
なくて在日のチリの方です。

RUDIが市ヶ谷にパウケを開いた
ときも一時期歌っていました。

いずれにしてももう思い出の世界に
なってしまいました。

因みにパウケはまだ市ヶ谷にあり
ますよ。
返信する
PAUKE (Porcoverde)
2010-12-15 01:03:40
たまたま、このブログをみつけて懐かしく思い、コメントしています。

帳場に座っていたひっつめ髪のオバハンはRudiさんの奥さんですね。彼女が店を当時のキッチン担当だった人に譲ったときに、古くからのスタッフが辞めていきました。また、去年の今頃にちょっとしたトラブルがあって、Bei Rudi時代からのバンドメンバーも辞めてしまいました。それ以来、私もこの店には行ってません。

現オーナーに変わってから、ビールやワインの品揃えは増えたのですが、メニューに値段を明示しないようになりました。昔は会計時に手書きの明細を示したものですが、それもやらなくなりました。このブログが書かれたのが去年の5月ですが、ちょうどその後の7月くらいから、さらにこの店の劣化が進んだように思います。ステージの回数は減り、バンドの構成も小さくなり、ビールはしょっちゅう品切れになるようになりました。

この間、この店の常連だったドイツ人(当時は日本在住で、引退後ドイツに戻っていた人)が久しぶりに来日したので、かの外国人ウェイターと連絡をとりました。彼は元気ですよ。
返信する
PAUKE (nnakazawa)
2010-12-17 13:07:25
パウケで長いこと働いていた女の子が
パウケを辞めたときに、彼女から人手に
渡ったいきさつを聞きそれ以来行く事がなく
なりました。おそらく他の常連さんも
同じ思いではなかったのでしょうか。

去年の5月に久しぶりで行ったときも
全くかつての雰囲気がなくてちょっと
拍子抜けした印象が残りました。

多分もう行く事もないと思いますが・・・

そうですか、かつてパウケで働いて
いた外国人の彼は元気ですか、それは
グッドニュースです(たしかオーストリア
出身ではなかったかと。)サイコロでは
3回に2回は負けて彼にビールを良く
奢ったものです。天井からぶら下がって
いるベルを自慢げに鳴らしてね。

懐かしいです。楽しかった日々です。

かつてルディでもパウケに移ってから
でも一時期歌を歌っていたチリ人とは
何年か前に町でバッタリ会いました。
その時は元気にしていました。

まだ東京にいるはずですが。
返信する
PAUKE (Porcoverde)
2010-12-19 10:04:57
外国人の彼はスイス出身です。今は埼玉の方に引っ越しています。だいぶヒマみたいで、あちらこちらを飲み歩いているようです。Bernd's BarやEXのようなドイツ人のたまり場に行くと、いろいろなところから飲み物が回ってくる、と言っていました。

PAUKEからは本当にかつての雰囲気はなくなってしまいました。かつての常連はほとんど離れていきました。それも当然だと思います。もうこの店にはRudiはいない、と感じています。

来週、かつてのバンドのメンバー達と久しぶりに会う予定です。
返信する
PAUKE (nnakazawa)
2010-12-19 11:40:12
Porcoverdeさんの由来は何でしょうか?
「緑の豚」とは、さて?

六本木あたりは以前はよく飲み歩いたもの
ですが、この頃遠い存在になりました。
どちらもドイツ人の租界のような存在の
たまり場と聞き及んでいます。ビールを
飲み文字通り口角泡を飛ばして、笑いが
ないとドイツ風の暖かさは出ませんね、
こういった雰囲気をパウケに望むのは
もう無理のようです。

昔のメンバーにお会いになったら、パウケ
にいたウエイトレスのクロの友人で、以前は
よくインチキスペイン語を赤坂のルディ時代に
ギター弾きのチリ人と話していたお客、と
言えばお解かりになるかと。

そういえば名前を失念しましたが、バンド
のメンバーのうちおひとり亡くなっておられ
ますねえ、たしかずいぶん前ですけど・・・
クロから聞いています。
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